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GameDesign 西部劇TRPG開発日誌

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[TRPG]ストーリーメーカーを読んで

 大塚英志先生のストーリーメーカーを拝読させていただきました。非常にわかりやすくプロップの考え方を解説されています。


ストーリーメーカー : 創作のための物語論

大塚英志 著

あなたが漠然と抱えているストーリーの種は、どうすれば作品として結実させることができるのか?神話や民話の構造分析から導き出された物語論を概観し、30の質問に回答していくことで物語のプロットを作成する。ベストセラー『キャラクター小説の作り方』『物語の体操』をさらに発展させた、超実用的創作入門。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • 第1部 創作のための五つの物語論(物語の基本中の基本は「行って帰る」である-瀬田貞二『幼い子の文学』
  • 物語を構成する最小単位とは何か-ウラジミール・プロップ『昔話の形態学』
  • 英雄は誰を殺し大人になるのか-オットー・ランク『英雄誕生の神話』
  • 世界中の神話はたった一つの構造からなる-ジョセフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄』
  • ハリウッド映画の物語論-クリストファー・ホグラー『神話の法則』)
  • 第2部 ストーリーメーカー-30の質問に答えてあなたの物語をつくる(主人公の内的な領域を設計する
  • 物語の構造を組み立てる)

「BOOKデータベース」より

 G.ロダーリのものは過去記事のここで触れています。Grammatica della fantasia. Introduzione all'arte inventare storie, (『ファンタジーの文法』窪田富男訳、筑摩書房)は、1973年に発表されています。ジョーゼフ・キャンベルはThe Hero with a Thousand Faces(千の顔を持つ英雄)を1949年に出版、C.ボグラーは、G.ロダーリの著書を参照したかどうかはわかりません。
 G.ロダーリの方が一歩早く、創作や教育に応用することを試み、C.ボグラーは、スター・ウォーズ以降ですから1977年以降での展開でしょう。
 この著書の中でウラジミール・プロップの物語の構造を機能ではなく心理学においた構造に対応させる表があるのですが、僕が考える構造では以下のように対応すると思います。

ウラジミール・
プロップのカード

レッジョ・エミーリアでの
G.ロダーリのカード

ヒーローズ・ジャーニー
C.ホグラー

千の顔を持つ英雄
J.キャンベル

(1)留守(不在)

(2)禁止

(1)禁止

(3)違反

(2)違反

(4)捜索(情報の要求)

(5)密告(情報入手)

(6)謀略・策略

(7)黙認・幇助

(8)加害(もしくは欠如)

(3)加害
(もしくは欠如)

(1)日常の世界

(9)調停・派遣

(2)冒険への誘い

(1)「出立」
冒険への召命

(10)主人公の同意・
任務の受諾

(3)冒険への
拒絶

(2)召命の辞退

(11)主人公の出発

(4)主人公の出発

(5)任務

(6)魔法の授与者
との出会い

(4)賢者との
出会い

(12)魔法の授与者に
試される主人公
(先立つ働きかけ)

(13)主人公の反応

(5)第一関門突破

(14)魔法の手段の
提供(獲得)

(7)魔法の贈り物

(6)仲間・敵対者/テスト

(3)超自然的
なるものの援助

(15)主人公の移動
(空間移動)

(7)最も危険な
場所への接近

(4)最初の境界の越境

(5)鯨の胎内

(8)敵対者の出現

(7')複雑化

(6)「イニシエーション」
試練への道

(7)女神との遭遇

(9)敵対者の悪魔的能力

(8)誘惑者としての
女性

(16)主人公と敵対者
との抗争(闘争)

(8)最大の試練

(9)父親との一体化

(17)狙われる
主人公(標付け)

(10)決闘

(10)神格化

(18)敵対者に対する勝利

(11)勝利

(19)発端の不幸
または欠如の解消・回復

(9)報酬

(11)終局の報酬

(20)主人公の帰還・帰路

(12)帰還

(10)帰路

(12)「帰還」
帰還の拒絶

(21)追跡される主人公

(13)呪的逃走

(22)主人公の救出・脱出

(14)外界からの救出

(23)主人公が身分を
隠して家に戻る
(気づかれざる帰還)

(13)家への到着

(15)帰路境界の越境

(24)にせ主人公の
主張(偽りの主張)

(14)ニセの主人公

(16)二つの世界の
導師

(25)主人公に難題が
課される

(26)難題の実行(解決)

(15)困難な試練

11.再生

(17)生きる自由

(16)損害の償い

(27)主人公が再確認・
認知される

(17)主人公であることの
再確認

(28)にせ主人公
あるいは敵対者の仮面が
はがれる(露見する)

(18)仮面をはがされた
ニセ主人公

(29)主人公の新たな変身

(30)敵対者の処罰

(19)敵対者の処罰

(31)主人公の結婚
(ないし即位)

(20)結婚

12.帰還



ウラジミール・プロップの機能(ファンクション)カード

原則1 民話の恒常的で不変の要素は登場人物たちの機能である。この場合それぞれの機能がどんな人物によって、あるいはどんな方法によって為されるか、ということとは関係がない。

原則2 魔法民話の中に出てくる機能の数には限度がある。

原則3 機能の継起順序は常に同一である。


 

すべての民話にすべての機能があらわれるわけではなく、筋運びで省略、併合、統合がされる。はじまりの機能は途中からという場合もある。抜かした経過を取り戻すために後戻りすることがある。機能にはその反対の場合を含むこともある。


 この原則を、平易な理解を助ける解説中に挿入されてありますが、明確に掲げていないので、ちょっと混乱される方がいると思います。

 日常・非日常の往来を論じていますが、「らきすた」や「じょしらく」のような日常とは言えないような非日常の中での完結もあります。「まどか☆マギカ」のようなイニシエーションによって非日常(世界・宇宙)へ旅立ったまま完結するものもあります。「翠星のガルガンティア」のように非日常(戦い)が日常へ完結するものもあります。日常・非日常の概念によるレッテルは、ちょっとコミットできないと僕は思いました。

 西部劇も他のどんな物語にもプロップの構造があるということには、僕は哲学科の学生の頃から説得されてきました。TRPGへの応用は、90年から知らせてきました。ナラティブ理解の参考資料としては、全く関係がないかな、と、思いました。

 もう一つ、ロシア構成主義と喧伝していることが全く理解できませんでした。一般的にはソシュールの影響下の構造主義の先駆として捉えます。美学論として展開するならば、そのセオリーも関係するかも知れませんが、独特の位置づけで困惑しました。こういった手引き書にポリティカルなメッセージ(スターリン批判)を盛り込むのはおかしいと思います。



神話の法則 : 夢を語る技術 : ライターズ・ジャーニー  5

ボグラー クリストファー<Voglar Christopher>;講元 美香【訳】;岡田 勲【監訳】

シナリオ・テクニックの世界的なベストセラー!「ライターズ・ジャーニー」日本語版。本書は心理学の巨匠カール・G・ユングと「ヒーローズ・ジャーニー」のジョーゼフ・キャンベルの深遠なるコンセプトを発展させた人生という旅のガイドブックでもある。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • プロローグ 旅の準備
  • 第1章 マッピング・ザ・ジャーニー(旅の地図)(プラクティカル・ガイド(実用書)
  • アーキタイプ(元型) ほか)
  • 第2章 ステージ・オブ・ザ・ジャーニー(旅の舞台)(オーディナリー・ワールド(日常の世界)
  • コール・トゥ・アドベンチャー(冒険への誘い) ほか)
  • エピローグ 旅を振り返って(愛に溺れて:『タイタニック』
  • メイン・ストーリー:日常の世界 ほか)

「BOOKデータベース」より


千の顔をもつ英雄  上

ジョゼフ・キャンベル 著 ; 平田武靖, 浅輪幸夫 監訳

[目次]

  • プロローグ 原質神話
  • 第1部 英雄の冒険(出立
  • イニシエーション)

「BOOKデータベース」より


千の顔をもつ英雄  下

ジョゼフ・キャンベル 著 ; 平田武靖, 浅輪幸夫 監訳

[目次]

  • 第1部 英雄の冒険(帰還
  • 鍵)
  • 第2部 宇宙創成の円環(流出
  • 処女出産
  • 英雄の変貌
  • 消滅)
  • エピローグ 神話と社会

「BOOKデータベース」より


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[TRPG]Facial Action Cording System(FACS)

 心理学では、P.エクマンのFACS(Facial Action Cording System)という表情のアクションユニット(AU)が研究に用いられているそうです。ここに大体紹介されています。英語のwikiはこちら

 TRPGでは、キャラクターの演技を論じることが多いですが、こういったAUを使いこなすまでの演技は求められていません。GMであろうとPLであろうと、キャラクターの表情を言葉で表現します。ここでは、その参考になるかと思って紹介します。


FACSのアクションユニット(Facial Action Coding System)
1 眉の内側を上げる
2 眉の外側を上げる
3 欠番
4 眉を下げる
5 上瞼を上げる
6 頬を持ち上げる
7 瞼を緊張させる
8 唇を互いに接近させる
9 鼻にしわを寄せる
10 上唇を上げる
11 鼻唇溝を深める
12 唇両端を引き上げる
13 唇をするどく引き上げる(頬を膨らませる)
14 えくぼを作る
15 唇の端を下げる
16 下唇を下げる
17 下あごを上げる
18 唇をすぼめる
19 舌を出す
20 唇の端を横に引く
21 首をこわばらせる
22 唇を押し出す
23 唇を固く閉じる
24 唇を押さえつける
25 顎を下げずに唇を開く
26 顎を下げて唇を開く
27 口を大きく開く
28 唇を吸い込む
29 下あごを突き出す
30 顎を左右にずらす
31 歯を食いしばる
32 唇をかむ
33 ブロー(開口)
34 パフ(閉口)
35 頬を吸い込む
36 舌で頬を突き出す
37 舌で唇をふく
38 外鼻孔を拡大する
39 外鼻孔を縮小する
40  
41 上瞼を(力なく)下げる
42 薄目
43 目を閉じる
44 薄目にする
45 まばたく
46 ウィンクする

 6+15(頬を持ち上げる)(唇の端を下げる)のように、言葉で表現し表情が上手くとれなくても、キャラクターの心理描写を表すことができるでしょう。

 載っていた本は、



 P.エクマンをモデルとした作品は、





 P.エクマン氏の著作の邦訳は、


 

[Design]ルールズ・オブ・プレイ


ルールズ・オブ・プレイ : ゲームデザインの基礎  上

ケイティ・サレン, エリック・ジマーマン 著 ; 山本貴光 訳

どうして人はゲームで遊ぶのか?いったい何が意味ある遊びを生み出しているのか?すべてはよりよいゲームを作るために。ゲームデザインの観点から、ゲームとその遊びを知り尽くす。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • 序:フリッツ・ランツ
  • はじめに
  • この本について
  • デザインの進め方
  • 依頼エッセイ:ライナー・クニツイア
  •  
  • ユニット1 核となる概念
  • 意味ある遊び
  • デザイン
  • システム
  • インタラクティヴィティ
  • ゲームを定義する
  • ディジタルゲームを定義する
  • 魔法円
  • 主要図式
  • 招待ゲーム1:リチャード・ガーフィールド
  •  
  • ユニット2 ルール
  • ルールを定義する
  • 三つの水準のルール
  • ディジタルゲームのルール
  • 創発システムとしてのゲーム
  • 不確かさのシステムとしてのゲーム
  • 情報理論システムとしてのゲーム
  • 情報システムとしてのゲーム
  • サイバネティックシステムとしてのゲーム
  • ゲーム理論システムとしてのゲーム
  • 対立のシステムとしてのゲーム
  • ルールを破るということ
  • 招待ゲーム2:フランク・ランツ

「BOOKデータベース」より



 

ルールズ・オブ・プレイ : ゲームデザインの基礎  下

ケイティ・サレン, エリック・ジマーマン 著 ; 山本貴光 訳

ゲームが作り出す遊びとは?ゲームが取り囲まれている文化とは?意味ある遊びを生み出す原動力とは?ゲームデザインの観点から、ゲームとその遊びを語りつくす。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • ユニット3 遊び
  • 遊びを定義する
  • 経験の遊びとしてのゲーム
  • 楽しみの遊びとしてのゲーム
  • 意味の遊びとしてのゲーム
  • 物語の遊びとしてのゲーム
  • シミュレーションの遊びとしてのゲーム
  • 人づきあいの遊びとしてのゲーム)
  • 招待ゲーム3:キラ・スナイダー
  •  
  • ユニット4 文化
  • 文化を定義する
  • 文化の表現法としてのゲーム
  • 開かれた文化としてのゲーム
  • 文化的な抵抗としてのゲーム
  • 文化的な環境としてのゲーム)
  • 招待ゲーム4:ジェイムズ・アーネスト

「BOOKデータベース」より


 僕よりも先行研究されています。
 分厚い本ですが、ゲームデザインには必読書です。

 ゲームについて論じる方向として僕は間違っていないと確信できました。
 人を自分の作ったゲームで楽しませたいと思うなら、こういった基礎部分の研究は当たり前でしょう。避けて通ることはできず逃げ道はありません。

 構造主義のレヴィ=ストロース、ソシュールや、ホイジンガ、ノイマン、カイヨワなど哲学者のアプローチを「当然」扱っています。


MDAフレームワークとゲーム性のセオリーとの一致と違い

 DiGRAJ-GD 12 04 2011 ケネス・チャン(またはこちら)のMDAフレームワークは、僕の方では全く別のアプローチ、TRPGから行なわれました。

 GameDesign 西部劇TRPG開発日誌 [TRPG]TRPGという媒体で西部劇を行うには。

 もう一つ、

 GameDesign 西部劇TRPG開発日誌 [TRPG]ローカルルールの問題・首ナイフの類題

 は、TRPGについて突っ込んでいます。

#引用開始#

 MDAフレームワークは、ゲームの本質を「アルゴリズムレベルのゲームの根本的な仕組みを示す『Mechanics(メカニックス)』」「Mechanicsから生み出される展開を示す『Dynamics(ダイナミックス)』」「プレイヤーに生まれる感情を示す『Aesthetics(アスセティックス)』」という」3段階に分割し、それぞれを言語化・モデル化することで、ゲームデザインの評価、分析、研究へと繋げていく手段として活用するものです。

アナログゲームを通してMDAフレームワーク理論を学ぶ「MDAワークショップ(初級編)」体験レポート   インサイド

#引用ここまで#

 僕はアルゴリズムの前提に「ゲームが出来るコミュニケーション(人間関係)」をハノイの塔のように土台として説明しています。
 あながち、間違った考えではないことを確認できました。これは、

それでもなお、「これはゲームの面白さかな?」とか考えたり悩んだりするわけですな。どこまでがゲームメカニクスの面白さかな、とか、どこからは思いやりや盛り上げに依存しての面白さなのかな、相手が好きな人だからという楽しさかな、とか。

2011年11月21日 - 7:47

という、やり取りで思いいたりました。感謝いたします。


[TRPG]コミケC83で購入した同人TRPG


[TRPG]葛藤について。

 葛藤とは何か


 日本語では、「葛藤」は、新・漢語林によると。



 #引用開始#

1 くずとふじ。
2 (仏教)(ア)煩悩のたとえ。(イ)法門のわずらわしいもつれ。(ウ)禅の問答。
3 (国語)もめごと。ごたごた。

#引用ここまで#「新・漢語林」


 ネットの辞書では。



 #引用開始#

葛藤

かっとう【葛藤 conflict】

抗争ともいう。ひろくは人間関係で個人間や集団間あるいは個人と集団間に反目や意見の衝突がある場合にも用いられるが,主として個人内に対立する二つ以上の動機(欲求,衝動,意見など)が同時に同じ強さで存在し,相争っている状態をいう。個人はその結果適切な行動をなしえないことになる。レウィンのトポロジーおよびベクトル心理学では,葛藤を個人がおかれている心理学的場の条件に基づいて,接近と接近の葛藤,回避と回避の葛藤,接近と回避の葛藤の3種類に分類している。

#引用ここまで# コトバンク 世界大百科事典 第2版の解説


 葛藤というのは、コンフリクト(conflict)が訳語で、心理学の用語です。
 心理学者のプルチック(最近知ったのですが、プラチック、プラチーク、プルチークというカナの当て方もあるようです)は強い感情が多種類、押し寄せた状態をコンフリクトとしています。



 ジレンマには論理学とゲーム理論の二つがある

 「ジレンマ」という言葉は、僕の知る限りでは学問的に、論理学、数学のゲーム理論の用語のニつがあります。

 論理学(哲学)でのジレンマは、「両刀論法と角」という論証ツールです。多分、国語上はこの意味合いで使ってはいないでしょう。意味合いとしては、競合する結論といったあたりです。



 #引用開始#

三・一三 両刀論法と角
Horned dilenmas

定義

 両刀論法は、批判の対象となる立場がいくつかの意味を持ち得るけれども、そのどれもが容認し難いものであることを示そうとします。つまり、「もしそうならダメ、もしそうでなくてもダメ」という選択肢を相手に突きつけるわけです。うえの例(引用者註:「生物の遺伝子操作のような科学の営みは間違っている。《自然を改変する》ことになるからだ。」)では、自分が支持した原理から不合理な帰結が導かれる(木を切ることすら誤りだ)ということか、または原理が実際に言おうとしている意味を正しく反映していないかのいずれかであることを批判者は認めなければなりません。いずれにしろ、批判者はにっちもさっちも行かない状況に追いやられてしまうのです。
 一般に、このタイプの両刀論法には二つの形があります。

構成的両刀論法

1 (XならばY)かつ(WならばZ)
2 XまたはW
3 ゆえに、YまたはZ

破壊的両刀論法

1 (XならばY)かつ(WならばZ)
2 Yでないか、またはZでない。
3 ゆえに、Xでないか、またはWでない

#引用ここまで#
「哲学の道具箱」ジュリアン・バッジーニ ピーター・フォスル著



 ゲーム理論で有名なのは囚人のジレンマです。どちらを考えても、自白(裏切り)が最善手です。






 このジレンマとコンフリクトを取り違えると、齟齬を生じます。ジレンマは論証のための言葉で、囚人の心中は想像しません。想像したくなる気持ちはわかりますが全く意味合いが違います。
 あくまで相手も自分も合理的に動くと仮定するのがゲーム理論です。




 氷川霧霞氏の言う葛藤とは何か


#引用開始#
葛藤

複数の選択肢が、どれももっともらしく感じられ、どれが最適解かを判断することも、決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ない。このため心中に悩みや迷いが生ずる状態であること。

結果に対する責任

選択/決断の結果が有為な差を生み、それが自分に跳ね返ってくる、逃れようなく責任を持たなければならない、という自覚があること。

アカウンタビリティ

複数の選択肢について、ある程度まで情報が与えられており、選択/決断した理由や根拠を自分なりにきちんと持っていること。

#引用ここまで#
「TRPGシナリオ作成の道具箱」氷川霧霞氏
「外へ向かう言葉(後編)」――『馬場秀和のRPGコラム』馬場秀和氏
http://www.scoopsrpg.com/contents/baba/baba_20000417.htmlより。


 つまり、心理的葛藤、コンフリクトの意味合いで用いています。
 
 ここで、極めて注意しなくてはならないことは、あくまでもゲーム一般のプレイヤーに対しての言及であることです。ロールプレイ・役割演技には、全く触れていないということです。
 しかも、この心理的葛藤はプレイヤーのものであって、TRPGのプレイヤーキャラクターとしての振る舞いには何も触れず、または、葛藤しているように見せるロールプレイ・役割演技でもないことにも注意しないといけません。
 そして、プレイヤーが意志決定するという大前提があります。
 これは非常に疑問を覚えます。

 葛藤は、「複数の選択肢が、どれももっともらしく感じられ、どれが最適解かを判断することも、決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ない。」のだと仮定するとします。
 しかも、「このため心中に悩みや迷いが生ずる状態である」ので、プレイヤーは何かを一体どうするのか、果たして、最適解の判断やアルゴリズムの適用が本当にできないのでしょうか。

 額面通りに、もし、最適解の判断や決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ないのなら、なぜ、心中に悩みや迷いが生ずる状態から抜け出られるのでしょうか。もし、抜け出せたとして、なぜ、結果に対する責任が果たせて、アカウンタビリティを持てるのでしょう。

 こんな疑問を感じずに、説得されてしまうのは、読解力がないとしかいえない。看過できず、混乱を引き摺ります。

 以降、ゲームトークンが、リソース管理が、選択/決断が……と、続きますが、「どれが最適解かを判断することも、決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ない。」ままです。そういった説明では葛藤からの逃げ道にはなっていません。最適解の判断やアルゴリズムを示してしまっています。

 これでは高々と掲げられた意志決定というのは、デタラメのランダムでスゴロクのマス目に従うことに過ぎないということでしょうか。

 つまり、この「葛藤」の定義は、好意的に考えても、間違っているということです。
 最適解を判断できてもいいのか、または、決まったアルゴリズムを適用して決めることができてもいいのか。これでは、「葛藤」の定義が崩れます。
 最適解を判断できたり、または、決まったアルゴリズムを適用して決められたり、ゲームトークンが、決断/選択が……云々で決められたりするならば、「葛藤」ではないのです。
 これを「葛藤の両刀論法」と命名します。この論法の欠陥です。

 防御方法としては、最適解を判断できるか、決まったアルゴリズムを適用して決めたりできるか、このどちらかか、そのある部分だけこのジレンマの角を抑えるか。

 もう一つは、最適解を判断しえず、決まったアルゴリズムを適用して決めたりできない、違う何かで、このジレンマの角から抜け出す方法を示さなくてはならないのです。意志決定はデタラメに従うことであるとか。理由も指針も論拠も、最適解の判断やアルゴリズムを示してはならないのです。

 このたちが悪い「葛藤の両刀論法」の「葛藤」の定義は放棄するしかないでしょう。「心中に悩みや迷いが生ずる状態であるまま」ゲームは進みません。

 ひとまず、この「葛藤」の定義は脇においておきます。両刀論法です。
 この「葛藤の両刀論法」の言明は、もっともらしく論者の都合を押し付ける詭弁です。つらつらと己の最適解のアルゴリズムだけが正しいと強弁するやり口です。

 この「葛藤」が登場してくる文脈に、氷川霧霞氏は、フォーカスを当てています。
 

#引用開始#
ゲームの参加者には、「管理資源」が与えられ、守るべき「制限」が明示される。そして、「障害」を克服して、「目標」を目指せ、と言われるのだ。目標にたどり着くための最適手は明白ではない(葛藤)が、一手一手の判断により形勢が変わることは明らかで(結果に対する責任)、不完全ながら「どのような手を打てば、どんな結果になりそうか」を判断できるだけの情報がある(アカウンタビリティ)。参加者は、このような条件下で、自分の手を選択/決断しなければならない。つまり“意志決定”が強いられる。

#引用ここまで#
「TRPGシナリオ作成の道具箱」氷川霧霞氏
「外へ向かう言葉(後編)」――『馬場秀和のRPGコラム』馬場秀和氏
http://www.scoopsrpg.com/contents/baba/baba_20000417.htmlより。


 目標にたどり着く最適手は明白ではないという葛藤とは、この引用文より前に定義されています。

 複数の選択肢が、どれももっともらしく感じられ、どれが最適解かを判断することも、決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ない。このため心中に悩みや迷いが生ずる状態であること。

 「葛藤」について、出典元はこのように書いていません。以下が出典元です。



#引用開始#

葛藤
葛藤が生じるには,言うまでもなくまず選択肢が存在していなければなりません。しかもその選択肢は,それぞれ一長一短であり,理詰めで考えてもどうにも決めがたい,というものでなければなりません。理詰めでは決められない,それでもなお,より良い選択肢を選ぶんだという意志を持って決定を下すのが「意志決定」なのです。

選択肢の不在
選択肢が無いという事で最もよく批判の対象として持ち出されるのがいわゆる「一本道シナリオ」です。過度にストーリィ性を重視したマスターがなぜ批判されるのか,もうみなさんは明瞭に理解できた事と思います。

最適解と意志決定
買い物の例を思い出してください。もし,コスト品質その他全ての条件で群を抜いた商品があるならば,迷わずそれを買えばよい事になります。また,選択肢が複数提示されていたとしても,考えを詰めれば「これが一番有利だぜ」というのが分かってしまうようなものも意志決定とは違います。なぜなら,そこには葛藤が無いからです。論理的な思考によって最適解を導き出しそれを選ぶというのは意志決定とは違うのです。

#引用ここまで#
「意思決定について」ラウール氏より。
http://trpg-labo.com/rpg/decision.pdf


 好意的に解釈することにします。
 選択肢は,それぞれ一長一短であり,理詰めで考えてもどうにも決めがたい,というものである
 のに、
 複数の選択肢が、どれももっともらしく感じられ、どれが最適解かを判断することも、決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ない
 という選択肢に改変されています。
 決めるのが難しいという話が、決められないとか判断も決定も不可能という話にされています。

 さらに、論理的な思考が、おそらく、決まったアルゴリズムを適用してにすり替えられていて、拡大解釈されているのがわかります。
 つまり、戦ってわかっている戦力不足をどうするかとか、何ラウンド持ちこたえられるかという算法(アルゴリズム)すら成立しないのです。ところが「論理的な」というのは、通例、理屈が成り立つとも読み替えられるような曖昧なニュアンスを持っています。

 出典元が述べているのは、初めのほうで提示した「かっとう【葛藤 conflict】コトバンク 世界大百科事典 第2版の解説」の意味合いであって、「葛藤の両刀論法」にはなっていません。

 さらにロールプレイ・役割演技について、以下のように、きちんと言及しています。



#引用開始#

「いろいろ迷ったんだけど,まず状況を冷静に判断するとA 案とD 案の二つに絞られる。どっちかというとA 案の方がよさそうなんだけど,慎重なこのキャラクターの性格からいってD 案を選ぶことにした」というのは,アカウンタビリティを満たしている一例といえましょう。

#引用ここまで#
「意思決定について」ラウール氏より。
http://trpg-labo.com/rpg/decision.pdf


 こうした記述を意図的に排斥しています。プレイヤーキャラクターの性格に沿って考えるアルゴリズムについて、根拠になっている出典元は、例まで挙げて肯定しているのです。
 さらに、出典元の結びはこうなっています。



#引用開始#

おわりに
以上で,意志決定についての説明を終わります。最初に申しましたように,意志決定はRPG において,またゲームにおいて中心的な楽しみとなるものです。それがきちんと理解できているかどうかは,特にマスターにとって非常に大切な事です。
本記事ではやや否定的に書かれているパズルやストーリィ性といった意志決定以外の要素ですが,たとえば「パズル」の要素だってRPG から完全に切り離せるわけではありませんし,無理にそうしようという必要もありません。パズル自体,非常に面白い娯楽です。
ただ,そうした「意志決定以外の要素」でゲームの全てが埋められてしまっていないかは注意する必要があります。面白いパズル,面白いストーリィを作り出すより,面白いゲーム(意志決定を迫る場面)を作る方がずっと簡単だと私は思います。
実際,マスターをやっていると,プレイヤーたちというのは結構些細なところであっちの方が良いんじゃないか,こっちの方が良いんじゃないかと悩んでくれます。たとえば,ロープ10m は役に立つかそれともお荷物になるか,とか。持っていかないと道中困ることがきっと起きるだろうというプレイヤーもいれば,持っていけば重くてすぐ疲れるし逃げる際に不利だとか言い出す奴もいます。どっちでもいいから早く決めてシナリオを進めよう,と考えるのはたいていマスターだけだったりします。
それでは,皆さん,楽しいRPG ライフを。

#引用ここまで#
「意思決定について」ラウール氏より。
http://trpg-labo.com/rpg/decision.pdf


 「意志決定以外の要素」でゲームの全てが埋められてしまっていないか、とあります。ここで述べられているゲームは、文脈からTRPGのセッションでしょう。

 そして、TRPGのセッションの中に、面白いゲーム(意志決定を迫る場面)を作るようにする、としています。ここで述べられているゲームは、面白い意志決定を迫るシチュエーションでしょう。

 面白い意志決定を迫るシチュエーションを大切にしなければならないという主張のため、単にラウール氏がそのテキスト上で通用させるために、構成し定義した二つの意味の「ゲーム」と「葛藤」という言葉を使った。
 これを借りて馬場氏がまとめてみせると曲解して、「葛藤の両刀論法」に陥り、面白い意志決定を迫るシチュエーションのことである「ゲーム」で、頑なにTRPGのロールプレイ・役割演技によらず、さらには、その非難に及んだというあたりでしょうか。好意的に解釈して、です。

 氷川霧霞氏の「TRPGシナリオ作成の道具箱」第10章シナリオ作成のTipsには、「【シーン】や《課題》を選ばせる」の項目で、「通常は、シナリオはゲームマスタが用意してプレイヤはそれをこなす、というスタイルですが、「何をすべきか」をプレイヤに考えさせることで、ゲームは格段に面白くなります」とあります。

 やはり、そういった方針とプレイヤーキャラクターの性格描写も含めて考えると、馬場氏の強引な主張は曲解か読解力の足りなさかによって誤りで、誤りではなくてもどうやらプレイヤーがキャラクターを使って楽しむTRPGについて考えてはいないようです。

 結局、とりあげた馬場氏には残念ながら理解されなかったとして、氷川氏の独自の別の解釈として考えるべきだと思います。

 ラウール氏=氷川氏? ですかね。このことに最後のほうで気がついて、釈迦に説法ドジをしていました。くどくど続けるわけには行かないので、切り上げます。失礼していたらすみません。
 確認したところ、やっぱり正解でした。
 一応、このエントリは氷川氏のいう葛藤の理解の注釈として残しておきます。


[TRPG]TRPGの協調ゲーム性

 協調ゲーム性


 協調ゲームでは、協調が全員の手の内で崩壊すると、破綻が生じます。
 わかりやすく言うと、日本の国債の信用がなくなって、国債を持っている人が全員売りに出せば、全員が損をしていくという構造をしています。ですから、お互いの寛容や妥協が必要になります。



 

 遊び手の協調ゲームとして、TRPGの崩壊の特性も見てとれます。

 ゲームマスターとして、セッションをボイコットされないように進行司会していくゲーム理論数学的な裏付けとなります。
 TRPGでは協調は重要な美徳です。ゲーム上の問題の克服は二の次です。

 もし、セッション時間の許容範囲を超えたり、あまりにもロールプレイや演技に対して応答のない運営をしたりするならば、ゲームマスターに対して、プレイヤーは、ボイコットの連鎖を引き起こすきっかけになることができます。
 つまり、「協調」と「ボイコット」が入れ替わる逆の関係になってしまうと、「ボイコット」することが有利な関係になります。
 


 

 協調ゲームの遊びの善『美徳』


 それに対して、TRPGでは、プレイヤーキャラクターが、いくら痛みを感じても、とってつけたような家族が人質にされても、巨額の借金を抱えても、資産を奪われても、何十年という懲役刑を受けても、大変な病気や中毒や身体的欠損を背負っても、プレイヤーは苦しみを感じません。
 苦しみを感じたら、キャラクターをあいまいな、または明確な自殺をさせてゲームをボイコットすることもできます。

 このボイコットへのイニシアティブは、実は、ゲームマスターが持っています。

 自分自身やプレイヤーが疲れているようだとしたら休憩を提案します。

 プレイヤーが何か不満や苦情といった言いたいことがありそうで、直接尋ねても答えてくれないようなら、いったん連れ出し場を変えて聞き出します。他のプレイヤーに退室してもらうのもいい方法です。

 プレイヤー同士でのトラブルならば、きちんと判断して、えこ贔屓抜きに、説得し協調を求めます。
 プレイヤーの互いの利益の対立が原因ならば、互いに条件をきちんと出すよう求め、調整をつとめます。

 協調を前提とするゲームのなかで、もっとも第一の美徳が慎重さを持った勇気だということを示しています。臆病と慎重を混同しないよう気をつけてください。

 そういった美徳がプレイヤーから齎されたならば、プレイ終了後にきちんとお礼を述べましょう。その積み重ねが、楽しく面白いセッションに導く人とのつながりになります。たとえその人がいないとしても、そのノウハウは遊びの機微として、自ずと手にして確たるものとしていくことができるのです。

 プレイヤーやゲームマスターのトラブルの多くは、コミュニケーションの問題です。コミュニケーションのトラブルはトラブルが生じてから、意識されます。メガネを無くしてからメガネを意識するようなものです。

 特に趣味の世界での対立は、真剣に好きで取り組んでいるからゆえのもので、お互いにきちんと条件を出させ、議論や好みで人格否定に発展したりさせないようにします。

 個人個人が真剣に気に入っているもの、真剣にけなしたいものを持っているのは当たり前です。
 趣味のものですから、真剣な対立です。カッコいい態度でしょう。

 ネガティヴなイメージのレッテルを貼る行為もあるでしょう。一方的にそういう行為が悪いとは思えません。マナーの問題とも思えません。理屈が通っていればなおさらで、それを検討して、楽しく遊ぶ方向を見定めればいいだけです。
 もし、理屈が通っていないならば、ネガティヴなイメージを払拭するようチャレンジすればいいだけです。

 何かを比較してけなすのは、その何かに関心を持っているからです。無関心であれば、本当に価値を認めないということです。
 関心を持っているという共通性を説得して、人格否定にエスカレートしないよう仲裁し、ボイコットしないよう働きかけます。

 あらかじめ、TRPGはコミュニケーションだという意識をもって、ゲームマスターは臨みましょう。
 プレイヤーにもゲームをする前に雑談をするなど、これからコミュニケーションをするという、いわば助走のようなテクニックも、特に初顔合わせのようなときには必要です

 ゲームメカニズムをいくら説明しても、コミュニケーションにはならないのです。
 

 寛容や妥協の心理学

 参考として、 [TRPG]人間の判断過程の特異的な側面にある、項目を利用しましょう。


 

 

9

人は自分のとった行動を確証する情報を求め、反証するような情報やテスト結果を避けがちである。

10

得られるもの以上に潜在的損失を過大視するため、その損失を意識した判断をする。

11

人は、ネガティブな結果よりある程度の好結果が得られればそれを選択すると信じ、最高の結果よりそこそこの好結果を受け入れる、と信じている。

12

人はひどくネガティブな結果より、まあ仕方ないという結果のほうを受け入れるものと信じる傾向にある。


 これは、いかに協調を維持するために、寛容を引き出したり、均衡を図ったりして妥協を引き出すかのヒントになると個人的に考えています。


[TRPG]ゲーム性とは分かりやすさではありません。

 [TRPG]問題発見と解決。TRPGのゲーム性を勘違いしている方へ。



  目標を何々退治という、いわばシングルフォーカス、ルールの記述ばかりを追って無双をしようというシングルレイヤー、問題定義はGM任せで解決方法は選択肢や遊び方を明確にしないといけないというハイコントラスト。失敗しにくいTRPGは、単にそういうセッティングでいいでしょう。

 コミュニケーションをしないで済むから時間もかからないし、ルールを読みこめば活躍できます。選択肢が明らかならばジレンマもほとんど問題にしなくていいのです。
 もちろん、必要ではないとして描写もほとんどしなくていいし、必要ではないとして想像力を発揮する余地もなくなります。


 ゲーム理論や意志決定といった衣をまとわなくても、コミュニケーション学から自閉症スペクトラムが低く「わかりやすさ」として当たり前と、裏打ちされます。馬場氏の曲解翻訳は大変でしたね。

 馬場理論が素晴らしかった。文章が素晴らしい。わかりやすい。とか。だから内容を問うな、と、目をグルグルさせて、根拠が崩れるのを恐れるのは、ずいぶん不安なのでしょう。

 さんざん、この分野で問題として取り上げているものを、発見した! 提案した! と、言い張っているにすぎないのが実情です。
 そんなに恐れなくても、コミュニケーション学からきちんと説明できるのは揺るがないので安心してください。

 ただし、この論法は、ゲームがわかりやすいから、ゲームが面白いという風に、すり替えているのです。
 ゲームの面白さは分かりやすさもありますが、それは一要素であって、必須ではありません。
 ゆえに、はっきり言って、ゲーム性とは関わりがありません。

 目標がはっきりしていて、ルール通りに軍拡したキャラクターを作って役割分担し、ルール通りに解釈して思考停止して、プレイでの障害と問題解決の選択肢はくっきりはっきりしている。これは、わかりやすいだけで、ゲームの楽しさとは関係ないです。

 PCがどういうナリをしていて、舞台世界での立ち位置はどこにあるのか、育ちはいいのか悪いのか、どういう経歴を積んできたのか、家族など人間関係はどうなのか。

 PCをトークンとか、リソースとして見るのではなく、PLの個性のなかにある要点、一種独自的な演技ができるタイプとして、また表現対象として顕す。
 そのほうが個人的に好きです。

 人と人とで楽しむものですから、人を楽しみ、自分のことも楽しんでもらう。
 いつも落ち着いた人が直情熱血漢をやったり、優しげな人がクールなキャラをやったり。

 こういうのは、普段コミュニケーションしていないと全然理解できなくて、わかりにくい遊び方なんですよね。

 普段コミュニケーションをとっている人だからこそ、データ偏重キャラは、不興を買ってしまうという事もあります。
 そういう不興を買ってしまうことは一種の賞賛の示唆です。

 わかりにくい問題にぶつかって、手詰まりを覆したりする。そういうゲームとなるのは僥倖です。
 僕はそういうプレイが好きです。