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 TRPGであるからこそ、われわれが、PLとしてPCを用いて遊ぶとしても、PCはどこまでいっても<他者>であって、さらにはPCはハイデガーのいうような道具的存在に過ぎない。PLとPL同士も、またPLとGMもまた<他者>である。ただし、この<他者>はTRPG上で、「配慮(気づかい)」しあう存在の共同体に他ならない。

 われわれがどんなに感情移入し、自己同一視しようとも、<他者>の(例えば)虫歯の痛みを同様に体験して、痛みを計測しているのではない。

 われわれが、感情移入し、自己同一視しようとする一面とは、<他者>の(例えば)虫歯の痛みを同様に体験して、痛みを計測しているのではなく、<他者>への「配慮(気づかい)」のうちでのわれわれのあり方の問題でしかない。

 例えば、演劇で感情移入するときに、ハムレットの苦悩を測っているのではなく、配慮(気づかい)を伴う解釈を俳優の表現によって、われわれが行っている。
 さらに、その解釈の前には「相(アスペクト)」というわれわれの知覚しうる、いわば意識の枠組を通して、気づかされている。

 芸術作品の「美」はそれを解釈する側にある「相(アスペクト)」がなければ、作品とコミュニケーションをとることができない。
 解釈する側にある「相(アスペクト)」とは、虫歯の痛みも一度も体験したことがなければ、指標としてはないし、美もまたおなじように、一度も体験したことがなければ、指標はない。

 もちろん、TRPGの面白さは、それを知覚するための指標、「相(アスペクト)」によって、枠組付けられた中に解釈される。

 もしわれわれのTRPGでのコミュニケーションのやりとりのなかに、別次元の様式や、高次元の様式、基底部の次元があるとしても、それは堂々巡りの差別化を企てた、単なる対応照応関係があるだけに他ならず、「異なるコミュニケーションの様式(TRPGでのコミュニケーション)」であることを示せば、認めるだけのことに過ぎない。
 様々な学問領域から、安易に用語を持ち込んできたりしても、僕は次のように警鐘を鳴らす。

 僕が、無神経に誠実に指摘しておきたいことは、TRPGを語る上での、別のことを語ることの問題には、TRPGの向上や普遍化などといったためには何にも役に立たない、雑談に過ぎないことを、方法論的に得られる結果を想定している(例えば数学理論、メタ言語学など)のにもかかわらず、あえて適用して、客観的事実や観点として信じさせる方法的欺瞞で強弁することで、TRPGに、そしてそれを楽しむ人に、あだなすこと、混乱させること、誤解させること、惑わすことなどこそが、本来的に注意すべき重大なことであるという認識があるかということです。

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