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キャラクターの名前についてです。
西部劇に登場するような人物を作ったり、実在人物名の英語発音を調べたりする苗字の資料はこちらを用いています。翻訳家でも知らない方がいて驚いたりします。英語ネイティブの人でもこのような辞書が必要な仕事があるそうです。
古い本なので、古い時代の固有名詞を使うのには適しています。新しい時代の移民の英語読みは載っていません。
TRPGではCoCにも使えます。TORGのサイバー教皇領あたりだと特にカトリックの守護聖人の名前が多いはずです。ちょっと前のフランスでは名前は誕生日で決める法律がありました。20年くらい前、その法律が廃止になったのが話題になったと思います。
西部劇のキャラクター名もやはり生まれた誕生日の守護聖人の名前が使われていてもおかしくありません。
守護聖人の名前で日にちを指定して約束をすることも習慣的に行なわれているそうです。ちょっと日本人の我々には分からないですね。日本では厳密にはやらなくてもいいです。職業上の聖人や、誕生日ではなく洗礼日とか、太陽暦ではなかったりします。
つまり、適当な名付けは敬虔なキリスト教徒の家庭ではあまり考えられないのです。使えそうな名前が守護聖人系統の名前ならば誕生日が決まってしまいます。宗派の違いも微妙にあって、プロテスタントだけの守護聖人があったりします。
またロシア人の名前はこのように名字が男女で変わります。ビルマ人には苗字(ファミリーネーム)がないそうです。世界中、いろいろです。
ミレニアムズ・エンドやガンドッグあたりにも使えるでしょう。
守護聖人関係はこちらで調べました。
ダメージの処理ですが、いろいろ銃器火砲関係の本を紹介してきました。ストッピング・パワーの式が載っていますが、疑わしいです。
人体実験をするわけにはいかないし、でっち上げというわけにもいかないです。
僕はこのような本を参考にしました。現実の医学一般書です。
(この処理が抽象的とかいうコメントを頂きましたが開発スタッフで全容を知っている方は現在、4人ですね。部分的に知っている方は多いでしょうが。)
津田征郎 著
[目次]
「BOOKデータベース」より
山口典孝, 左明 著 ; 石井直方 監修
「筋力トレーニング」「ストレッチ」「生活動作」「スポーツ動作」-身体を動かす・支える筋肉がひと目でわかる。
「BOOKデータベース」より
[目次]
「BOOKデータベース」より
こちらは医学書ですが診断基準の本であまり参考になりませんでした。
人体相手では、通常、狙点は体外にぶれます。的当てでも、ギャラリーがいるときなどメンタルコントロールが出来ていない場合、狙点はぶれます。
下は主に高速物体の命中部位判定用の非常に簡略なゲームシステムです。矢印の線端が楕円を描きます。
走っているターゲットやロボット、飛んでいる飛行機やヘリなどの命中部位判定に用いることが出来ます。使用しているのはPE(Probable Error)を使ったCEP(厳密に言うとCEPは二次)です。60Dの角度(秒針)の半径で考えるので一次元です。全く同じ手間で楕円も求められます。僕が考えた方法はアルキメデスの楕円コンパスと同じ方法でした。楕円の同心円という性質を再現できます。
半数必中界(5割の命中確率)の半径が与えられることによって、命中可能性が直観的に分かります。
この数表は正規分布の分散が片面50%を示すようにした表です。
60Dと60Dを使います。一度目の60Dでおおよその命中の成否が分かります。
掛け算を使いますが、カーソルのない計算尺を付属させるので、おおよその値(それしか必要ないので)が電卓がなくても求められます。
最低命中確率は [SYS]最低命中確率、ターゲットのサイズについては [SYS]ターゲット・シートから身長を求める。(わけがわからないとコメントされた方がいましたが)で検討済みです。
ターゲット・シートはPDの映画キャプチャやイラスト、コスプレ写真などを用います。
ターゲットとの距離の処理は、距離の二乗×半数必中界の大きさです。
オフラインでは計算機器がなければ、上の度数分布の表の方が素早いのですが、正規乱数を用いて細かな数値を出すことができます。
ただし、この方式でも人数が多いと処理時間が多くかかってしまうので、勢力戦闘ルールを併用します。
©Wosam Takami 無断転載・無断転用を禁ず。
Phil Co 著 B-Sprout 訳
[目次]
河上正秀(しょうしゅう)先生の退官記念講演に行ってきました。
<間>と<対>の問題に至る実存からの出発の経緯をお話し頂きました。
退官記念講演というのは今年から始まった行事だそうです。
<間>というのは関係の抽象化で、<対>は対峙の抽象化として、前置きした上で、河上先生の身上もお話しくださいました。
河上先生は北陸から東京教育大教育学部教育学科に入学し、文学部に移り、卒業しても職はないと言われながらも、卒業し、修士課程に進んだときに学生運動の時代に突入し、大学が授業できなくなったそうです。
そのころあちらこちらの大学を擁する文京区は学生運動の大火に見舞われたそうです。
その後、東京大学大学院に進み、修士をおさめ、ドクターをおさめた。
研究は、キルケゴールの「単独者」の概念に興味を持ったことからはじまり、当時の学生にはニーチェの「超人」という19世紀の思想から、20世紀のサルトルが流行ったそうです。
ドイツの実存主義に興味は向かい、20世紀の前期ハイデガー、後期ハイデガーと辿り、ハイデガーのナチズムの暴露本「ハイデガーとナチズム」にショックを受け、ドイツ哲学は滅びるかと思われた。技術とナチズムの結合はドイツだけの問題ではなくどこの国にも生じうる。これは注意しなければならない。
東西ドイツの統一の頃、3Kという言葉が流行る。このころには熱気盛んな哲学議論が学生同士で行なわれることもなくなり、男子学生の白くて艶めかしい手(笑)が見られたとき、時節の転機を感じた。
今ではもっと若い世代では突き放すような友情関係は成り立たず、恋愛関係ではそれ以上に優しく接するようになった。
それはエゴノセントリズム「一人称化」と弁証法的に対になって出てくる「他者」(レヴィナスなど)との関係の重視で、かつてマス(大衆)から出た主体が論じられた文脈での行き過ぎだろうと。
<間>をどんどん技術化し、「一人称化」がすすみ、テレビ、スマホ、インターネット、ナビや、車社会、情報社会が拡張してくると、「ユートピア(utopia)」は「無い世界」という意味に変容する。
「単独者」や「主体性」は風化し、生の実感が喪失する。
パロールとエクリチュールの古代からの問題も底流にある。
以上が、実存主義を研究してきた河上先生の講演のおおよその内容です。
ホイジンガやカイヨワの遊戯論から、僕のような生臭哲学徒は、ちょうど講演のなかで触れられた、車と車同士のコミュニケーションが遊戯の世界に進出してきていると言えると思いました。
(ホイジンガのように遊戯を文化として捉える考えもありますが、文化の場合、とくに芸術は西村清和の主張の通り、表現の鍛錬から来る発露ですから、遊戯と芸術は僕は区別します)
テレビゲームによって、相手の顔を見ないゲームがより普及しました。チェスの試合を新聞広告によってやり取りするようなことが、テレビゲームではごく当然になっています。
本来遊戯というものは相手の表情に笑顔があることを信じて行なわれるものなので、<対>が、対峙が原則です。
とくにTRPGの場合、オンラインでプレイするようなときには、Skypeのような、顔や声色から相手の感情が推し量れることなしには、全く別の、つまり、イリンクスの仮面を挟んだ間接的なコミュニケーションになります。
TRPGではもともとプレイヤーキャラクターという仮面の上に、さらにプレイヤーとしての仮面を付けることになってしまうのです。
これはオンラインを問わず、実際に対峙し、TRPGプレイサークルのメンバーとしての仮面を付けていても同じことが言えるでしょう。
胸襟を開かないか、自分のことに触れないのは匿名のペルソナ(仮面)を付けていることと同じです。
我々は、車の運転手同士が互いの表情を見ないで往来するように、互いに互いを対峙させようとせず、ゲーム、ルールやシナリオの本質といういわば、関係性の技術に頼って、遊戯をしようとしているのでしょうか。
否、車やルートを変えるように、ゲーム、<間>を変えて何の解決になりますか。
TRPGのゲームの本質は決断では成立しません。
アローの不可能性定理は、二人以上の社会で3つ以上の選択肢がある場合、社会的選択の成立は難しいと数学的に証明しました。
素朴なサイレントのゲーム理論の個人的な意志決定や葛藤、問題解決はTRPGのゲームの本質とは無関係です。
もしそういうセッションならばこれは数学的独裁者が主要になった一つのジャンルに過ぎないのです。 手を変え品を変えても飽きられたり、トラブルが起きるのは、まずもともとの遊戯の関係が失敗しているのです。
オイゲン・フィンクや西村清和の論じるような遊戯の本質には、互いの笑顔の存在を信じた関係があり、それは現世の生死や研鑽とは隔絶した、魂の永遠性を信じることができるような所在、ユートピアがあると想定します。
そのユートピアを感じ信じることができる人たちにのみ、遊戯は開かれているのです。
一人称に閉じこもり、ペルソナをもってしか対峙できない非単独者・非主体には、遊戯を担うことは許されないのです。
単独者・主体の対峙の度合いこそが、遊戯の均衡です。
シーソー遊びに釣り合う関係のように、遊戯を互いに楽しむ関係としてそれこそが必要なことではないかと思います。
この均衡は遊戯の関係に自分の利害関係である商売を持ち込まれることでも崩壊する説明にもなるでしょう。
氷川霧霞さんが紹介されています。
『ゲームメカニクス』(1)ゲームメカニクスのデザイン
『ゲームメカニクス』(2)創発型と進行型
マキネーションダイアグラムについて重点を置いて書かれている本です。ペトリネットと近く、トランジションやその発火がない記法です。ペトリネットと同じくデッドロックも解析できます。
ペトリネットよりもよりゲームシステムを表現しやすそうです。SBクリエイティブ ダウンロードコンテンツ『ゲームメカニクス』にダウンロードコンテンツがあります。
ゲームメカニクス : おもしろくするためのゲームデザインアーネスト・アダムス, ヨリス・ドーマンズ 著 ; ホジソンますみ, 田中幸 訳 ; バンダイナムコスタジオ 監修 いかにメカニクスをデザインし、テストし、そしてチューニングするか。時代に左右されない、根源的なゲームデザインの原則と実践を伝授。 「BOOKデータベース」より [目次]
「BOOKデータベース」より |
THE COMANCHEROS(1961)
監督: マイケル・カーティス
製作: ジョージ・シャーマン
原作: ポール・I・ウェルマン
脚本: ジェームズ・エドワード・グラント
クレア・ハフェーカー
撮影: ウィリアム・H・クローシア
振付: ハル・ベルファー
音楽: エルマー・バーンスタイン
出演
スチュアート・ホイットマン
ジョン・ウェイン
リー・マーヴィン
アイナ・バリン
ブルース・キャボット
ネヘミア・パーソフ
マイケル・アンサラ
ハリー・ケリー・Jr
ジャック・イーラム
関係 |
1843年ニューオーリンズで、立会人のもとの紳士的決闘で勝ったが相手が決闘を嫌う判事の息子だったため、指名手配を受けたモンシュア・ポール・リグレット。 逃避行ながら優雅にミシシッピの外輪船でギャンブルを楽しんでいたが、謎の美人にサロンで接触され、ワインの誘いに乗る。金目当ての女だと誤解していた。 |
変化 | |||
コマンチェロの捜査には監視役のトーブが遠くからつく。コマンチとも遭遇するが、タバコを渡して挨拶するだけだった。カッターとリグレットは武器商人として、コマンチェロと接触。銃を渡すが撃針を抜いてあるとして、金を受け取ったら渡すという交渉は決裂。二人は手首がらぶら下げられる刑にかけられる。船で会った謎の美人が通りかかり、二人を降ろすよう命じる。 |
解釈 |
力の上下関係で人間関係が決まるという主張に、そうではない象徴として愛を謳った。 |
【DVD】コマンチェロ/ジョン・ウェイン [FXBDC-1177] ジヨン・ウエイン |
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