第二部 反省理論と解釈理論
第六章 解釈学の論理と展開
第一節 解釈学の論理を制約しているもの
とにかく解釈学の論理の事象的な基盤となっているものは、いったい何であるのだろうか。(中略)
まず第一に挙げられるのは、人間の知が原理的に免れえないパースペクティヴ性(Perspektivitat)または視点による拘束性(Gesichtspunktgebundenheit)である。第二に(中略)人間にとって生きられる論理としての「有機体(Organismus)」の論理が挙げられる。さらに、第三に記憶の固定化としての書物(Schrift)の原理が挙げられる。
第二節 解釈学的循環 哲学的解釈学の展開
まずこの循環の働きが知見(ケントニス)を学問にまで高める場合に必要であること、そしてとくにテクストの読解(レーゼン)において生起すること、このことを定式化したのは、シュライエルマッハーである。彼は次のように語っている。
「どんな場合でも完全な知識は、この見かけのうえの円環の内にある。すなわち個々の特殊なものは、それが部分をなしている一般的なものからのみ理解されうるとともに、その逆でもある、という円環の内にある。そしてどのような知識であれ、このように形成される場合にのみ学問的である。だから解釈されねばならないものは一度に理解されるのではなく、むしろどのような生も、先行的な知見(フォルケントニス)を豊かにすることによって初めて、よりよき理解をもたらすことができる。重要でないものの場合には、われわれは一度に理解されたもので十分である」
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図示するとこのような解釈学的循環がシュライエルマッハーの有機体の論理でしょうか。
ディルタイは、この節にも触れられていますが、
2.TRPGの解釈論性:解釈こそは技術である
で示したように、以下の図示でよろしいかと思います。
◎ [TRPG]1.TRPG解釈学論性、資料の目次