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 [コミュニケーション]社会学のアプローチ1

 で、本で指摘されているような、


こうした関係のなか、「純粋な自分」でありたい、それを認しあう「純粋な関係」を築きたいという願いが高まり、現状の配慮しあう関係は「偽りの関係」に見えて絶望感を深めてしまう。そして、純粋な関係が可能な場として、「本音」をいいあえるネット上の関係が求められ、「内発的な衝動や直感」(=純粋な自分)が投げ出される。(土井 2008:9-10,46-49)。

  この関係を支えるものに「対等性の原則」がある。価値観や意見の押しつけへの強い嫌悪感を持ち、上下関係は少しの時間も容認できず、「上から目線」にめっちゃムカつく。対等を守らなければ怒り出すこわい人が増え、互いを腫れものや爆発物として扱わなくてはならない。(森真一 2008:50-64,117)
 

 こういう記事が出たら案の定、「腫れもの」「爆発物」反応をする。指摘通りでしょう。
 「対等性の原則」をふりかざす匿名同士の爆発物コミュニケーションがネットでのコミュニケーションだと思っている。ネットだけではなく、現実もこれであるべきだ、という論には全く呆れ果てます。

 「対等性の原則」で、現実を生きている人など、この世にはいません。誰もが対等なわけがないのです。生まれて、努力して、結婚して、死ぬ。このプロセスがある以上、対等ではないのです。

 たとえネットでのやり取りであっても誤解があれば電話くらいしますし、私が研鑽してきたものと、某が研鑽してきたものの交歓は価値あるものかもしれない。現実が対等でない以上、お互いにいい関係を作りたいものです。

 ネットだということで純粋な自分が投射されている人は、お話にもなりません。

 さて、心理的障害は、対等性も純粋な自分もない、非対称なコミュニケーションで発生しますが、治療方法もまた、非対称なコミュニケーションで行われます。
 完全に「上から目線」のコミュニケーションです。これによって破壊された心は、これによって治療されます。

 常識的に言って、治療行為は医師免許を持っていなければ出来ません。ただし、家族として友人として、愛情や友情による手当てをやってはいけない人はいません。

 ちょっと前に、産みの母が大腸がんで切除する手術を受けました。手術は無資格の僕がやってはいけません。術後、母は自分で冗談ばかり飛ばして自分でウケて笑って、咳き込んで痛みに耐えている時に、僕がやった背中をさする手当ては、家族として当たり前です。

 これもまた、非対称なコミュニケーションです。治療行為ではありません。それでも、何も無意味ではなく、術後の痛みや苦痛に耐えるための助けには、なったかと思います。
 医療行為しか信じない人はこの世にいないと思いたいなあ。

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