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カイヨワの「遊びと人間」より。抜粋。
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アゴン |
アレア |
ミミクリ |
イリンクス |
パイディア |
競争 |
鬼を決める |
子供の物真似 |
子供の |
われわれの求めるTRPGはルドゥスのあるミミクリとアゴンであって、アレアやイリンクスは求めない。ミミクリのルドゥスこそが「ストーリー性」「ロールプレイ(役割分担ではなく役割演技)」である。
なお、ミミクリはイリンクスと結びつきやすいのは、アゴンがアレアと結びつきやすいのと同様である。これは遊び全体に言えて、TRPGの特有の傾向ではない。
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社会機構の |
社会生活に |
堕落 |
堕落の内訳 |
アゴン |
スポーツ |
企業間の競争 |
暴力、 |
成功だけを目的とするようになる。 |
アレア |
富くじ |
株式投機 |
迷信、 |
遊戯者が偶然を尊重しなくなる。 |
ミミクリ |
カーニヴァル |
制服、礼儀作法 |
狂気[疎外] |
模擬が模擬でなくなると、自分を他者であると信じ、それに従って行動し、本当の自分を忘れる。表面だけでなく奥深いところで自分が自分でなくなる。 |
イリンクス |
登山、スキー |
眩暈の統御を |
アルコール中毒、 |
望ましい興奮や官能的パニックを、人は薬品[麻薬]かアルコールに求めることになる。 |
ミミクリによる堕落やパイディア傾斜の回避に、奇妙な(鏡氏の)自由論、つまりミミクリのパイディアを目論みアゴンへのルドゥス否定で結局アゴンのパイディア傾斜(又は堕落)に走る論や、ゲーム理論を盾にした(馬場氏の)大層なアゴンへの傾斜による(イリンクスに関与しやすい)ミミクリのルドゥス否定論は具体例とさせていただくが、TRPG論考サイトで認められると思う。
創造的、生産的な組み合わせは競争と模擬、アゴンとミミクリである。カイヨワ氏はこの組み合わせは滅多にないとしながら、この二つにこそ生産的創造的要素が認められるとしている。TRPGはゆえに、生産的で創造的な遊びであることを宿命付けられている。
堕落が起きなければいいだけのことを、百家争鳴の喧々諤々の議論になるのはおかしなことで、創造的、生産的なことをもっと語るべきだと思う。
また、「補論: 二 教育学から数学まで 2 数学的分析」には、ゲーム理論についての遊びへの適用の全く正当な反論が述べられており、僕もカイヨワ氏と意見を一致する。数学者がカードゲーム程度の確率を求めたり、意志決定論を述べたとしても、人間は遊びに合理的選択を強制されては楽しめない。
「補論: 三 遊びと聖なるもの」には、肝に銘じたい箇所がある。
「ごまかしをやるものよりも悪いものがいることも、忘れてはならない。それは、規則を馬鹿にしたり、規則には根拠がないと言ったりして、遊びを拒み、あるいは蔑む者である。(中略)こういった「祭に水をさす人」(aguafiestas)すなわちうわべだけの懐疑論者や、疑い深い人ほど、文化にとってぶちこわしなものはないのだ。彼らは、何事につけても薄笑いをうかべ、そのことで、自分を偉いものに見せられると無邪気に思いこんでいる。自分たちで、もっと愉快でもっと大事な新しい遊びの規則を作ろうという心づもりで偶像を破壊し、?聖を行っているなら話は別だが、そうでないかぎり、彼らは、無限の苦労が蓄積してきた貴重な宝を、徒し心から傷つけているにすぎないのだ。」
とある。自戒としたい。