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内部の点を●、境界上にある点を○とすると、数えて計算すると面積が出ます。
このような面積を出す方法を使って、
のような図の面積を単純に出す計算方法を用います。これは、ピックの定理(公式)といいます。
五線譜判定は、系統誤差などの項目はもちろん、「少女を抱き抱える」「2mの縁を飛び越える」「飛び越えたらキラリと歯を光らせる」「息を乱さず愛を告白する」などのプレイヤー側の演出リクエストにも適用します。
その判定のレベルも、高い順に並べるなどして、上の方法で、「全て成功/失敗する確率」を出し、難易度・容易度を決めます。
[SYS]誤差論と演技論に基づく簡易成否判定
単純に和にすればいいのですが、それより簡単かと思います。
人間の性能諸元・スペックの解明は、精神物理学に負うところが大きいでしょう。かなりの分厚い本で、図書館でお借りしましたが、購入を検討しています。
ゲーム性というものは心理学の領域にあるのかも知れません。
[目次]
「BOOKデータベース」より
[目次]
「BOOKデータベース」より
ゲームとしての社会戦略 : 計量社会科学で何が理解できるか松原望著 筆者が長年文系・理系共通に大学1、2年生に講義してきた社会分析の基本知識を、ビジネスマン、社会人向けに大幅に書き直し拡充した知的訓練書。「決め方の戦略:議論の進め方で先手」「チキン・レース:最悪事態を避ける」「約束の信憑性:公約は守るのがいいか守らなくていいのか」「ポートフォリオ:デリバティブことはじめ」「データ数字:使わないおろかさと信じきるおろかさ」「ねずみ算算法:実際はいつまでも続かない」「カオスと複雑系:見物渋滞の社会的損失」「方策決定:使えるリソースは有限」「リスクと金融工学:ついに『パンドラの箱』を開けたのか」「市場の倫理:コンプライアンスとCSR」…など、関心の高い社会のさまざまな事象を、ゲーム理論、意思決定理論、統計分析法、基礎微積分などの基本にも触れながら興味深く論ずる。社会のしくみを知的に楽しめ、かつ、ビジネスにおいても役立つ知識を盛り込んだ、「計量社会科学」リテラシー。終章「あなたの戦略力を試す16問」はユニーク。 「BOOKデータベース」より [目次]
「BOOKデータベース」より |
こちらの公表済みのアイデア、キャリアシステムを、
「パクらせて下さい」とお申し出がありましたので、取り決めをして許可しました。
M上M志さんです。許可済みですので、記録しておきます。
昔のことに遡りますが、ファイティング・ファンタジーとD&Dの戦闘システムを駆動させたとき、
と、直観的に感じました。
いや、スゴロクを否定しているわけではないのですが、トンネルズ&トロールズとは、明らかに違う性質の「スゴロク感」を感じたのです。
今ゲームをデザインしていますが、あの時感じたのは、「可変トーナメント形式」と呼べるような、手番処理の違和感でした。トンネルズ&トロールズはリーグ戦のような感じです。
例えると、野球のスコアボードに、先攻・後攻の得点(オモテ・ウラ)が記入されて、そのまま別の試合に移るような、トーナメント。
甲子園の野球を、一回のオモテ又はウラごとに、対戦チームごとすりかえて行くような形式。得点されたのが限界以上だと、敗退。さらに、一回ごとにシード権があって、生き残りは晴れて甲子園球場へ、の、ような感触。
(トンネルズ&トロールズでは、オモテ・ウラの一回を処理して戦い続けるのですが、それは単純にGMの負担軽減のためか、戦闘のみに頼らないデザイン方針からだったと思います。こちらの作品には、「トロールの言葉」という、臨機応変なルール運用と改造について記載されていました。)
この概念の突破は、恐らくできないのかもしれない。
まず、言語が直線的に文法に沿って語られることがあります。その時点でこの限界はあるかもしれない。
思うに、このTRPGの限界からして、サバイバルゲームのような、本当に非直線的(同時手番)なゲームという範疇とは、異なると思います。そしてそのようなゲームは、目的の達成感を強烈に持つのだとも。サバイバルゲームの雑誌の記事と取材されるゲームプレイ自体は、とても連続整合のある物語性をもつとはいえません。もしこのようなものに、物語性を求めるとしたら、ヤラセか、記録メディアを通した映画撮影に近いものに、リアルタイムではできないエディットを施したものになります。
TRPGの展開は、選択肢と呼びうるかもしれない、一軸基底の『解釈とその超出』にあって、追跡するとすれば直線的(逐次手番)で、物語的です。エディットは常に介在しています。それでも展開の連鎖、プロセスという並び、シークエンスの完成の達成感を持ちます。
つまり、物語的に面白いTRPGがもつのは、ポーカーや麻雀の「役」揃えのような、組み合わせ的な達成感とすると、物語的につまらない(物語を無視したような)TRPGがもつのは、順列的でいて組み合わせに不都合な「ブタ」のようなものとはいえませんか。
この特性は、なぜ連続的整合を目指そうとすることが楽しいかという理由になります。
こうして俯瞰すると、ゲーム性と物語性は全く相反する概念にはなりえないし、むしろ、親和性が高いともいえると思います。