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[つれづれ]「臨床心理学の倫理をまなぶ」「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか」

 Facebookで展開されているRabbitHole Dropsについての現状メモです。
 この年で僕は(社会人)大学生なのですが、大学図書館が自由に使えまして、めぼしい資料を探しました。
 遊戯療法などのノウハウ本に目がいってしまいますが、まずはこういった本が肝心だろうと思います。大変勉強になりました。



臨床心理学の倫理をまなぶ

金沢吉展著

 

[目次]

  • 第1章 職業倫理はお堅い理屈?
  • 第2章 まずは具体的な状況から考えてみる
  • 第3章 職業倫理の7原則・Part1-7原則の全体像
  • 第4章 職業倫理の7原則・Part2-専門的能力
  • 第5章 職業倫理の7原則・Part3-多重関係
  • 第6章 職業倫理の7原則・Part4-秘密を守る
  • 第7章 職業倫理の7原則・Part5-インフォームド・コンセント
  • 第8章 問題解決をどのように行うか-倫理的意思決定モデルとは?
  • 第9章 職業倫理のトレーニングコース-より良い倫理的意思決定を行うことができるようにするために

「BOOKデータベース」より

 

 これをちらりと読むと、法的整備前に倫理確立が必要なのに、

#引用開始#
P.27

6.職業倫理綱領と心理資格法――どちらが先か

 アメリカと異なり、日本では、心理職の資格法がいまだ制定されていない(本書執筆時点:引用者註2006.9.26)ことは、読者もご存知であろう。資格法が制定されれば心理職をめぐる数多くの問題が解決されると期待している読者もおられるかもしれない。しかし、まず決めなければならないのは職業倫理、法律はその後、なのである。

#引用ここまで#

 とあり、著者自身の専門は、「臨床心理学」のさらにその「倫理学」が研究対象であることを伺わせる。著者によると、専門家の倫理が充分に形成されていない。団体が19ヶ所もあり、それぞれの規定がある。資格法がないため、法的な処罰はどうやら判例待ちのようです。

 何らの立場に立つ専門家として、己の立場を表明せずに、専門家だから云々というのは、無礼ながら本当に胡散臭いし、暗に何か(カネやコネ)を要求しているディス・コミュニケーションを感じても仕方がない。

 何の立場に則っているのか、何を専門家の倫理とし、助言しうることの責任や範囲をはっきりさせていただきたい。そして、支援しようする立場に対して、何を求めるのか。

 まず、専門家の倫理がコレと決まってないというのに、支援者への倫理を云々できるのは、どうもおかしい。
 なぜなら、民間の自称占い師? 神がかり? セラピスト? が芸能人をカモにしているらしいことは、耳に新しい。こういう事例があって社会問題になっているので、専門家の倫理についてどういう立場なのかを、ひとまず明確にしていただきたい。

 薬漬けの子供のほうがいいという立場ならば、そのように、薬学の立場からと明言していただきたい。人の手当て(支援)なしに、薬物のみを有効とするとか。

 支援しようとする立場に立つこと自体、またその人を否定する専門家がいるとは僕には思えない。

 ところが、批判材料を安易に提供し、結局は、支援活動者の人格を貶めてしまうリスクを考えることができなかった。現に、人格への攻撃を止めさせることもしない。

#引用開始#
P70

第一原則

相手を傷つけない。傷つけるようなおそれのあることをしない。 

第二原則

十分な教育・訓練によって身につけた専門的な行動の範囲内で、相手の健康と福祉に寄与する。 

第三原則

相手を利己的に利用しない。 

第四原則

一人一人を人間として尊重する。 

第五原則

秘密を守る。 

第六原則

インフォームド・コンセントを得、相手の自己決定権を尊重する。 

第七原則 

すべての人を公平に扱い、社会的な正義と公正と平等の精神を具現する。 

#引用ここまで#

 第一原則には、同僚の非倫理行為を注意するとある。
 しかし、第二原則には自分の専門的能力の範囲外のことについては、他の適切な専門家や機関にゆだねることとある。
 第四原則には、相手に親しみを見せずに接すること、全く自己開示をせずに過度の距離をもって相手に接すること、誤解をまねくような発言や、相手あるいは関係者を決め付けるような一方的な発言や一方的な批判、断片的な情報をもとにした断定的な発言によって、その発言を聞いた人たちが、不快感を感じたり、その発言を基に自分自身や他者について誤った理解をしてしまうことが容易に想像される。
 言論の自由ではあるものの、心理臨床家による発言は、その個人に対する評価のみならず、他の心理臨床家や、さらには、分野全体に対する評価につながることに留意しなければならない。
 専門家としての発言は社会的影響も大きいからとある。

AGS 記事「CBT的アプローチのセッション運営」は取り下げられるべきであると考えます  プレイレポートbyたきのはら

 これは、以上の理由でまずいと思います。改善を求めます。

 「私は現在、D&D関連テキストの翻訳者としてゲームに関わっておりますが、一方で大学に勤務し、薬学系研究者・教育者として医療および教育に携わってもおります。臨床の医療チームや店頭の薬剤師の先生方と情報交換しつつ学生を教えている立場」って? しかも、連名で書かれているので、どっちに責任があるのでしょう。
 産学共同の製薬会社の翻訳家で、単にMRのコーチングをしている方(?)でも、倫理面の問題を指摘するには、倫理を知らない守らないという訳にはいかないと僕は思います。

#引用開始#
P11

 職能集団の自律機能としての職業倫理は、欠かすことのできない根本的な重要性持っていると言える。仮にこのような誓約が守られなかったとしたら、社会的契約は成立せず、社会は心理臨床という分野に対して、許可を与えなくなってしまうのである。

#引用ここまで#

 倫理的に書くならば、早瀬以蔵氏のように私がTRPGをセラピーとして使わない理由  Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ)となるでしょう。この記事にあるとおり、娯楽としての位置づけで充分という考えの背景も、よく理解できました。
 今後、行動の導きとして、僕自身の在り方もよく考えなおしてみます。


 専門家になるには医師免許取得は必要なく、金銭面でも、比較的簡単に資格が取れるようです。さむらい商法に利用されている怪しげな資格がぞろぞろあります。どの専門家の口から指摘しているのかいい加減で怪しいです。

放送大学HPより。

臨床心理士

臨床心理士は、臨床心理学の知識や技術を用いて心理学問題を扱う専門家です。「財団法人日本臨床心理士資格認定協会」が資格認定しています。 放送大学大学院は、「財団法人日本臨床心理士資格認定協会」の第2種大学院指定校となっており、修士全科生として「臨床心理学プログラム」を修了した上で、1年以上の心理臨床実務経験を経ると、臨床心理士の受験資格が得られます。

認定心理士

認定心理士は、心理学に関する標準的基礎知識と基礎技術を修得していることを「公益社団法人日本心理学会」が認定する資格です。
資格取得に必要な単位は全て放送大学で満たすことができます。また、他大学で修得した単位と放送大学で修得した単位をあわせて申請もできます。放送大学で修得した単位を活用してすでに3,400人以上の方が認定心理士の資格取得要件を満たしました。
 

 


 

アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか?-大人の発達障害を考える

米田衆介著

「指示を理解できない」「不器用で仕事をうまくこなせない」「他人を怒らせてしまう」「まわりの空気が読めない」…大学で職場で-不適応が起こるのはなぜか?「アスペルガー症候群」の本質と支援策を徹底解説。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • 第1章 「アスペルガー者」とはどんな人たちなのか
  • 第2章 アスペルガー障害の本質
  • 第3章 さまざまな症状とそれが生じる理由
  • 第4章 個人差と環境による適応の違い
  • 第5章 さまざまな不適応とその対策
  • 第6章 アスペルガー者をどう支援するのか
  • 第7章 アスペルガー障害を生きのびるということ

「BOOKデータベース」より

 

 こちらの本は、伏見先生がFacebookで紹介されている本で、支援者のこちら側はまずおいておいて、支援される方々への的確な理解が述べられています。

 シングルフォーカス、シングルレイヤー思考、ハイコントラストという中核的特性から、
 自己モニター障害、注意欠陥・多動特性群、情動制御関連特性群、運動制御関連特性群、記憶と学習に関する特性群といった周辺的特性が述べられています。

 以上、デザインメモです。
 


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[つれづれ]「対等性の原則」

 [コミュニケーション]社会学のアプローチ1

 で、本で指摘されているような、


こうした関係のなか、「純粋な自分」でありたい、それを認しあう「純粋な関係」を築きたいという願いが高まり、現状の配慮しあう関係は「偽りの関係」に見えて絶望感を深めてしまう。そして、純粋な関係が可能な場として、「本音」をいいあえるネット上の関係が求められ、「内発的な衝動や直感」(=純粋な自分)が投げ出される。(土井 2008:9-10,46-49)。

  この関係を支えるものに「対等性の原則」がある。価値観や意見の押しつけへの強い嫌悪感を持ち、上下関係は少しの時間も容認できず、「上から目線」にめっちゃムカつく。対等を守らなければ怒り出すこわい人が増え、互いを腫れものや爆発物として扱わなくてはならない。(森真一 2008:50-64,117)
 

 こういう記事が出たら案の定、「腫れもの」「爆発物」反応をする。指摘通りでしょう。
 「対等性の原則」をふりかざす匿名同士の爆発物コミュニケーションがネットでのコミュニケーションだと思っている。ネットだけではなく、現実もこれであるべきだ、という論には全く呆れ果てます。

 「対等性の原則」で、現実を生きている人など、この世にはいません。誰もが対等なわけがないのです。生まれて、努力して、結婚して、死ぬ。このプロセスがある以上、対等ではないのです。

 たとえネットでのやり取りであっても誤解があれば電話くらいしますし、私が研鑽してきたものと、某が研鑽してきたものの交歓は価値あるものかもしれない。現実が対等でない以上、お互いにいい関係を作りたいものです。

 ネットだということで純粋な自分が投射されている人は、お話にもなりません。

 さて、心理的障害は、対等性も純粋な自分もない、非対称なコミュニケーションで発生しますが、治療方法もまた、非対称なコミュニケーションで行われます。
 完全に「上から目線」のコミュニケーションです。これによって破壊された心は、これによって治療されます。

 常識的に言って、治療行為は医師免許を持っていなければ出来ません。ただし、家族として友人として、愛情や友情による手当てをやってはいけない人はいません。

 ちょっと前に、産みの母が大腸がんで切除する手術を受けました。手術は無資格の僕がやってはいけません。術後、母は自分で冗談ばかり飛ばして自分でウケて笑って、咳き込んで痛みに耐えている時に、僕がやった背中をさする手当ては、家族として当たり前です。

 これもまた、非対称なコミュニケーションです。治療行為ではありません。それでも、何も無意味ではなく、術後の痛みや苦痛に耐えるための助けには、なったかと思います。
 医療行為しか信じない人はこの世にいないと思いたいなあ。


[つれづれ]RabbitHole Dropsの確率

 Facebookで展開されているRabbitHole Dropsについてのシステム評価です。
 サイコロを何回ふると10回目の6になるか。%で確率計算。ピークは60回目くらい。一回に二個振るので、30回目に10回分の6の目が出ることが一番多いという計算になります。(あれれ?)グラフで見ると分かるように、30回目以降にやっと発生するという感覚がありますが、気のせいではないです。
 



何回目か

10

0.000002

11

0.000015

12

0.000076

13

0.000274

14

0.000798

15

0.001996

16

0.004435

17

0.008976

18

0.01683

19

0.029609

20

0.049348

21

0.078509

22

0.119944

23

0.176841

24

0.25263

25

0.350875

26

0.475143

27

0.628865

28

0.815196

29

1.036872

30

1.29609

31

1.594396

32

1.932601

33

2.310719

34

2.727932

35

3.182587

36

3.672216

37

4.19358

38

4.742739

39

5.315138

40

5.905709

41

6.508981

42

7.119198

43

7.730442

44

8.336751

45

8.932233

46

9.511174

47

10.068135

48

10.598037

49

11.096235

50

11.558578

51

11.981453

52

12.361817

53

12.697215

54

12.985788

55

13.226266

56

13.417951

57

13.560695

58

13.654866

59

13.701311

60

13.701311

61

13.656536

62

13.568994

63

13.440985

64

13.275047

65

13.073909

66

12.840447

67

12.577631

68

12.28849

69

11.97607

70

11.643402

71

11.293464

72

10.929158

73

10.553288

74

10.168532

75

9.777435

76

9.382387

77

8.98562

78

8.589195

79

8.195005

80

7.804767

81

7.420025

82

7.042153

83

6.67236

84

6.311692

85

5.961042

86

5.621158

87

5.292649

88

4.975995

89

4.671556

90

4.379584

91

4.100228

92

3.833546

93

3.579516

94

3.338041

95

3.10896

96

2.892055

97

2.687063

98

2.493676

99

2.311553

100

2.140327

101

1.979607

102

1.828984

103

1.688041

104

1.55635

105

1.43348

106

1.319001

107

1.212484

108

1.113505

109

1.021651

110

0.936513

111

0.857698

112

0.784821

113

0.717515

114

0.655422

115

0.598203

116

0.545531

117

0.497096

118

0.452603

119

0.411772

120

0.374338

121

0.340052

122

0.308678

123

0.279995

124

0.253797

125

0.229888

126

0.208089

127

0.188228

128

0.17015

129

0.153707

130

0.138763

131

0.125193

132

0.112879

133

0.101713

134

0.091597

135

0.082437

136

0.07415

137

0.066657

138

0.059887

139

0.053774

140

0.048259

141

0.043286

142

0.038804

143

0.034768

144

0.031136

145

0.027868

146

0.024931

147

0.022293

148

0.019923

149

0.017797

150

0.01589


 式は、ここを参考にしてください。


ある試行で事象Aが起こる確率がpであるとき、この試行をr回繰り返して行う重複試行において、事象Aがn回起こる確率は




 エクセルだと、22回目はこんな式です。
 =ROUND(COMBIN(22,10)*(1/6)^10*(5/6)^(22-10),8)*100

 プレイ人数に合わせていくと、10回よりも出現回数を減らすため、11回、12回…と増やすと仮定すると、正規分布のグラフに近づきます。

ダウンロード(xls)



[WESTERN]DUKE廣井先生がWWAに招聘。

 資料協力をさせていただいているDUKE廣井(HIROI)先生が本日、Western Writers of America(WWA)に招聘され、ニューメキシコ・アルバカーキへと発ちます。

 アーセナリーや、ウィーバー・スタイルなど、コナミのスネークのナカノヒト(モーションキャプチャー)です。ビル横山先生とは長いお付き合いのようで、(オセロットのナカノヒト)トルネードてふ吉田先生を育てた人だと思います。
 2ちゃんねるにヤクザ風中年男性と書かれて、爆笑していました。特別国家公務員で、カタギ中のカタギです。男の中の男ですよ。

 WWAのフェイスブックはこちら

 DUKE廣井(HIROI)先生の著書は、




[つれづれ]RabbitHole Dropsの評価

 Facebookで展開されているRabbitHole Dropsについての評価です。

 シナリオアートには感心しました。
 [SYS]メタゲーム論02で述べているように、TRPGのロールプレイパートはリアルタイム・バイ・コミュニケーション方式です。
 シナリオアートは、このリアルタイム・バイ・コミュニケーション方式を、ヴィジュアル化し、コミュニケーションのダイレクトな進行に対して、間接的にアプローチさせます。

 間接的にアプローチさせようと、視覚情報を考慮し、確率を記述する方式として、僕は、

 [TRPG]シングルフォーカスから、本当の障害考察。

 [TRPG]箱庭シナリオ「桃太郎の鬼征伐」まとめ~シナリオ・デザイナー強化論

 などを、考案してきました。
 

 蛇足。

 なぜ、ここまで視覚情報化すべきなのかについて、動機がありまして。

 実際に「自分はある障害を持っている。だから空気をぶちこわしにするかもしれない」と公言する方と卓を囲みました。

 シングルフォーカスを乗り越えさせるためには、できるだけ、こちらは視覚化させるしかない。
 以前にも書いたように、長文や聴覚情報に弱い。健常者でも、弱い方もいる。万人に受け入れられるためにも、ヴィジュアル方面のアプローチが非常に有効です。
 そこにこだわり、その障害を告白した方とまた、卓を囲めたらいいなあと思っています。

 発想の根っこは同じで、ロールプレイパートのヴィジュアルサイド・ドリブンを目指したものです。
 色分けマスの面積によって、イベントの発生を表現しています。
 これは、研究の結果、確率ペトリネットを確率側から記述した発想と判明しました。

 この色分けマス自体を楽しいイラストに置き換え、発生確率を表示しない方法が、シナリオアートです。

 シナリオアートは非常に冴えたやり方に見えますが、欠点があって、僕の方式にはない問題点として、具体的にどれだけの発生確率(可能性)や因果関係や発生条件や結果があって、それはどれについての記述なのかを、ユーザー側に丸投げしてしまっています。

 イラストを書く能力を問わないとしながら、そのイラストの意味を明示せずに発生する誤解についてのフォローが絶対に必要になるのに、ユーザーに任されてしまっています。

 イラストについての説明を入れる必要があります。
 イベントへの因果関係や発生条件といったイベント・ドリブンの記述がどうしても必要です。

 シナリオアートに区画や範囲を指定する。
 区画や範囲に関する説明を入れる。明示的に意味を説明して、トラブルへの可能性や対処を書く。
 シナリオアートにつくった区画や範囲自体に、イベントに必要なイベントを明らかにする。それらを含めてイベントの発生に必要な要素は、太い黒線丸のなかにアイコンを入れて、「大事だよ」とする。
 区画や範囲につける細い線丸のアイコンは、「関係するかも」「邪魔をするかも」とする。
 区画や範囲に、手に入れられるアイコンを明示する。

 以上が僕の提案です。

 あと、ついでながら。
 個人的に似非医者、似非医療関係者にお金を積んで、個人的運用による効果を謳っていないことに好感が持てました。

 表現の自由から。例えば、母を津波で亡くし、父を自殺で失った子供に、


 

 

 

 これを読ませて、子どもの心に傷を負わせた! と憤る人がいますか。
 このレベルでしか考えられないクレーマーは単なるクレーマーなので、相手にしないのが正解でしょう。専門家なる方は、児童心理学の研究者やその他の専門家や論文を伝えないので、胡散臭い。
 胡散臭い根拠、失礼なのは、どちらの方かは、

 [つれづれ]「臨床心理学の倫理をまなぶ」「アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか」

で述べています。
 

 [コミュニケーション]社会学のアプローチ1

#引用開始#
 ゲオルク・ジンメルは、他人を完全に理解するためにはその人と同じ人格をもつことが必要であるが、そんなことは不可能だと述べたことがある。コミュニケーションについても同じことで、人間が個別的な存在である限り「完全なコミュニケーション」はほんらい不可能なのである。その意味でディスコミュニケーションは不可避であるが、鶴見俊輔もいうように、「ディスコミュニケーションは、決して、いつも悪いもの」ではない。たとえば、それはしばしば「思索の飛躍」を助け、科学や芸術に新しい成果をもたらす。」
#引用ここまで#

 この記事で取り上げた本を読んでみてください。図書館から借りてもいいです。以下は読んでいる人向けの僕の感想です。読んでいない人にはわからないでしょう。

 人は他者をすべて理解することはできない。

 程度の差はあれかなりの誤解がノーマルなものとして含まれている。」すべての誤解を解こうとするとコミュニケーションはとても難しくなる。
 次の行為で修正されれば十分であり、「わたしたちはこうした誤解と折り合いをつけることでいい。
 これはTRPGにも当てはまる。

 対人関係の円滑化だけに特化されたコミュニケーションという社会的強迫観念は、確かに病的だ。

 匿名の同好の士とのコミュニケーションの円滑化なんて笑える。さんざん記事を書いてきて一貫してきたものに、全部を読まないで唐突に脊髄反射。コミュニケーションの断絶を感じる。誤解との折り合いも全くない。

  [つれづれ]「対等性の原則」
 

 


[SYS]メタゲーム論02

[TRPG]なりきりプレイを善悪二元論から解放する。

で、



伏見先生のツイートから。

@pumiminpumimin
TRPGにおいて、戦闘は正しくシェアできる自己表現の手段なのだな、と思う。やはりコドモーズは僕にとっては単純な確率論的なダイスの振り合いでしかない戦闘をすごく面白がれる。僕はもう面白くはない、外してしまいたい、ぐらいに思っているんだけど、他の者にとってはそうではない。

 について、

 ロール・プレイは、他の人々の立場やパーソナリティという点から「憶測し直すこと(Second-guessing)」が特徴で、他のゲーミング・シミュレーションとの大きな違いだと僕は指摘します。
 TRPGはこの要素を引き継いでいます。

 として、感情移入論へと展開しています。
 と同時に、コミュニケーション論と遊び論についても自分なりに考えてきました。

[TRPG]TRPGの宿命。

「補論: 二 教育学から数学まで 2 数学的分析」には、ゲーム理論についての遊びへの適用の全く正当な反論が述べられており、僕もカイヨワ氏と意見を一致する。数学者がカードゲーム程度の確率を求めたり、意志決定論を述べたとしても、人間は遊びに合理的選択を強制されては楽しめない。

[コミュニケーション]社会学のアプローチ1

[TRPG]「遊びの現象学」を読んで。

 別の切り口として、プラクシス・実践の次元の意味で、TRPGのなかでほとんどに成立しているメタゲームは、GMが無限兵力や無限財力を持っているとしても、戦闘システムばかりであるということです。

 戦闘システムはイベントドリブン方式(多くの場合)です。

 ほぼペトリネットで表現できます。ペトリネットは、戦闘システムにかぎらず、イベントドリブン方式の次のような性質を持つシステムを表現できます。

発生の仕方 …非同期性

相互関係 …並行性(同時進行性)、干渉、先行関係、競合
 


 

実例ペトリネット : その基礎からコンピュータツールまで

椎塚久雄著

本書は、ペトリネットの実際的な応用を目指した入門書である。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • 1 ペトリネットへの誘い
  • 2 離散事象システム
  • 3 モデル化と解析の基礎
  • 4 時間および確率ペトリネット
  • 5 ネットインバリアント
  • 6 生産システム(FMS)のモデル化
  • 7 カラーペトリネット
  • 8 ペトリネットツール

「BOOKデータベース」より


 この本は非常に難解ですが、応用としては最適です。

 翻って、ロールプレイパートは原則としてリアルタイム・バイ・コミュニケーション方式です。
 イベントドリブン方式は多くのゲームに見られるものですが、なぜ、TRPGが勝敗のないゲームでいられて、メッセージ性や物語性を積み込めるのかという疑問へのこれが一つの答えだと思います。

 正しくシェアしにくいのは、コミュニケーションが未熟か失敗しやすいからでしょう。

 戦闘になると、イベントドリブンでサイコロと数値管理だけのコミュニケーションしかしなくていいのです。正しくシェアしやすい。

 因果関係というエンゲージメントのホームレンジ(生活圏)でしか、ゲームはメカニズム(イベントドリブン)として成立できないことは、ゲームデザイン上、痛感します。

 対して、TRPGは、コミュニケーションテリトリー(やりとりのなわばり)に非常に大きく及びます。ゆえにデザイナーが想定していないプレイが楽しまれているのでしょう。

 [SYS]戦闘システム論からTRPGの物語論。

では、僕はこう考えました。

 思うに、このTRPGの限界からして、サバイバルゲームのような、本当に非直線的(同時手番)なゲームという範疇とは、異なると思います。そしてそのようなゲームは、目的の達成感を強烈に持つのだとも。サバイバルゲームの雑誌の記事と取材されるゲームプレイ自体は、とても連続整合のある物語性をもつとはいえません。もしこのようなものに、物語性を求めるとしたら、ヤラセか、記録メディアを通した映画撮影に近いものに、リアルタイムではできないエディットを施したものになります。

 TRPGの展開は、選択肢と呼びうるかもしれない、一軸基底の『解釈とその超出』にあって、追跡するとすれば直線的(逐次手番)で、物語的です。エディットは常に介在しています。それでも展開の連鎖、プロセスという並び、シークエンスの完成の達成感を持ちます。

 つまり、物語的に面白いTRPGがもつのは、ポーカーや麻雀の「役」揃えのような、組み合わせ的な達成感とすると、物語的につまらない(物語を無視したような)TRPGがもつのは、順列的でいて組み合わせに不都合な「ブタ」のようなものとはいえませんか。
 この特性は、なぜ連続的整合を目指そうとすることが楽しいかという理由になります。


[SYS]メタゲーム論01

 高校生の頃、部活動で様々なアイデアを試す機会に恵まれました。

 ここでは、メタゲーム論は、実験に基づいたTRPG上でのゲーム空間におけるゲームを対象にします。
 TRPGをやっている最中にPLキャラクターとNPCがポーカーをするというシーンを実験したものが出発点です。テオリア(理論)の意味上で出現するメタゲーム論とは違って、プラクシス(実践)の次元上で出現するメタゲームを指します。

 GMは無限のリソースを持っています。戦力・兵力に我々は眼が行きがちですが、財力もまた、無限です。

 「無限兵力」という言葉の他に「無限財力」とでも、呼びましょう。

T&Tでの実例:無限財力のメタゲーム

 ポーカー勝負に参加したキャラクターは、あまりにも少ない所持金からか、必ず、青天井のレイズではおります。かなりいい手が揃わない限り、勝負をおります。

 GMの意図は、PCに所持金を渡したいのです。あなたの装備では死ぬのが目に見えている。所持金の余裕を作るより、もっと装備にお金を使ってしまいなさいというものです。
 だいたい、ダンジョンで一攫千金を求めるはずなのに、ローコストではみんなに迷惑がかかるでしょう。死んだあとは本人もつまらないと思うからです。

 本来、GMにとってはお金をつかませるためのイベントでした。

 トロールの言葉、ケン・セント・アンドレの言葉に従い、幸運度や器用度のセービングスローも加えました。

 それでも、勝負から降りるのです。
 PLはGMに勝てないと思うのは、無限財力を持っていないことが原因です。ここには、TRPGのコミュニケーション上の信頼関係が関係します。GM(僕)は信頼されていなかったのです。
 お金を貯めると勝ちという、モノポリーのようなゲームとの区別がつかなかったわけではないのです。これは他の方がやっても同じ結果になると思います。

 PLを楽しませることを第一に考えていても、PL経験が当時はかなり少なく、PLの立場を理解していなかったのです。

 無限財力も無限兵力もあるGMと、PLはTRPGにおいては、別のゲームをしていると考えなければなりません。無限兵力について調整するTRPGはよく見かけますが、無限財力も調整するTRPGは見かけません。

 ですから、GMとPLの勝負というものは、今のところ存在していないTRPGです。
 勝負ができるようにされたTRPGは、TRPGとは別物になります。

 ポーカーなどのメタゲームをTRPGの特殊なルールで処理する、これが回避策です。メタゲームがゲームらしさを失わないように処理するのが上策でしょう。

 おそらくTRPGにはメタゲームは成立しない構造があるのです。

 PLをやってみればわかりますが、耐久力や、HPが削れるのはかなり苦しいものです。所持金が削れることもです。GMにはそんな枷はありません。

 あくまでも、デザイン上のメモです。念のため。

 


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