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この哲学書における現象学と解釈学の邂逅とは、次の記事に挙げる地平の開けにおいて、

 「存在者(意味)と存在(意味母胎)との関係」
 「存在(意味母胎)から存在者(意味)が生じてくる運動を、その内側から解明する」

 ことにある。
 読み進めて行くには、大きな手がかりです。

解説

谷 徹

 反省が理論的(テオリア的)な営みだとすると、反省以前の次元は実践的(プラクシス的)な次元である――この場合の実践は、理論の応用や実行でもなければ、理論理性の上位次元でもなく、理論に先行する次元である。(中略)ただし、世界は「受動的原信念」と言う仕方で経験されている。(中略)自我は「対象」に(中略)「能動性」を発揮するが、その能動性は、あくまでも対象の地盤として(目立たない)世界の存在の「受動的原信念」を前提しているのである。
(中略)
 反省以前には、自我は、それが反省において形成しようとする閉域をまだ形成しておらず、世界の存在に開いているのである。この開いた関係のなかには、身体が介在し、さらにまた間主観的な他者が介在している。自我は、この開いた関係の中で動機づけられている。(中略)実践という問題次元は、自己意識と世界の開放的・動的な関係を、実践的な問題次元は、開いているのである。
 こうして、現象学は、反省哲学を克服して、この新たな開放的動的関係を見出す。しかし、これは、反省や対象化という方法の自己克服を要求する。この時、現象学的な自己意識はこの開放的・動的関係そのもののなかに入り込んで、いわばみずからこの関係を実現・成就していこうとするのである。ここに現象学の方法的転回が生じる。これは、自我の閉域の「外部」あるいは「下部」からの呼び声に従った、ある種の目的論的転回である(略)。
 この点を踏まえると、新田氏の試みがいっそう明確になるだろう。つまり、氏は、地平と自我の閉域とを越えて、存在者(意味)と存在(意味母胎)との関係を問い、しかも後者から前者が生じてくる運動をその内側から解明しようとしているのである。


◎ [TRPG]1.TRPG解釈学論性、資料の目次

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