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ノエシス・ノエマ フッサールの現象学 |
フッサール
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第二部 反省理論と解釈理論 |
ハイデガーがなぜ、デカルトが「客観」という概念を残したのかについて、「存在と時間」では、デカルトが、神の存在を疑うことのできなかった時代背景にあったからだと指摘している。
主観・客観の二元論はこのようなかたちで、神の解釈は絶対的な定言命題であり、解釈学的循環は起こらない。図にするとこのような感じ。
一方フッサールが経験の次元で見つけた解釈学的循環は、あえて図にすると、僕の解釈ではこうなる。
◎ [TRPG]1.TRPG解釈学論性、資料の目次
第二部 反省理論と解釈理論 |
図示するとこのような解釈学的循環がシュライエルマッハーの有機体の論理でしょうか。
ディルタイは、この節にも触れられていますが、
で示したように、以下の図示でよろしいかと思います。
解説 |
TRPGであるからこそ、われわれが、PLとしてPCを用いて遊ぶとしても、PCはどこまでいっても<他者>であって、さらにはPCはハイデガーのいうような道具的存在に過ぎない。PLとPL同士も、またPLとGMもまた<他者>である。ただし、この<他者>はTRPG上で、「配慮(気づかい)」しあう存在の共同体に他ならない。
われわれがどんなに感情移入し、自己同一視しようとも、<他者>の(例えば)虫歯の痛みを同様に体験して、痛みを計測しているのではない。
われわれが、感情移入し、自己同一視しようとする一面とは、<他者>の(例えば)虫歯の痛みを同様に体験して、痛みを計測しているのではなく、<他者>への「配慮(気づかい)」のうちでのわれわれのあり方の問題でしかない。
例えば、演劇で感情移入するときに、ハムレットの苦悩を測っているのではなく、配慮(気づかい)を伴う解釈を俳優の表現によって、われわれが行っている。
さらに、その解釈の前には「相(アスペクト)」というわれわれの知覚しうる、いわば意識の枠組を通して、気づかされている。
芸術作品の「美」はそれを解釈する側にある「相(アスペクト)」がなければ、作品とコミュニケーションをとることができない。
解釈する側にある「相(アスペクト)」とは、虫歯の痛みも一度も体験したことがなければ、指標としてはないし、美もまたおなじように、一度も体験したことがなければ、指標はない。
もちろん、TRPGの面白さは、それを知覚するための指標、「相(アスペクト)」によって、枠組付けられた中に解釈される。
もしわれわれのTRPGでのコミュニケーションのやりとりのなかに、別次元の様式や、高次元の様式、基底部の次元があるとしても、それは堂々巡りの差別化を企てた、単なる対応照応関係があるだけに他ならず、「異なるコミュニケーションの様式(TRPGでのコミュニケーション)」であることを示せば、認めるだけのことに過ぎない。
様々な学問領域から、安易に用語を持ち込んできたりしても、僕は次のように警鐘を鳴らす。
僕が、無神経に誠実に指摘しておきたいことは、TRPGを語る上での、別のことを語ることの問題には、TRPGの向上や普遍化などといったためには何にも役に立たない、雑談に過ぎないことを、方法論的に得られる結果を想定している(例えば数学理論、メタ言語学など)のにもかかわらず、あえて適用して、客観的事実や観点として信じさせる方法的欺瞞で強弁することで、TRPGに、そしてそれを楽しむ人に、あだなすこと、混乱させること、誤解させること、惑わすことなどこそが、本来的に注意すべき重大なことであるという認識があるかということです。
解説 谷 徹 |
第二節 現象学の意図と方法 |
第一部 現象学と解釈学――その接近と提携 |
現象学と解釈学 新田義弘(ちくま学芸文庫) |
まえがき |
第一部 現象学と解釈学――その接近と提携 第一章 現代ドイツ哲学の動向――学的認識から経験へ 2.TRPGの解釈論性:解釈こそは技術である 3.TRPGの解釈論性:現象学は学の域を規定する 第二章 現象学の歴史的諸展開――本質現象学から「人間と世界」の現象学へ |
第二部 反省理論と解釈理論 第四章 現代哲学の反省理論 6.TRPGの解釈論性:解釈学的循環、有機体の論理 7.TRPGの解釈論性:解釈学的循環、有機体の論理(2) |
第三部 現象学の近代批判 第七章 ハイデガーによる技術批判 |
第四部 媒体性の現象学への道 第十章 近さと隔たり――隠れたる媒体についての所感 |
初出一覧 4.TRPGの解釈論性:解説から。 5.TRPGの解釈論性:解説から。(2) 索引 |