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鏡さんの論が「メタ」なのかは置いておいて、僕が大っ嫌いなタイプの遊び? 方です。
http://www.rpgjapan.com/kagami/2009/09/post-206.html
「一人で遊べばいいでしょう。何をしに来るんだ、こいつは。帰れ」
となります。
補強すると、「誰とも遊んでいないイロニーの人」で、いわゆる「自分自身の薄っぺらい虚栄心にしか関心がない人」。遊びの僥倖(アレア)をふいにする人。ゲーム理論的に言うと「フリーライダー」。
これは遊びとは言えないです。遊び方の一つとは言いたくない。遊ばない仕方。なぜなら誰とも遊んでいないのだから。
ハイデガーの「存在と時間」にそって言うと、個々人の楽しみがそれぞれあっても、その楽しみは他の人との「気づかい」「配慮」の関係にあることが前提です。自分自身も全体の楽しみを生み出す「道具的存在」として適所に行き、「有意義」な存在になることがTRPGの一つの実存的セオリーだと思います。
遊び(TRPG)の「意味」を求めたり「勝利の利、利益(利便)」を求めたりするわけではなく、第一義的に存在論的「有意義」な「適所性」を目指すことがTRPGのゲーム性そのものとも言えるかもしれません。状況によって変化する「有意義」な「適所性」をフレキシブルに位置取りする。
インスピレーションという減らないものをリソ-スと呼び、そのマネジメントをゲーム性と呼ぶより確かな認識だと思います。
現実の人生でも同じことが言えることでしょう。「環境世界」の「有意義」な「適所」にいれば人生楽しいものです。西村清和氏の言う人生の企てを「神とのゲーム、偶運とのアレア」と捉えるなら、ゲーム性を語れるかもしれません。
(メタについては、http://blogs.itmedia.co.jp/itphilosophy/2005/12/post_294b.htmlに分りやすく書かれています。僕はウィトゲンシュタインの説を支持しています。)
草食系男子とやらは、娼館にいくようなロールプレイをやらないかも。
軽い風俗くらい男なら一度は行くものでしょう。(←偏見のカタマリ、馬鹿ですね)
http://310-k.jp/
「3時10分、決断のとき」 オフィシャルサイト
3:10 to YUMAを原作にしている。
決断の3時10分も同じ原作。久々にスクリーンに西部劇、登場。ドンパチあり、に変更。
大規模な公開ではないのが残念です。
人の親になったことのない僕としてはちょっとついていけませんでした。
日本語吹替えで観るのがお勧めです。字幕があまりよくできていない。
特典メニューの西部劇解説は秀逸です。
チューブ・サイトのリボルビングライフル、コンバージョン1851ネービーなど、様々な銃が登場します。S&WNo.3の排莢他、リロード(再装填)のシーンがたくさん登場します。
トム・クルーズがウエスタンに挑戦?によると、
ジェームズ・マンゴールド監督の新作映画に、トム・クルーズが出演することになりそうだ。
その新作とは、57年に映画化されたエルモア・レナード原作の西部劇「決断の3時10分」のリメイク。
干ばつに苦しむテキサスで、駅馬車強盗のボスの護送を請け負った1人の牧場主が、3時10分発のユマ行きの列車に乗せるまでをサスペンスフルに描いた心理劇だ。
米バラエティ誌によれば、トムは、オリジナル版でグレン・フォードが演じた強盗団のボス役を熱望しているという。
と、ありましたが、トム・クルーズは、外れたようです。
(メタ理論について、個人的覚え書きです。)
TRPGの喩えとしてキャッチボールを出します。
キャッチボールではまず相手のグローブの近く、又は胸元に投げます。フライを投げるにしても落下地点は相手のいる位置からそんなに遠くないところに投げるのです。
つまり、「受けやすい球を放る」わけです。
身長を飛び越える球やゴロや変化球は投げないで、相手の力量に合わせます。コントロールが悪ければ距離をつめます。
要するに、「(自分の)投げやすさを優先しない」のです。
なぜならば、フォロー(リカバリー)が大変だからで、守備力の高い者であっても関係なく、後ろが川だったりすると、大変な思いをするわけです。
さらに気に食わない奴や体力をつける必要がある奴には、悪球を投げます。これは、特に、変なふざけた危ない球(暴投)を投げられたらやります。
実はこうして、やられたらやりかえすことによって、チームワークを建設できるのです。
以上、キャッチボールとTRPGの類似点。いちいち書きませんが、TRPGも同様のことが言えるでしょう。キャッチボールのルールにない了解内容は、このあたりのことでしょう。
分らない奴はキャッチボールを楽しめない。キャッチボールはあくまでボールによるコミュニケーションで、メタ視点がどうのは、ないでしょう。
おねだりしたって、そういうゲームではない。コミュニケーションが前提。キャッチボールではなく壁ぶつけを遊んでいればいいのと同じで一人遊びのゲームを楽しめばいい。
始める前はみんなで「宜しくお願いします」、終わったら「有難うございました」はよっぽど仲がいい場合を除いて当たり前のこと。それをやったら、メンツとして下の下になるプライドなんていらないでしょう。いつも無礼講でお構いなくなどとか、そんなことも分らない奴はTRPGを楽しめないのです。
何故こんなことを書くのかというと、こういうことが、本来的なメタの範疇に入る事柄だからです。
たとえば、様々なコミュニケーションがあります。
ディスカッション、ディベート、ブレーンストーミング、婚活、合コンなど。
これらに対し、TRPGだけ、当てはまるメタ視点があるのか、あったとして古今東西変わらない真理なのか。
どうしてメタという言葉が独り歩きしているのでしょうか。
TRPGでは、この源流を辿ると、なんとオブジェクト指向言語の「メタ」概念と被り過ぎています。ちょうどTRPGが黎明期の頃、流行った概念です。大学の教養課程で教えていた講座がありました。ただし、いくらオブジェクト指向言語とはいえ、処理系、つまり命令文の集合体です。つまり、コミュニケーションが全て命令形でしか考えられない限界のある用語を持ち出してきているのではと穿ってしまいます。
TCGのメタデッキにしろ、対策を施したデッキの意味合いまででしょう。
普通、こんな用語の濫用はしません。
哲学畑(つまり形而上学)をやっていても、メタ云々が、キャッチボールやTRPGに関わるのかというと、根拠がない。イデアだの、エイドスだの、あれらのことは、関わりはない。
あったとしても、正しさを検証できないから、嘘っぱちで間違っているかさえ分らないし、無意味でしょう。
言語学や社会心理学と照らし合わせても、ゲーム用語として強引に適用させている概念ではないでしょうか。
例えば、TVでやっていた有名なメタ言語学は、「あの船の錨を僕のポケットに入れてくれ」と言う事によって、言語の背後を探る学問のようです。人工知能や新しい文学を目指して研究されています。
このメタTRPG論云々は、PLらとGMの「遊び形式の」コミュニケーション限定でしかない上、用語の適用は察するに「遊びの形式の」没入による錯誤だと思います。メタという用語の本来の意味合いをさっぱり知らないか、無視しています。さらに混乱しています。ルールやハウスルール、人間関係という背景をメタとしても、それは傍から見て分ることで、特につつき出すことではないと思います。TRPGを楽しむのはPLとGMで、PCやシナリオの使用者、主体です。つつきだすなら、TRPGのルールにない了解内容でしょうか。
ひとつ、「遊びの形式の」没入による錯誤と感じるのは、TRPGの最中に「キャラクターによるポーカー」が出てきた場合の理論的処理や位置づけが全く見当が付かないことでしょう。
遊戯王ファイブディーズOCGのTRPG、カイジTRPG、ヒカルの碁TRPGの場合は? 何か理論上、考察して高次なものが、ありますか。
TRPG中に他の種類のゲームが出てきた場合、高次低次のメタTRPG論による回答は、無意味だと思います。
またもう一つ、キャラクターのことは、PLが知っているという理屈も、喜びや楽しみ、痛みや苦しみ、満腹や飢餓感も、知っているとはどういうことか。どう考えても、「われわれは他人の歯の痛みを計測しているわけではない」のです。
これらの単に素朴な問いについて、他の人が理論を使って検証できなければ、理論として間違っているかは分らないけれども、無意味だと思います。
アチラのメタはアチラ、コチラはコチラでは無意味でしょう。個々人の造語とその受け売りでお話になりません。しかも、メタのメタのメタと、無限に続けることが出来ます。答えがないのです。
理論は、普及がどうのではなく、重ねて主張するように検証できなければ無意味なのです。TRPGの人工知能処理を目指すならお話は別ですが、必要性があるとは思えないです。
検証性から言えば、メタつまり形而上のアプローチよりも、他の方法、例えばコミュニケーション論からの現象学的アプローチが有効だと僕は考えます。現象学は、感覚与件などを、遮断したり、限定することによって検証できるのです。
[TRPG]「遊びの現象学」を読んで。
全くTRPGを知らない人に1on1で、さわりを楽しんでもらうためのTIPSシナリオです。僕は小心者なので、宴席でしかやりませんが、しつこくTRPGについて尋ねられた時に使うシナリオとなります。
「ゲームはやってみないとわからない」と、必ず一言、断ること。それでも訊いて来たら時と場所を考えてプレイすること。そして必ず、好評なら、信頼できる第三者のサークルと、自分の輪に、お誘いする。自分の輪を最高峰とは考えないこと。相手にきちんと興味の行き先の選択肢を渡して、道案内をする。
1. ここはどうやら、洞窟のようだ。10メートルほど上に、光の差す穴が開いている。君は一切の過去の記憶がない。あの穴から落ちてきたらしいが、思い出せない。 身体の彼方此方が痛むが、大したことはなさそうだ。どうする? 真っ暗闇だよ。 >持っているもの、紅くピカリと輝く指輪、ぼうっと青白く輝く剣。 >風の吹いてくる穴、真っ暗な穴がある。 >聞き耳を立てると、風の吹いてくる穴の方からは微かにトントコトントコという音が聞こえてくる。 2. 真っ暗な穴 何も見えない。急に不安が襲ってくる。 3. 風の吹いてくる穴 小鬼、ゴブリンが、10匹ほど「ゴブ、ゴブ、ゴブ」と踊っている。太鼓のリズムに合わせて。その向こうに出口が見える。向こうは気がついていないようだ。どうする? >主人公の記憶が戻るパターン。 >主人公の記憶が戻らないパターン。 PL=男性ならば、例えば、自分は王子様(剣技の達人)で、身体が剣技を縦横に振るい、ゴブリンの命乞い。ゴブリンの子供や、蓄えなどを。ジェスチャーによる会話。ロールプレイ。TRPGの演技の基本形、描写に重点を置いてみる。両手で目を押さえるとか、両手を組んでとか、奇行に映らない程度に。 PL=女性ならば、例えば、後ろから暗闇の中、下級騎士が現れて、「今は戦争中だ。この場は協力するが捕虜になってもらう」として、実は下級騎士側の軍の姫君。今までの経験からすると、女性PLは不気味さで混乱するので、助け舟を出すこと。 |
システムはサイコロ一個で。単純にでっち上げること。結構、こちらの演技に乗ってくる場合が多く、引き込み率は8割くらい。実践してきて分ったことは実は、万人が演技できることは、ほぼ断言できます。
食事処などでも、ちゃんと仕切りがあったりすれば小声で何とかなります。あまり夢中にさせない、夢中にならないように。
所要時間、最大15分。アニメの前半程度に抑えて。ダイスは20面あたりの一般には珍しいものを使うこと。ジャンケンも使えますが、なるべくダイスの珍しさで、こけおどしのカルチャーショックを与えられることを狙う。
休憩、解説は相手次第。これは一番気をつけること。PLのほかに観衆他がいる場合は、夢中になったりしない。勘違いが多いのですが、注目を極端に集めるのは、害です。薄く、気軽にちらりとやる感じに。
特にエンディングをかっちりしておけば、充足するし、興味を惹ける。
実績としては、このパターンを、おそらく百人近くに行いました。肉親にも大丈夫でした。肉親に理解されていないTRPGユーザーの参考になるかと思います。肉親に理解されれば、実家の利用OKが頂けたりもしますね。
少なくとも経験から、僕は以上のように思います。難渋されたときに、ご参考になればと。
ゲームスペースを立ち上げ、閉店後のTRPGセッションに利用して知己になったコナミの小島プロダクションのKさんに、僕の開発中のオリジナルTRPGをプレゼンするべきという強い後押しがあって、ある出版社へ持ち込み日程がセッティングされてしまいました。
自信はないのですが、頑張ってみます。
準備のため、ブログを、しばらく、休止させていただきます。
コメント、アクセスいただいた方の期待に感謝して、ご助言・アドバイス、もっと分りやすい文章や、他の作品を否定するようなことはしないなど、心がけて臨んでみます。