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大塚英志先生のストーリーメーカーを拝読させていただきました。非常にわかりやすくプロップの考え方を解説されています。
大塚英志 著
あなたが漠然と抱えているストーリーの種は、どうすれば作品として結実させることができるのか?神話や民話の構造分析から導き出された物語論を概観し、30の質問に回答していくことで物語のプロットを作成する。ベストセラー『キャラクター小説の作り方』『物語の体操』をさらに発展させた、超実用的創作入門。
「BOOKデータベース」より
[目次]
「BOOKデータベース」より
 G.ロダーリのものは過去記事のここで触れています。Grammatica della fantasia. Introduzione all'arte inventare storie, (『ファンタジーの文法』窪田富男訳、筑摩書房)は、1973年に発表されています。ジョーゼフ・キャンベルはThe Hero with a Thousand Faces(千の顔を持つ英雄)を1949年に出版、C.ボグラーは、G.ロダーリの著書を参照したかどうかはわかりません。
 G.ロダーリの方が一歩早く、創作や教育に応用することを試み、C.ボグラーは、スター・ウォーズ以降ですから1977年以降での展開でしょう。
 この著書の中でウラジミール・プロップの物語の構造を機能ではなく心理学においた構造に対応させる表があるのですが、僕が考える構造では以下のように対応すると思います。
| 
 ウラジミール・  | 
 レッジョ・エミーリアでの  | 
 ヒーローズ・ジャーニー  | 
 千の顔を持つ英雄  | 
| 
 (1)留守(不在)  | 
|||
| 
 (2)禁止  | 
 (1)禁止  | 
||
| 
 (3)違反  | 
 (2)違反  | 
||
| 
 (4)捜索(情報の要求)  | 
|||
| 
 (5)密告(情報入手)  | 
|||
| 
 (6)謀略・策略  | 
|||
| 
 (7)黙認・幇助  | 
|||
| 
 (8)加害(もしくは欠如)  | 
 (3)加害  | 
 (1)日常の世界  | 
|
| 
 (9)調停・派遣  | 
 (2)冒険への誘い  | 
 (1)「出立」  | 
|
| 
 (10)主人公の同意・  | 
 (3)冒険への  | 
 (2)召命の辞退  | 
|
| 
 (11)主人公の出発  | 
 (4)主人公の出発  | 
||
| 
 (5)任務  | 
|||
| 
 (6)魔法の授与者  | 
 (4)賢者との  | 
||
| 
 (12)魔法の授与者に  | 
|||
| 
 (13)主人公の反応  | 
 (5)第一関門突破  | 
||
| 
 (14)魔法の手段の  | 
|||
| 
 (7)魔法の贈り物  | 
 (6)仲間・敵対者/テスト  | 
 (3)超自然的  | 
|
| 
 (15)主人公の移動  | 
 (7)最も危険な  | 
 (4)最初の境界の越境  | 
|
| 
 (5)鯨の胎内  | 
|||
| 
 (8)敵対者の出現  | 
 (7')複雑化  | 
 (6)「イニシエーション」  | 
|
| 
 (7)女神との遭遇  | 
|||
| 
 (9)敵対者の悪魔的能力  | 
 (8)誘惑者としての  | 
||
| 
 (16)主人公と敵対者  | 
 (8)最大の試練  | 
 (9)父親との一体化  | 
|
| 
 (17)狙われる  | 
 (10)決闘  | 
 (10)神格化  | 
|
| 
 (18)敵対者に対する勝利  | 
 (11)勝利  | 
||
| 
 (19)発端の不幸  | 
 (9)報酬  | 
 (11)終局の報酬  | 
|
| 
 (20)主人公の帰還・帰路  | 
 (12)帰還  | 
 (10)帰路  | 
 (12)「帰還」  | 
| 
 (21)追跡される主人公  | 
 (13)呪的逃走  | 
||
| 
 (22)主人公の救出・脱出  | 
 (14)外界からの救出  | 
||
| 
 (23)主人公が身分を  | 
 (13)家への到着  | 
 (15)帰路境界の越境  | 
|
| 
 (24)にせ主人公の  | 
 (14)ニセの主人公  | 
 (16)二つの世界の  | 
|
| 
 (25)主人公に難題が  | 
|||
| 
 (26)難題の実行(解決)  | 
 (15)困難な試練  | 
 11.再生  | 
 (17)生きる自由  | 
| 
 (16)損害の償い  | 
|||
| 
 (27)主人公が再確認・  | 
 (17)主人公であることの  | 
||
| 
 (28)にせ主人公  | 
 (18)仮面をはがされた  | 
||
| 
 (29)主人公の新たな変身  | 
|||
| 
 (30)敵対者の処罰  | 
 (19)敵対者の処罰  | 
||
| 
 (31)主人公の結婚  | 
 (20)結婚  | 
 12.帰還  | 
ウラジミール・プロップの機能(ファンクション)カード
| 
 原則1 民話の恒常的で不変の要素は登場人物たちの機能である。この場合それぞれの機能がどんな人物によって、あるいはどんな方法によって為されるか、ということとは関係がない。  | 
| 
 原則2 魔法民話の中に出てくる機能の数には限度がある。  | 
| 
 原則3 機能の継起順序は常に同一である。  | 
 
| 
 すべての民話にすべての機能があらわれるわけではなく、筋運びで省略、併合、統合がされる。はじまりの機能は途中からという場合もある。抜かした経過を取り戻すために後戻りすることがある。機能にはその反対の場合を含むこともある。  | 
 この原則を、平易な理解を助ける解説中に挿入されてありますが、明確に掲げていないので、ちょっと混乱される方がいると思います。
 日常・非日常の往来を論じていますが、「らきすた」や「じょしらく」のような日常とは言えないような非日常の中での完結もあります。「まどか☆マギカ」のようなイニシエーションによって非日常(世界・宇宙)へ旅立ったまま完結するものもあります。「翠星のガルガンティア」のように非日常(戦い)が日常へ完結するものもあります。日常・非日常の概念によるレッテルは、ちょっとコミットできないと僕は思いました。
 西部劇も他のどんな物語にもプロップの構造があるということには、僕は哲学科の学生の頃から説得されてきました。TRPGへの応用は、90年から知らせてきました。ナラティブ理解の参考資料としては、全く関係がないかな、と、思いました。
 もう一つ、ロシア構成主義と喧伝していることが全く理解できませんでした。一般的にはソシュールの影響下の構造主義の先駆として捉えます。美学論として展開するならば、そのセオリーも関係するかも知れませんが、独特の位置づけで困惑しました。こういった手引き書にポリティカルなメッセージ(スターリン批判)を盛り込むのはおかしいと思います。
ボグラー クリストファー<Voglar Christopher>;講元 美香【訳】;岡田 勲【監訳】
シナリオ・テクニックの世界的なベストセラー!「ライターズ・ジャーニー」日本語版。本書は心理学の巨匠カール・G・ユングと「ヒーローズ・ジャーニー」のジョーゼフ・キャンベルの深遠なるコンセプトを発展させた人生という旅のガイドブックでもある。
「BOOKデータベース」より
[目次]
「BOOKデータベース」より
ジョゼフ・キャンベル 著 ; 平田武靖, 浅輪幸夫 監訳
[目次]
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ジョゼフ・キャンベル 著 ; 平田武靖, 浅輪幸夫 監訳
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「BOOKデータベース」より
	 心理学では、P.エクマンのFACS(Facial Action Cording System)という表情のアクションユニット(AU)が研究に用いられているそうです。ここに大体紹介されています。英語のwikiはこちら。
	
	 TRPGでは、キャラクターの演技を論じることが多いですが、こういったAUを使いこなすまでの演技は求められていません。GMであろうとPLであろうと、キャラクターの表情を言葉で表現します。ここでは、その参考になるかと思って紹介します。
| FACSのアクションユニット(Facial Action Coding System) | |
| 1 | 眉の内側を上げる | 
| 2 | 眉の外側を上げる | 
| 3 | 欠番 | 
| 4 | 眉を下げる | 
| 5 | 上瞼を上げる | 
| 6 | 頬を持ち上げる | 
| 7 | 瞼を緊張させる | 
| 8 | 唇を互いに接近させる | 
| 9 | 鼻にしわを寄せる | 
| 10 | 上唇を上げる | 
| 11 | 鼻唇溝を深める | 
| 12 | 唇両端を引き上げる | 
| 13 | 唇をするどく引き上げる(頬を膨らませる) | 
| 14 | えくぼを作る | 
| 15 | 唇の端を下げる | 
| 16 | 下唇を下げる | 
| 17 | 下あごを上げる | 
| 18 | 唇をすぼめる | 
| 19 | 舌を出す | 
| 20 | 唇の端を横に引く | 
| 21 | 首をこわばらせる | 
| 22 | 唇を押し出す | 
| 23 | 唇を固く閉じる | 
| 24 | 唇を押さえつける | 
| 25 | 顎を下げずに唇を開く | 
| 26 | 顎を下げて唇を開く | 
| 27 | 口を大きく開く | 
| 28 | 唇を吸い込む | 
| 29 | 下あごを突き出す | 
| 30 | 顎を左右にずらす | 
| 31 | 歯を食いしばる | 
| 32 | 唇をかむ | 
| 33 | ブロー(開口) | 
| 34 | パフ(閉口) | 
| 35 | 頬を吸い込む | 
| 36 | 舌で頬を突き出す | 
| 37 | 舌で唇をふく | 
| 38 | 外鼻孔を拡大する | 
| 39 | 外鼻孔を縮小する | 
| 40 | |
| 41 | 上瞼を(力なく)下げる | 
| 42 | 薄目 | 
| 43 | 目を閉じる | 
| 44 | 薄目にする | 
| 45 | まばたく | 
| 46 | ウィンクする | 
	 6+15(頬を持ち上げる)(唇の端を下げる)のように、言葉で表現し表情が上手くとれなくても、キャラクターの心理描写を表すことができるでしょう。
	
	 載っていた本は、
P.エクマンをモデルとした作品は、
P.エクマン氏の著作の邦訳は、
 
ケイティ・サレン, エリック・ジマーマン 著 ; 山本貴光 訳
どうして人はゲームで遊ぶのか?いったい何が意味ある遊びを生み出しているのか?すべてはよりよいゲームを作るために。ゲームデザインの観点から、ゲームとその遊びを知り尽くす。
「BOOKデータベース」より
[目次]
「BOOKデータベース」より
ケイティ・サレン, エリック・ジマーマン 著 ; 山本貴光 訳
ゲームが作り出す遊びとは?ゲームが取り囲まれている文化とは?意味ある遊びを生み出す原動力とは?ゲームデザインの観点から、ゲームとその遊びを語りつくす。
「BOOKデータベース」より
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「BOOKデータベース」より
	 僕よりも先行研究されています。
	 分厚い本ですが、ゲームデザインには必読書です。
	
	 ゲームについて論じる方向として僕は間違っていないと確信できました。
	 人を自分の作ったゲームで楽しませたいと思うなら、こういった基礎部分の研究は当たり前でしょう。避けて通ることはできず逃げ道はありません。
	
	 構造主義のレヴィ=ストロース、ソシュールや、ホイジンガ、ノイマン、カイヨワなど哲学者のアプローチを「当然」扱っています。
 
pumiminそれでもなお、「これはゲームの面白さかな?」とか考えたり悩んだりするわけですな。どこまでがゲームメカニクスの面白さかな、とか、どこからは思いやりや盛り上げに依存しての面白さなのかな、相手が好きな人だからという楽しさかな、とか。
2011年11月21日 - 7:47という、やり取りで思いいたりました。感謝いたします。
 
 
| 葛藤とは何か | 
日本語では、「葛藤」は、新・漢語林によると。
| 
				 
					 #引用開始#  | 
		
ネットの辞書では。
| 
				 
					 #引用開始#  | 
		
	 葛藤というのは、コンフリクト(conflict)が訳語で、心理学の用語です。
	 心理学者のプルチック(最近知ったのですが、プラチック、プラチーク、プルチークというカナの当て方もあるようです)は強い感情が多種類、押し寄せた状態をコンフリクトとしています。
| ジレンマには論理学とゲーム理論の二つがある | 
	 「ジレンマ」という言葉は、僕の知る限りでは学問的に、論理学、数学のゲーム理論の用語のニつがあります。
	
	 論理学(哲学)でのジレンマは、「両刀論法と角」という論証ツールです。多分、国語上はこの意味合いで使ってはいないでしょう。意味合いとしては、競合する結論といったあたりです。
| 
				 
					 #引用開始#  | 
		
ゲーム理論で有名なのは囚人のジレンマです。どちらを考えても、自白(裏切り)が最善手です。
	 このジレンマとコンフリクトを取り違えると、齟齬を生じます。ジレンマは論証のための言葉で、囚人の心中は想像しません。想像したくなる気持ちはわかりますが全く意味合いが違います。
	 あくまで相手も自分も合理的に動くと仮定するのがゲーム理論です。
| 氷川霧霞氏の言う葛藤とは何か | 
| 
				 
					#引用開始#  | 
		
	 つまり、心理的葛藤、コンフリクトの意味合いで用いています。
	 
	 ここで、極めて注意しなくてはならないことは、あくまでもゲーム一般のプレイヤーに対しての言及であることです。ロールプレイ・役割演技には、全く触れていないということです。
	 しかも、この心理的葛藤はプレイヤーのものであって、TRPGのプレイヤーキャラクターとしての振る舞いには何も触れず、または、葛藤しているように見せるロールプレイ・役割演技でもないことにも注意しないといけません。
	 そして、プレイヤーが意志決定するという大前提があります。
	 これは非常に疑問を覚えます。
	
	 葛藤は、「複数の選択肢が、どれももっともらしく感じられ、どれが最適解かを判断することも、決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ない。」のだと仮定するとします。
	 しかも、「このため心中に悩みや迷いが生ずる状態である」ので、プレイヤーは何かを一体どうするのか、果たして、最適解の判断やアルゴリズムの適用が本当にできないのでしょうか。
	
	 額面通りに、もし、最適解の判断や決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ないのなら、なぜ、心中に悩みや迷いが生ずる状態から抜け出られるのでしょうか。もし、抜け出せたとして、なぜ、結果に対する責任が果たせて、アカウンタビリティを持てるのでしょう。
	
	 こんな疑問を感じずに、説得されてしまうのは、読解力がないとしかいえない。看過できず、混乱を引き摺ります。
	
	 以降、ゲームトークンが、リソース管理が、選択/決断が……と、続きますが、「どれが最適解かを判断することも、決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ない。」ままです。そういった説明では葛藤からの逃げ道にはなっていません。最適解の判断やアルゴリズムを示してしまっています。
	
	 これでは高々と掲げられた意志決定というのは、デタラメのランダムでスゴロクのマス目に従うことに過ぎないということでしょうか。
	
	 つまり、この「葛藤」の定義は、好意的に考えても、間違っているということです。
	 最適解を判断できてもいいのか、または、決まったアルゴリズムを適用して決めることができてもいいのか。これでは、「葛藤」の定義が崩れます。
	 最適解を判断できたり、または、決まったアルゴリズムを適用して決められたり、ゲームトークンが、決断/選択が……云々で決められたりするならば、「葛藤」ではないのです。
	 これを「葛藤の両刀論法」と命名します。この論法の欠陥です。
	
	 防御方法としては、最適解を判断できるか、決まったアルゴリズムを適用して決めたりできるか、このどちらかか、そのある部分だけこのジレンマの角を抑えるか。
	
	 もう一つは、最適解を判断しえず、決まったアルゴリズムを適用して決めたりできない、違う何かで、このジレンマの角から抜け出す方法を示さなくてはならないのです。意志決定はデタラメに従うことであるとか。理由も指針も論拠も、最適解の判断やアルゴリズムを示してはならないのです。
	
	 このたちが悪い「葛藤の両刀論法」の「葛藤」の定義は放棄するしかないでしょう。「心中に悩みや迷いが生ずる状態であるまま」ゲームは進みません。
	
	 ひとまず、この「葛藤」の定義は脇においておきます。両刀論法です。
	 この「葛藤の両刀論法」の言明は、もっともらしく論者の都合を押し付ける詭弁です。つらつらと己の最適解のアルゴリズムだけが正しいと強弁するやり口です。
	
	 この「葛藤」が登場してくる文脈に、氷川霧霞氏は、フォーカスを当てています。
	 
| 
				 
					#引用開始#  | 
		
	 目標にたどり着く最適手は明白ではないという葛藤とは、この引用文より前に定義されています。
	
	 複数の選択肢が、どれももっともらしく感じられ、どれが最適解かを判断することも、決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ない。このため心中に悩みや迷いが生ずる状態であること。
	
	 「葛藤」について、出典元はこのように書いていません。以下が出典元です。
| 
				 
					#引用開始#  | 
		
	 好意的に解釈することにします。
	 選択肢は,それぞれ一長一短であり,理詰めで考えてもどうにも決めがたい,というものである
	 のに、
	 複数の選択肢が、どれももっともらしく感じられ、どれが最適解かを判断することも、決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ない、
	 という選択肢に改変されています。
	 決めるのが難しいという話が、決められないとか判断も決定も不可能という話にされています。
	
	 さらに、論理的な思考が、おそらく、決まったアルゴリズムを適用してにすり替えられていて、拡大解釈されているのがわかります。
	 つまり、戦ってわかっている戦力不足をどうするかとか、何ラウンド持ちこたえられるかという算法(アルゴリズム)すら成立しないのです。ところが「論理的な」というのは、通例、理屈が成り立つとも読み替えられるような曖昧なニュアンスを持っています。
	
	 出典元が述べているのは、初めのほうで提示した「かっとう【葛藤 conflict】コトバンク 世界大百科事典 第2版の解説」の意味合いであって、「葛藤の両刀論法」にはなっていません。
	
	 さらにロールプレイ・役割演技について、以下のように、きちんと言及しています。
| 
				 
					#引用開始#  | 
		
	 こうした記述を意図的に排斥しています。プレイヤーキャラクターの性格に沿って考えるアルゴリズムについて、根拠になっている出典元は、例まで挙げて肯定しているのです。
	 さらに、出典元の結びはこうなっています。
| 
				 
					#引用開始#  | 
		
	 「意志決定以外の要素」でゲームの全てが埋められてしまっていないか、とあります。ここで述べられているゲームは、文脈からTRPGのセッションでしょう。
	
	 そして、TRPGのセッションの中に、面白いゲーム(意志決定を迫る場面)を作るようにする、としています。ここで述べられているゲームは、面白い意志決定を迫るシチュエーションでしょう。
	
	 面白い意志決定を迫るシチュエーションを大切にしなければならないという主張のため、単にラウール氏がそのテキスト上で通用させるために、構成し定義した二つの意味の「ゲーム」と「葛藤」という言葉を使った。
	 これを借りて馬場氏がまとめてみせると曲解して、「葛藤の両刀論法」に陥り、面白い意志決定を迫るシチュエーションのことである「ゲーム」で、頑なにTRPGのロールプレイ・役割演技によらず、さらには、その非難に及んだというあたりでしょうか。好意的に解釈して、です。
	
	 氷川霧霞氏の「TRPGシナリオ作成の道具箱」第10章シナリオ作成のTipsには、「【シーン】や《課題》を選ばせる」の項目で、「通常は、シナリオはゲームマスタが用意してプレイヤはそれをこなす、というスタイルですが、「何をすべきか」をプレイヤに考えさせることで、ゲームは格段に面白くなります」とあります。
	
	 やはり、そういった方針とプレイヤーキャラクターの性格描写も含めて考えると、馬場氏の強引な主張は曲解か読解力の足りなさかによって誤りで、誤りではなくてもどうやらプレイヤーがキャラクターを使って楽しむTRPGについて考えてはいないようです。
	
	 結局、とりあげた馬場氏には残念ながら理解されなかったとして、氷川氏の独自の別の解釈として考えるべきだと思います。
	
	 ラウール氏=氷川氏? ですかね。このことに最後のほうで気がついて、釈迦に説法ドジをしていました。くどくど続けるわけには行かないので、切り上げます。失礼していたらすみません。
	 確認したところ、やっぱり正解でした。
	 一応、このエントリは氷川氏のいう葛藤の理解の注釈として残しておきます。
 
| 協調ゲーム性 | 
	
	 協調ゲームでは、協調が全員の手の内で崩壊すると、破綻が生じます。
	 わかりやすく言うと、日本の国債の信用がなくなって、国債を持っている人が全員売りに出せば、全員が損をしていくという構造をしています。ですから、お互いの寛容や妥協が必要になります。
	 遊び手の協調ゲームとして、TRPGの崩壊の特性も見てとれます。
	
	 ゲームマスターとして、セッションをボイコットされないように進行司会していくゲーム理論数学的な裏付けとなります。
	 TRPGでは協調は重要な美徳です。ゲーム上の問題の克服は二の次です。
	
	 もし、セッション時間の許容範囲を超えたり、あまりにもロールプレイや演技に対して応答のない運営をしたりするならば、ゲームマスターに対して、プレイヤーは、ボイコットの連鎖を引き起こすきっかけになることができます。
	 つまり、「協調」と「ボイコット」が入れ替わる逆の関係になってしまうと、「ボイコット」することが有利な関係になります。
	 
	
	 
| 協調ゲームの遊びの善『美徳』 | 
	
	 それに対して、TRPGでは、プレイヤーキャラクターが、いくら痛みを感じても、とってつけたような家族が人質にされても、巨額の借金を抱えても、資産を奪われても、何十年という懲役刑を受けても、大変な病気や中毒や身体的欠損を背負っても、プレイヤーは苦しみを感じません。
	 苦しみを感じたら、キャラクターをあいまいな、または明確な自殺をさせてゲームをボイコットすることもできます。
	
	 このボイコットへのイニシアティブは、実は、ゲームマスターが持っています。
	
	 自分自身やプレイヤーが疲れているようだとしたら休憩を提案します。
	
	 プレイヤーが何か不満や苦情といった言いたいことがありそうで、直接尋ねても答えてくれないようなら、いったん連れ出し場を変えて聞き出します。他のプレイヤーに退室してもらうのもいい方法です。
	
	 プレイヤー同士でのトラブルならば、きちんと判断して、えこ贔屓抜きに、説得し協調を求めます。
	 プレイヤーの互いの利益の対立が原因ならば、互いに条件をきちんと出すよう求め、調整をつとめます。
	
	 協調を前提とするゲームのなかで、もっとも第一の美徳が慎重さを持った勇気だということを示しています。臆病と慎重を混同しないよう気をつけてください。
	
	 そういった美徳がプレイヤーから齎されたならば、プレイ終了後にきちんとお礼を述べましょう。その積み重ねが、楽しく面白いセッションに導く人とのつながりになります。たとえその人がいないとしても、そのノウハウは遊びの機微として、自ずと手にして確たるものとしていくことができるのです。
	
	 プレイヤーやゲームマスターのトラブルの多くは、コミュニケーションの問題です。コミュニケーションのトラブルはトラブルが生じてから、意識されます。メガネを無くしてからメガネを意識するようなものです。
	
	 特に趣味の世界での対立は、真剣に好きで取り組んでいるからゆえのもので、お互いにきちんと条件を出させ、議論や好みで人格否定に発展したりさせないようにします。
	
	 個人個人が真剣に気に入っているもの、真剣にけなしたいものを持っているのは当たり前です。
	 趣味のものですから、真剣な対立です。カッコいい態度でしょう。
	
	 ネガティヴなイメージのレッテルを貼る行為もあるでしょう。一方的にそういう行為が悪いとは思えません。マナーの問題とも思えません。理屈が通っていればなおさらで、それを検討して、楽しく遊ぶ方向を見定めればいいだけです。
	 もし、理屈が通っていないならば、ネガティヴなイメージを払拭するようチャレンジすればいいだけです。
	
	 何かを比較してけなすのは、その何かに関心を持っているからです。無関心であれば、本当に価値を認めないということです。
	 関心を持っているという共通性を説得して、人格否定にエスカレートしないよう仲裁し、ボイコットしないよう働きかけます。
	
	 あらかじめ、TRPGはコミュニケーションだという意識をもって、ゲームマスターは臨みましょう。
	 プレイヤーにもゲームをする前に雑談をするなど、これからコミュニケーションをするという、いわば助走のようなテクニックも、特に初顔合わせのようなときには必要です
	。
	 ゲームメカニズムをいくら説明しても、コミュニケーションにはならないのです。
	 
| 寛容や妥協の心理学 | 
参考として、 [TRPG]人間の判断過程の特異的な側面にある、項目を利用しましょう。
9  | 
      人は自分のとった行動を確証する情報を求め、反証するような情報やテスト結果を避けがちである。  | 
    
10  | 
      得られるもの以上に潜在的損失を過大視するため、その損失を意識した判断をする。  | 
    
11  | 
      人は、ネガティブな結果よりある程度の好結果が得られればそれを選択すると信じ、最高の結果よりそこそこの好結果を受け入れる、と信じている。  | 
    
12  | 
      人はひどくネガティブな結果より、まあ仕方ないという結果のほうを受け入れるものと信じる傾向にある。  | 
    
これは、いかに協調を維持するために、寛容を引き出したり、均衡を図ったりして妥協を引き出すかのヒントになると個人的に考えています。
 
[TRPG]問題発見と解決。TRPGのゲーム性を勘違いしている方へ。
| 
				 
					  目標を何々退治という、いわばシングルフォーカス、ルールの記述ばかりを追って無双をしようというシングルレイヤー、問題定義はGM任せで解決方法は選択肢や遊び方を明確にしないといけないというハイコントラスト。失敗しにくいTRPGは、単にそういうセッティングでいいでしょう。  | 
		
	 ゲーム理論や意志決定といった衣をまとわなくても、コミュニケーション学から自閉症スペクトラムが低く「わかりやすさ」として当たり前と、裏打ちされます。馬場氏の曲解翻訳は大変でしたね。
	
	 馬場理論が素晴らしかった。文章が素晴らしい。わかりやすい。とか。だから内容を問うな、と、目をグルグルさせて、根拠が崩れるのを恐れるのは、ずいぶん不安なのでしょう。
	
	 さんざん、この分野で問題として取り上げているものを、発見した! 提案した! と、言い張っているにすぎないのが実情です。
	 そんなに恐れなくても、コミュニケーション学からきちんと説明できるのは揺るがないので安心してください。
	
	 ただし、この論法は、ゲームがわかりやすいから、ゲームが面白いという風に、すり替えているのです。
	 ゲームの面白さは分かりやすさもありますが、それは一要素であって、必須ではありません。
	 ゆえに、はっきり言って、ゲーム性とは関わりがありません。
	
	 目標がはっきりしていて、ルール通りに軍拡したキャラクターを作って役割分担し、ルール通りに解釈して思考停止して、プレイでの障害と問題解決の選択肢はくっきりはっきりしている。これは、わかりやすいだけで、ゲームの楽しさとは関係ないです。
	
	 PCがどういうナリをしていて、舞台世界での立ち位置はどこにあるのか、育ちはいいのか悪いのか、どういう経歴を積んできたのか、家族など人間関係はどうなのか。
	
	 PCをトークンとか、リソースとして見るのではなく、PLの個性のなかにある要点、一種独自的な演技ができるタイプとして、また表現対象として顕す。
	 そのほうが個人的に好きです。
	
	 人と人とで楽しむものですから、人を楽しみ、自分のことも楽しんでもらう。
	 いつも落ち着いた人が直情熱血漢をやったり、優しげな人がクールなキャラをやったり。
	
	 こういうのは、普段コミュニケーションしていないと全然理解できなくて、わかりにくい遊び方なんですよね。
	
	 普段コミュニケーションをとっている人だからこそ、データ偏重キャラは、不興を買ってしまうという事もあります。
	 そういう不興を買ってしまうことは一種の賞賛の示唆です。
	
	 わかりにくい問題にぶつかって、手詰まりを覆したりする。そういうゲームとなるのは僥倖です。
	 僕はそういうプレイが好きです。