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GameDesign 西部劇TRPG開発日誌

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[SYS]「キャラクターメーカー」を読んで。


キャラクターメーカー : 6つの理論とワークショップで学ぶ「つくり方」

大塚英志 著

ライトノベルやまんが、アニメに登場する「キャラクター」は、作品の成否を決定づけるだけでなく、商品として消費され、あるいは二次創作に使用される。そのようなキャラクターは、どうやってつくれば魅力的になるのか?古今東西の物語理論を自在に応用し、「私」が反映されたキャラクターをつくりだす決定版マニュアル。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • 序 「キャラクター」とは「デザイン」するものではない
  • 第1講 アバター式キャラクター入門
  • 第2講 トトロもエヴァンゲリオンも「ライナスの毛布」である
  • 第3講 手塚キャラクターは何故テーマを「属性」としているか
  • 第4講 雨宮一彦の左目にバーコードがあるのは何故か
  • 第5講 自分からは何もしない主人公を冒険に旅立たせるためのいくつかの方法
  • 第6講 影との戦い

「BOOKデータベース」より



 キャラクターはパーツの順列組み合わせなのか?

 さて、再びウェブ上のアバターに戻りましょう。例えばセカンドライフに参加するためにはアバターが必要ですが、参加者はアバターを自分で、「つくる」ところから始めることが一般的です。しかし、アバターをつくるという場合、大抵それは、あらかじめ用意された体型、髪型や髪の色、目や口や鼻の形、肌の色、服や靴、眼鏡を始めとするアイテムアイコンの中から選択していく、という形をとります。
(中略)
 こういう感覚はしかもウェブ上のアバターだけではなく、最近のゲームやアニメーションにおけるキャラクターづくりの一つの定石になっている気がします。東浩紀は『動物化するポストモダン』の中で、「でじこ」というキャラクターは、あらかじめ用意された萌え系まんがの様々属性のパーツの順列組み合わせにすぎないと指摘しています。しかし注意しておきたいのは、こういったキャラクター順列組合せ説は決してインターネット環境が成立して以降に新しくでてきたポストモダン的な感覚ではなく、むしろ極めてベタなモダニズム、この国で言えば1920年代の文化的状況に出自があるということです。
(中略)

ロシア構成主義とディズニーのキャラクター形式

 (中略)ロシア構成主義とディズニー的なキャラクターの描き方は、例えば大正末期、村山知義らの前衛美術館『マヴォ』に参加した高見沢路直の手によって図-8のようなキャラクターとして具体化します。図-9のように「のらくろ」に近い犬のキャラクターは「のらくろ」以前にアメリカ産アニメーションの中に描かれていますが、これはキャラクターの借用というより、同じ順列組み合わせ的キャラクター構成法で犬を描いたら同じものになった、という方が正しいといえます。高見沢路直は田川(後に田河)水泡と名乗り、昭和初頭、まんが表現に転じますが、それは前衛美術から統合を実践して、「まんが」という表現に行き着いてしまったのだと考えた方が正解でしょう。
 順列組み合わせ説について一点補足しておくとすれば、キャラクターを構成要素に還元する、という考え方は、アメリカにおいては1970年代に成立したTRPGに起源が見いだせます。TRPGプレイヤーが自ら演じるキャラクターの外見だけでなく、出自や数値化された能力などを、ダイスを振ることで、もしくは任意に項目を埋めていくことで決定していきます。コンピューターゲームのRPGの冒頭でもこのようなキャラクターづくりをまず行なうことがあるのは、言うなればTRPGの名残りでもあるわけです。アバターという概念を最初にウェブ上で用いたのは「ハビタット」だと記しましたが、先の引用したのと同じ論文で開発者は以下のようにも述べてます。

 ハビタットを作るきっかけは、昔のコンピュータハッカーSF「TrueNames」(1,Vernor Vinge著)から来ている。もちろん、子供の頃のごっこ遊びや、もっと最近のロールプレイングゲームや、その他もろもろの経験が生きている。それに、ちょっとのまぬけさと、サイバーパンク(2,3)とオブジェクト指向プログラミング(4)の味付けを施した。(*4)〈傍点引用者〉

 アバターのつくり方にTRPGのキャラクターメイキングの影響があったとまでは言ってませんが、やはり両者は地続きであると考えた方が自然です。


 ストーリーが順列組合せだという分析には、僕もコミットしています。
 [SYS]戦闘システム論からTRPGの物語論。 
 [SYS]メタゲーム論02

 TRPGでは、たしかにキャラクターのアバターと呼ばれるたぐいのランダマイザーやロール・オア・チョイスが用いられたりはします。最近はアーキタイプや、パッケージの組合せを使っています。
 ただし、昔も今も、プレイヤーが自分のキャラクターの背景設定を作り込むことは推奨されて行なわれています。TRPGは単純なスゴロク作成のキャラクターを仮に用いたりすることもありますが、シナリオを進めていくうちに、必ず、作成以前の設定が求められてきます。親や兄弟がどうしたという話のたぐいが求められてきます。

 ですが、類型だけでは、作家性やメッセージ性が本当に失われるという実験を大塚さんはしていないようです。
 [つれづれ]「ファンタジーの文法」で触れたように以前、僕は実験しました。

 ですから、ストーリーが順列組合せである、キャラクターも順列組合せであるということについては、コミットする姿勢が違います。
 順列組合せだけでは作家性が得られないということが僕の実験の結果です。

 作家性や「私」には、ストーリーの順列組合せは道具であることについての見解は同じです。そこから先に、テーマやメッセージ性を盛り込まなければ、結局、創作上の「なぜつくるのか」という問題を解決しません。そこが、「誰にでも創れる論」の限界です。
 キャラクターがアバターで順列組合せだという論においては、TRPGでさえも、キャラクターに背景設定のストーリーが求められる実情を把握していないのでしょう。

 TRPGでは、キャラクターシートのイラストや、「フォーチュン・クエスト」のお面というか頭飾りがあります。これは、他のプレイヤーさんに描いてもらったり、自分で描いたり、描いてあげたりするレッテル(ラベル)的な仕組みです。つまり、コミュニケーション上のアイコンです。(「フォーチュン・クエスト」では、頭飾りをすげ替えて遊ぶことも見られました。言いたくもないことを頭飾りをすげ替えて言わせたり、やらせてしまうギミックでした)
 これは、キャラクターのアバター(表面・内面)が、その内包する順列組合せを表示しないということです。

 TRPGでは、キャラクターは、ペルソナ(仮面)を使った、ミミクリ(模倣)の遊戯の仕組みです。
 ペルソナは、能面という日本文化のコードだけでも、組合せとはとても思えないバリエーションが確認できるでしょう。例えば、このペルソナと決まった曲目で、能が演じられます。そして、その鑑賞形態や鍛錬の披露が行なわれます。表現の余地はないかどうかと言うと、確かにあります。「遊びの現象学」を読んで。 の西村清和先生の論である、遊び=遊隙で括られます。
 ミミクリ同様、ストーリーの類型論も、遊び=遊隙で括られます。

 類型論を辿るストーリーをキャラクターが征き、キャラクターには類型論で語れる背景のストーリーが流れる。
 キャラクターの構成要素はストーリーであるから、結果、キャラクターが類型論でカテゴライズできるかのように錯覚させられてしまいます。直截に言うと、僕のこの感想は、

 「誰にでも創れる論」の限界がないように錯覚させる
 手品
の種明かしという指摘です。


 手品の種を知っていたとしても手品師にはなれないでしょう。これは個人的な感想です。
 こういった手品にコミットできる方は古今東西のキャラクターの類型をどうぞ蒐集してください。プロップやトンプソンもそんな壮大な作業はされていません。


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[SYS]コンドルセのパラドックス

 多数決では解決しないということは、ゲームデザインでは重大な問題だと思います。アゴン(競争)のゲームでは、いろいろな問題に適用されるでしょう。

コンドルセのパラドックス

  人類はこれまで統治形態に関して豊富な経験を積んでいた。集団の意志決定のためにも数多くの方式が考えられる。
 しかし1785年、コンドルセ侯爵は、多数決のようなポピュラーな方式も、ときに自己矛盾する結果を生むことを明らかにした。彼の著書『多数決論』(1875年)は人間の行動をはじめて数学を使ってモデル化した画期的な本である。
 そこには今日彼の名を冠してよばれるパラドックスの最初の例が載っている。
 コンドルセのパラドックスとはつぎのようなものだ。
 いま、ある公職にA、B、Cの3人が立候補しているとする。
 これらの候補者を投票者一人一人がランク付けする方法で投票をおこなったところ、投票者の3分の1がA、B、Cの順に順位をつけた別の3分の1はB、C、Aの順、残りの3分の1はC、A、Bの順に順位を付けた。
 したがってAのほうがBよりも上だと判断した人たちは全体の3分の2に当たる多数派を占め、BのほうがCより上だと判断した人たちも(先のグループとは異なるが)全体の3分の2を占めているわけである。
 そこで多数派の意志を集団の意志とみなせばこの結果はつぎのようにいいあらわせる。
 「この集団はAがBよりよく、BがCよりよいと思っている。」すると論理的帰結として「この集団はAがCよりよいと思っている」となるはずだが、実際にはそうなっていない。なぜなら投票結果を見ると、AをCの上位にランクした人たちは全体の3分の1にすぎず、残りの3分の2はCをAの上位にランクしているからだ。じつはこれは多数決がもつ問題点であり、他のやり方ではコンドルセのパラドックスは生じない。


 1781年、ボルダ勲功爵がフランス科学アカデミーの会員を選挙するために提案したボルダ方式は、各投票者が全ての候補者に、よいと思う順に順位を付け、それぞれの候補者について、ついた順位を全て足し合わす。
 候補者3人、A、B、Cがいたとして、Aを一位に付けた人が10人、二位に付けた人が15人、三位に付けた人が20人とすると、A候補は、1×10+2×15+3×20=100点で、結果合計点が最も少ない候補者が選挙に勝つ。
 この方法の難点は二人の候補者A、Bがいて、投票者が40人で、うち、25人がBを支持しているとする。
 このとき全員に支持されていない、全く話にならない候補者Cを擁立すると操作できる。
 Bの支持者はCを三位にすると考えると、Aの支持者は、ただBに勝ちたいだけで、Cを二位に付ける。
 すると、A候補は、Aを一位にした人は15人、二位にした人は25人、ボルダ方式では15+50=65点になる。Bは、一位にした人が25人、三位にした人が15人なので、25+45=70点になる。これではAが選ばれてしまう。

 もっとも重要な研究がアローの不可能性定理です。
 ゲーム、とくにTRPGは、安易に多数決で解決しようとしますが、それにコミットすることは既に、結果に合意していることになります。



数学は最善世界の夢を見るか? : 最小作用の原理から最適化理論へ

イーヴァル・エクランド [著] ; 南條郁子 訳

モーペルテュイが「神の叡智」と信じた最小作用の原理から、解析力学の発展、シンプレクティック幾何へと至る、めくるめく探求の物語。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • 第1章 時を刻む
  • 第2章 近代科学の誕生
  • 第3章 最小作用の原理
  • 第4章 計算から幾何へ
  • 第5章 ポアンカレとその向こう
  • 第6章 パンドラの箱
  • 第7章 最善者が勝つのか?
  • 第8章 自然の終焉
  • 第9章 共通善
  • 第10章 個人的な結論

「BOOKデータベース」より


[TRPG]ストーリーメーカーを読んで

 大塚英志先生のストーリーメーカーを拝読させていただきました。非常にわかりやすくプロップの考え方を解説されています。


ストーリーメーカー : 創作のための物語論

大塚英志 著

あなたが漠然と抱えているストーリーの種は、どうすれば作品として結実させることができるのか?神話や民話の構造分析から導き出された物語論を概観し、30の質問に回答していくことで物語のプロットを作成する。ベストセラー『キャラクター小説の作り方』『物語の体操』をさらに発展させた、超実用的創作入門。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • 第1部 創作のための五つの物語論(物語の基本中の基本は「行って帰る」である-瀬田貞二『幼い子の文学』
  • 物語を構成する最小単位とは何か-ウラジミール・プロップ『昔話の形態学』
  • 英雄は誰を殺し大人になるのか-オットー・ランク『英雄誕生の神話』
  • 世界中の神話はたった一つの構造からなる-ジョセフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄』
  • ハリウッド映画の物語論-クリストファー・ホグラー『神話の法則』)
  • 第2部 ストーリーメーカー-30の質問に答えてあなたの物語をつくる(主人公の内的な領域を設計する
  • 物語の構造を組み立てる)

「BOOKデータベース」より

 G.ロダーリのものは過去記事のここで触れています。Grammatica della fantasia. Introduzione all'arte inventare storie, (『ファンタジーの文法』窪田富男訳、筑摩書房)は、1973年に発表されています。ジョーゼフ・キャンベルはThe Hero with a Thousand Faces(千の顔を持つ英雄)を1949年に出版、C.ボグラーは、G.ロダーリの著書を参照したかどうかはわかりません。
 G.ロダーリの方が一歩早く、創作や教育に応用することを試み、C.ボグラーは、スター・ウォーズ以降ですから1977年以降での展開でしょう。
 この著書の中でウラジミール・プロップの物語の構造を機能ではなく心理学においた構造に対応させる表があるのですが、僕が考える構造では以下のように対応すると思います。

ウラジミール・
プロップのカード

レッジョ・エミーリアでの
G.ロダーリのカード

ヒーローズ・ジャーニー
C.ホグラー

千の顔を持つ英雄
J.キャンベル

(1)留守(不在)

(2)禁止

(1)禁止

(3)違反

(2)違反

(4)捜索(情報の要求)

(5)密告(情報入手)

(6)謀略・策略

(7)黙認・幇助

(8)加害(もしくは欠如)

(3)加害
(もしくは欠如)

(1)日常の世界

(9)調停・派遣

(2)冒険への誘い

(1)「出立」
冒険への召命

(10)主人公の同意・
任務の受諾

(3)冒険への
拒絶

(2)召命の辞退

(11)主人公の出発

(4)主人公の出発

(5)任務

(6)魔法の授与者
との出会い

(4)賢者との
出会い

(12)魔法の授与者に
試される主人公
(先立つ働きかけ)

(13)主人公の反応

(5)第一関門突破

(14)魔法の手段の
提供(獲得)

(7)魔法の贈り物

(6)仲間・敵対者/テスト

(3)超自然的
なるものの援助

(15)主人公の移動
(空間移動)

(7)最も危険な
場所への接近

(4)最初の境界の越境

(5)鯨の胎内

(8)敵対者の出現

(7')複雑化

(6)「イニシエーション」
試練への道

(7)女神との遭遇

(9)敵対者の悪魔的能力

(8)誘惑者としての
女性

(16)主人公と敵対者
との抗争(闘争)

(8)最大の試練

(9)父親との一体化

(17)狙われる
主人公(標付け)

(10)決闘

(10)神格化

(18)敵対者に対する勝利

(11)勝利

(19)発端の不幸
または欠如の解消・回復

(9)報酬

(11)終局の報酬

(20)主人公の帰還・帰路

(12)帰還

(10)帰路

(12)「帰還」
帰還の拒絶

(21)追跡される主人公

(13)呪的逃走

(22)主人公の救出・脱出

(14)外界からの救出

(23)主人公が身分を
隠して家に戻る
(気づかれざる帰還)

(13)家への到着

(15)帰路境界の越境

(24)にせ主人公の
主張(偽りの主張)

(14)ニセの主人公

(16)二つの世界の
導師

(25)主人公に難題が
課される

(26)難題の実行(解決)

(15)困難な試練

11.再生

(17)生きる自由

(16)損害の償い

(27)主人公が再確認・
認知される

(17)主人公であることの
再確認

(28)にせ主人公
あるいは敵対者の仮面が
はがれる(露見する)

(18)仮面をはがされた
ニセ主人公

(29)主人公の新たな変身

(30)敵対者の処罰

(19)敵対者の処罰

(31)主人公の結婚
(ないし即位)

(20)結婚

12.帰還



ウラジミール・プロップの機能(ファンクション)カード

原則1 民話の恒常的で不変の要素は登場人物たちの機能である。この場合それぞれの機能がどんな人物によって、あるいはどんな方法によって為されるか、ということとは関係がない。

原則2 魔法民話の中に出てくる機能の数には限度がある。

原則3 機能の継起順序は常に同一である。


 

すべての民話にすべての機能があらわれるわけではなく、筋運びで省略、併合、統合がされる。はじまりの機能は途中からという場合もある。抜かした経過を取り戻すために後戻りすることがある。機能にはその反対の場合を含むこともある。


 この原則を、平易な理解を助ける解説中に挿入されてありますが、明確に掲げていないので、ちょっと混乱される方がいると思います。

 日常・非日常の往来を論じていますが、「らきすた」や「じょしらく」のような日常とは言えないような非日常の中での完結もあります。「まどか☆マギカ」のようなイニシエーションによって非日常(世界・宇宙)へ旅立ったまま完結するものもあります。「翠星のガルガンティア」のように非日常(戦い)が日常へ完結するものもあります。日常・非日常の概念によるレッテルは、ちょっとコミットできないと僕は思いました。

 西部劇も他のどんな物語にもプロップの構造があるということには、僕は哲学科の学生の頃から説得されてきました。TRPGへの応用は、90年から知らせてきました。ナラティブ理解の参考資料としては、全く関係がないかな、と、思いました。

 もう一つ、ロシア構成主義と喧伝していることが全く理解できませんでした。一般的にはソシュールの影響下の構造主義の先駆として捉えます。美学論として展開するならば、そのセオリーも関係するかも知れませんが、独特の位置づけで困惑しました。こういった手引き書にポリティカルなメッセージ(スターリン批判)を盛り込むのはおかしいと思います。



神話の法則 : 夢を語る技術 : ライターズ・ジャーニー  5

ボグラー クリストファー<Voglar Christopher>;講元 美香【訳】;岡田 勲【監訳】

シナリオ・テクニックの世界的なベストセラー!「ライターズ・ジャーニー」日本語版。本書は心理学の巨匠カール・G・ユングと「ヒーローズ・ジャーニー」のジョーゼフ・キャンベルの深遠なるコンセプトを発展させた人生という旅のガイドブックでもある。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • プロローグ 旅の準備
  • 第1章 マッピング・ザ・ジャーニー(旅の地図)(プラクティカル・ガイド(実用書)
  • アーキタイプ(元型) ほか)
  • 第2章 ステージ・オブ・ザ・ジャーニー(旅の舞台)(オーディナリー・ワールド(日常の世界)
  • コール・トゥ・アドベンチャー(冒険への誘い) ほか)
  • エピローグ 旅を振り返って(愛に溺れて:『タイタニック』
  • メイン・ストーリー:日常の世界 ほか)

「BOOKデータベース」より


千の顔をもつ英雄  上

ジョゼフ・キャンベル 著 ; 平田武靖, 浅輪幸夫 監訳

[目次]

  • プロローグ 原質神話
  • 第1部 英雄の冒険(出立
  • イニシエーション)

「BOOKデータベース」より


千の顔をもつ英雄  下

ジョゼフ・キャンベル 著 ; 平田武靖, 浅輪幸夫 監訳

[目次]

  • 第1部 英雄の冒険(帰還
  • 鍵)
  • 第2部 宇宙創成の円環(流出
  • 処女出産
  • 英雄の変貌
  • 消滅)
  • エピローグ 神話と社会

「BOOKデータベース」より


[WESTERN]ジュリアーノ・ジェンマ急逝

ジュリアーノ・ジェンマさんがなくなられたそうです。

 http://www.jiji.com/jc/d4?p=gem102&d=d4_psn
 http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20131002-OYT1T00524.htm
 http://mainichi.jp/select/news/20131002k0000e030164000c.html
 http://www.imdb.com/name/nm0312575/bio?ref_=nm_ov_bio_sm

 車での衝突事故で、2013/10/01享年75歳。あまりにも衝撃的で、悲しいです。


[つれづれ]Vショウ・スタッフ参加してきました。

 スタッフ参加してきました。日本最大のミリタリ・トイ・イベントです。

 今回の情報はハートフォードさんのプロトタイプの発表がこっそり行なわれていたことです。スタール開発着手は、こちらで触れていました。

 クリント・イーストウッド最後の西部劇、「許されざる者」のウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)が、試し打ちしてさっぱり当たらなかったあの拳銃、スタールDAリボルバーが、モデルガンとして出るそうです。

 ハートフォードさんによると、メカニズムは、DA(ダブルアクション)のトリガーの引き代の最後にさらなる本当のトリガーがあります。
 トリガーの後ろのスライド?・スイッチによって、フルコックにしたあとに、ハンマーを落とすSA(シングル・アクション)か、DAとして作動させるかをセレクトできるシステムだそうです。
 DAでは、リボルバーのシリンダーを回すだけの力が要りますが、引き金を絞るだけの単調な動作なので速射できます。
 SA状態では力を必要としないので、精密な射撃ができます。
 DA草創期の時代のシステムで、パテント(特許)がとられていました。DAはこのパテントでしばらく足止めを食らって進化しなかったと読んだ(うろ)覚えがあります。
 SA状態にサミング(ハンマーを親指で起こすこと)をしないで行なう面白いメカニズムで、実際に採寸するとメートル法の規格でつくられていて、インチやフィートでは設計されていなかったのだそうです。ヨーロッパの技師が設計したのだろうと思ったそうです。
 ファニング(扇撃ち)は構造上できないとわかりました。
 30,000en前後になるかとのことです。

 やはり、雨の中、酒を飲まず、酒場で、女を抱かず、仲間を逃がし、銃を持っていないと言い訳し、弾は入っていない、火薬が湿気るから、と、仲間を逃がすためボコボコに蹴り飛ばされるための根性の銃です。

 ただ、スタールDAリバルバーはいろいろなバリエーションがあります。今回のものは、「許されざる者」に登場したタイプだということだと僕は解釈しています。
 クリント・イーストウッドは、ファストドロウ・シューティング(早撃ち)のコンテストに参加する本当のガンマンで、ハリウッドの俳優さん達の中では、現在一番一緒に映画で組みたいという最高の大御所です。




 「今まで動物たちをいじめてきたから、オレにさんざん仕返しをしているんだ」スタールを提げて馬に乗るとき、こんな台詞があったと思います。




 YouTubeにWesternUnionゆかりの故淀川長治先生の動画解説がありました。最近はこういった解説者抜きでただ映画を垂れ流す造りになってしまっているので、結果、TVでわざわざ映画をお茶の間で家族と観るというスタイルがなくなってしまいました。
 家族それぞれにHDDの容量を奪い合って、コンテンツを消し合ったり、宅配レンタルショップに、家族と全く共有しないコンテンツを借りるとか。コンテンツの内需が不況になった原因は、こうした肩手落ちもあるかと思います。



[つれづれ]正規乱数

D6が二個の組合せ

1 2 3 4 5 6
1 1∧1 1∧2 1∧3 1∧4 1∧5 1∧6
2 2∧1 2∧2 2∧3 2∧4 2∧5 2∧6
3 3∧1 3∧2 3∧3 3∧4 3∧5 3∧6
4 4∧1 4∧2 4∧3 4∧4 4∧5 4∧6
5 5∧1 5∧2 5∧3 5∧4 5∧5 5∧6
6 6∧1 6∧2 6∧3 6∧4 6∧5 6∧6


D10が二個の組合せ

1 2 3 4 5
1 1∧1 1∧2 1∧3 1∧4 1∧5
2 2∧1 2∧2 2∧3 2∧4 2∧5
3 3∧1 3∧2 3∧3 3∧4 3∧5
4 4∧1 4∧2 4∧3 4∧4 4∧5
5 5∧1 5∧2 5∧3 5∧4 5∧5
6 6∧1 6∧2 6∧3 6∧4 6∧5
7 7∧1 7∧2 7∧3 7∧4 7∧5
8 8∧1 8∧2 8∧3 8∧4 8∧5
9 9∧1 9∧2 9∧3 9∧4 9∧5
10 10∧1 10∧2 10∧3 10∧4 10∧5
6 7 8 9 10
1 1∧6 1∧7 1∧8 1∧9 1∧10
2 2∧6 2∧7 2∧8 2∧9 2∧10
3 3∧6 3∧7 3∧8 3∧9 3∧10
4 4∧6 4∧7 4∧8 4∧9 4∧10
5 5∧6 5∧7 5∧8 5∧9 5∧10
6 6∧6 6∧7 6∧8 6∧9 6∧10
7 7∧6 7∧7 7∧8 7∧9 7∧10
8 8∧6 8∧7 8∧8 8∧9 8∧10
9 9∧6 9∧7 9∧8 9∧9 9∧10
10 10∧6 10∧7 10∧8 10∧9 10∧10

 サイコロが二個程度では正規分布に近くなるとは言えません。一般に正規乱数が得られるのは、D10を9~11個振る必要があるとされています。
 ボックス-ミュラー法という方法で、一様分布から正規乱数を得ることもできます。


[つれづれ]ナラティブ?とゲーム

ゲーム研究と「ナラティブ」 - 9bit

 僕のナラティブ(口承物語)論でゲームを意識すると、研究方面ではこちらのような本になります。



民間説話 : 世界の昔話とその分類

スティス・トンプソン [著] ; 荒木博之, 石原綏代 訳

最も権威ある昔話の話型索引(AT分類)およびモチーフ索引の編者として名高い著者が、みずからの分類に込められた理念と方法論を、わかりやすい全体の見取り図とともに語り尽くした古典的名著の邦訳、待望の復刊。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • 第1部 民間説話の性格と形態(民間説話の普遍性
  • 民間説話の形式)
  • 第2部 アイルランドからインドまでの民間説話(アイルランドからインドまで-その民族と国々
  • 複合昔話 ほか)
  • 第3部 未開文化における説話-北米インディアン(北米インディアンの説話
  • 創造神話 ほか)
  • 第4部 民間説話の研究(民間説話の理論
  • 民間説話研究の国際的組織 ほか)

「BOOKデータベース」より

 ナラティブはもともとこうした意味合いです。ナラティブ・セラピーとか。エビデンスとか。いわゆる語りきかせのことで、ゲーム体験のこととも違い、ストーリーとは別のモノらしい。言葉の混乱が発生しているようです。
 ゲーム独自の楽しさの味わい以上の意味があるのか、よくわかりません。ゴッド・イーターやモンスターハンターなどのユーザーの交流の余地があることが、ファイナルファンタジーのような攻略本を片手に一人遊びするタイプの旧来のシリーズとは違うことを指摘したいのでしょうか。MMO化はナラティブという概念とはかけ離れます。

 どちらかというとTRPGのマスタリングやシナリオ準備のテクニックとは近いのかも知れないですが、どうやら言葉が混乱しているようで面食らいました。
 GMをナレーターと呼ぶTRPGもあります。TRPGはデザイナーとGMとPLという役割分担があるので、ゲームとしては独特かも知れません。

 ナラティブ論は神話学の系譜にもなります。ナラティブ論は、神話学に重きをおいているようです。構造主義が僕の記憶では成果を上げたと理解しています。

 ナラティブに功を奏した構造主義が、ゲーム評価に分析ツールとして使えるとは思えません。自己の属する文化集団や人類の共通性をひねり出すことと(一般や普遍)、味わい深いゲームをつくったり体験させようという試み(特殊や単独)は方向性が違います。
 ドゥルーズなどポスト構造主義者が重視した差異の視点から、ゲームビジネス的な一般や普遍を獲得しようというのは全く方向が違います。


神話学とは何か : もう一つの知の世界

吉田敦彦, 松村一男 著

科学偏重の社会に生きて、私たちは神話を未開の人々の、荒唐無稽な「虚偽の話」と考えてきた。しかし、神話は、宇宙はどうしてできたのか、人間はどこからやってきたのか、文化はどのように手に入れられたのか、これらの問いに、すばらしく、輝かしいイメージをくりひろげて答える人類の思索の結晶である。近代合理主義の枠を脱し、私たちを最も新しい「もう一つの知の世界」に誘う珠玉の入門書。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • 第1章 神話とは何か
  • 第2章 神話学の現在(ユングと深層心理学
  • イェンゼンと現代歴史民族学派
  • デュメジルと「新比較神話学」
  • レヴィ・ストロースと神話の構造分析)
  • 第3章 日本神話の解明(縄文期土偶の教えるもの
  • ユーラシア文明よりの光)
  • 第4章 神話研究の歩み(古典時代
  • 神話学の誕生-19世紀後半
  • 20世紀前半)

「BOOKデータベース」より

 こちらが入門書として適していると思います。



 前回紹介させていただいた[Design]ルールズ・オブ・プレイにも違う意味で載っているようで、混乱します。
 先に紹介したページで、90年代後半の一種のバズワード(曖昧な流行語)となっていたとの説明があります。きっちり定義できないならば、学際的な領域に持ち込む用語としては適切ではないと思います。



 と、思っていたら、第四世代TRPG:(・_・)   紙魚砂日記さんの紹介する解説文がここにありました。メンタルモデルなど、心理学方面からのアプローチのようです。よくわからないので紹介されている翻訳書を当たってみます。

Kawaz - CEDEC2013 「ナラティブ」はここにある! 国産ゲームに見るナラティブとは?(実際に作ってみた)













[WESTERN]マカロニ・ウェスタン BEST SLECTION 50

 写真はモノクロですが、たくさん使われており、作品の解説も小さな字でたくさんあります。オススメできる作品ばかり、マカロニファンにはたまらないだろうと思います。
 よく何が何の続編かどうかを間違えやすいので、嬉しい本です。特に、マカロニ女優について詳しいのがいいと思います。個人的にマカロニ女優は美人が多い感じがします。

 ジャンルとしてはマカロニウェスタンは、TV放送のみという作品がほとんどで、映画館で公開された数はかなり少ないか、公開が短かったようです。

 権利関係は本国イタリアでは錯綜していて、DVDやBDとして日本で売る場合、かなり困難を伴うそうです。
 出たとしても、BOXものになってしまうことが多く、なかなかレンタル版は見かけません。

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マカロニ・ウェスタンBEST SELECTION50 = MACARONI WESTERN BEST SELECTION 50

民岡順朗 編著

[目次]

  • 1 巨匠監督たち(荒野の用心棒
  • 夕陽のガンマン ほか)
  • 2 個性派監督たち(真昼の用心棒
  • 帰って来たガンマン ほか)
  • 3 名優たちの競演(荒野の1ドル銀貨
  • 続・荒野の1ドル銀貨 ほか)
  • 4 個性的な名作たち(情無用のコルト
  • 禿鷹のえさ ほか)

「BOOKデータベース」より