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GameDesign 西部劇TRPG開発日誌

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[TRPG]エクリプス・フェイズ正式発売日

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[TRPG]second-guessingについて。『ゲーミング・シミュレーション作法』

ロールプレイの特徴である「憶測しなおすこと」(second-guessing)については、かなり昔から言われていて、否定されていません。もちろん個人的に勝手にでっち上げた概念ではありません。
ロールプレイの話をするのは勉強が必要です。遊ぶこととは違います。

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『ゲーミング・シミュレーション作法』キャシー・スタイン・グリーンブラット「Design Games and Simulations―an illustratedhandbook」
新井潔 兼田敏之訳 共立出版株式会社

ロール・プレイングとゲーミング・シミュレーションの相違点

ロール・プレイングは,いくつかの重要な意味でゲーミング・シミュレーシンとは異なる教育技法である。ロール・プレイングは,ゲーミング・シミュレーションの要素ではあるが、後者は他の構成要素も含んでいる。大部分のロール・プレイング演習において、参加者は、ある役割を割りつけられるとともに、自分の置かれた状況についての一般的な説明を受ける。しかし、そこから先の行動は自由である。一方、ゲーミング・シミュレーションにおいては、役割は、相互に作用しているシステムにおいて定義される。すなわち、他の役割と相互作用するような役割に力点が置かれる。モデルは、動的な相互作用の基礎を形作り、先に述べた制約、報酬、懲罰を含むのである。
さらに、ゲーミング・シミュレーションにおいては、特定の人々のパーソナリティや立場という点から、「憶測しなおすこと」(second-guessing)はほとんどない 。参加者は、シナリオや役割規定だけでなく、彼らの行動を方向づける目標や目標達成のために利用できる資源、彼らが取ってよいあるいは取ってはいけない行動を規定するルール、そしてプレイの順序について指示される。参加者の行動やルール違反の結果がどうなるか、また、参加者の役割や行動に組み入れられていない他のシステム要素がどのように反応しそうかについても知らされる。このように、参加者の行動が、望ましい最終目的を達成するうえで成功か失敗か、目標が見える形でモデルが構築される。

このように、ゲーミング・シミュレーションは、構造化や形式化の程度や、個々の役割演技よりも相互作用プロセスを強調する点において、ロール・プレイング演習と異なっている。その上、教育におけるロール・プレイングでは、多くの場合、数人の学生が参加する一方、クラスの残りの者が傍観者となってしまう。あるいは、複数のロールプレイを並行に行うために、クラスが小グループに分割されてしまう。 (これら「金魚鉢*1」や「多重分割」の形式はよく知られているが、他の形式については、ファン=メンツ(Van Ments)に記述されている(Van Ments , 1983,ch.7 ). )ゲーミング・シミュレーションをクラスのなかで使う場合は、すべての学生が参加者となるので受け身の傍観者はいない。


訳者注*1:たとえば「金魚鉢」とは、二重の輪を作り、内側の人のロールプレイを外側の人が観察する方法。まるで外側の人が金魚を観察するようなので、この名がついた。


[TRPG]問題解決がゲームではない理由


 個人的メモです。
 フォン・ノイマンが
 「チェスはゲームじゃありませんよ。チェスというのは、明確に定義された計算の一形式なんです。実際に答えを出すことはできないかもしれないが、理論的には正しい「手」が存在するはずです。」と言ったという。
 つまり、「チェスはゲームではない、答えの分からないパズルを二人で解いているのだ」ということ。
 このようにチェスを協力ゲームとして捉え直すことが出来る。
 ナッシュは協力ゲームについて、協力行動の分析は, 適当な非協力ゲームのモデルによるべきであるという。これをナッシュプログラムと呼ぶ。
 こうした視点からは、いわゆる勝敗を指すゲーム性は消滅する。
 パズルを解く競争(アゴン)ではなく協力や名勝負の棋譜の模倣(ミミクリ)に還元されてしまう。


 チェスの棋譜は展開を記録したストーリー。
 問題解決がTRPGの本質ならば、ごく簡単なマップとNPCでプレイできるはず。
 そういう立場のTRPGは単体では遊べないと言われる。
 これは本質ではないものを本質に据えているから。

 GMはPCの行く末に興味を持ってもらうことが重要。
 PCが危険なトラブルを避けて関わらないことが一方的に悪いわけではない。
 単なるドタバタ劇あるいは日常であっても興味を惹けば成立する。
 問題解決ならば解決できるように配置。  解決に及ばないシナリオを用意しない。
 観客がいる演劇ではないので、徒労に終わることを強制しない。
  吟遊詩人マスターが嫌われるのはPCの有効性がないため。
 同じくPCに有効性がない無力からの悲劇、無意味な選択の強制はできない。
 観客相手ではないので強制しにくい。
 
 

 TRPGの場合、リプレイが棋譜に似ているだろう。
 棋譜に妙手や疑問手があるようにリプレイは心を動かす。
 答えの分からないパズルを解くように解法の望ましいシークエンスを全体として得る。

 いま、ここの僕とあなたのプレイするTRPGである理由は何だろうか。
 そして、我々のPCが我々の解釈に委ねられている理由はなんであろうか。
 ロールプレイはそのPCの立場になって憶測しなお(Second-guessing 新井潔による)されたもの。

 フォン・ノイマンはさらにこう言う。
 「それに対して本当のゲームはというと、全然違います。現実の生活は、はったりやちょっとしたごまかしの駆け引きやこちらの動きを相手はどう読んでいるのだろうかと考えることからなっています。そして、それこそが私の理論で言うゲームなのです」

 つまり本当のゲームは現実の生活であって、ゲームは単純化されたモデルだと言うこと。
 そして「相手はどう読んでいるのだろうかと考える」がゲームだという。
 ということはロールプレイのSecond-guessingはそれ自体がゲームの要素を持っている。
 ここでTRPGでの問題解決がゲームではないことは明らかでしょう。
 シナリオ上に用意された障害はロールプレイという枠組みを豊かにするものに過ぎない。
 問題解決はときにただ一つの正解を要求する解をPLに求める。
 これはPCのロールプレイという枠組みを外れてしまうことが多々ある。
 別のパズルを解く課題を投げ込むもの。

 TRPGではパズルの解に達するためにはロールプレイ上の解を求めることが大事。
 ロールプレイ上の解とは物語的な望ましいシークエンスだ。
 そうすることによってGMとPLのゲームが成立する。
 GMはそういう意味で圧倒的制圧をPCに及ぼせない。
 PLのPCとしてのロールプレイを楽しむことが出来る。
 これを自覚したGMへの信頼がPLの楽しみの根拠となる。
 こうしてロールプレイというワン・クッションが笑顔を介して調和する。
 ゆえに遊戯として力の拮抗した遊動関係、シーソー遊びを形作っている。

 つまり意志決定や問題解決ではなく、それを包含した、関係とその変化を解釈すること。
 この現実の営みと同じことを単純なモデルとしたものがRPGのゲーム性です。
 世界設定がないと遊べないのはPLがPCの立場を憶測し直すことが出来ないからです。
 少なくとも僕はそう考えます。

[TRPG]ゲーム学の流れ


 基本情報として研究のためのメモです。

 TRPGの研究について僕が関わると考える基本情報です。

 まず哲学方面から遊戯論があります。現象学などが関わります。ホイジンガ、カイヨワ、フィンクなど。

 文学方面では物語論からのアプローチがあります。ナラティブという概念など。

 次に、数学、どちらかというと経済学方面からゲーム理論が関わってきます。

 そして、心理学や社会学や教育から、コミュニケーションの理論が関わってきます。TRPGを用いた障害児への教育の論文は珍しくありません。

 情報学からは将棋などの人工知能を用いた研究もあります。アルゴリズムなどが関わってきます。

 これらは、総じて人間解明の学問です。

 人間とは何かを、全て解明することは難しいので、ゲームという狭い枠に置くことで、人間の解明に役立てようという研究です。

 その上でゲームを論じるのがゲーム学で、TRPGももちろんその対象です。




[TRPG]プロットの類型

 TRPGはゲームにストーリーを展開させる力を持っている。様々なプロットに対応できる。その可能性を試行錯誤して見つけ出していくことは面白さの一つだと思う。 プロットには類型があり、その数はそんなに多くの数には分かれない。フリードマンによる分類。


#引用開始#

(1)運命プロット

(a)活劇プロット(一つの問題と一つの解決をめぐって組織化され、大衆文学に多いプロット。スティーヴンソンの『宝島』)

(b)哀愁プロット(魅力的だが弱い存在の主人公が失敗し、その不幸な結末が悲しみを誘うプロット。ハーディの『ダーバヴィル家のテス』)

(c)悲劇プロット(魅力的な主人公にその不幸の責任があり、感情浄化を受け手が経験できるプロット。ソポクレースの『オイディプス王』やシェイクスピアの『リア王』)

(d)応報プロット(反感を買って当然の、しかし賞賛に値するところもある主人公が主人公が失敗するプロット。シェイクスピアの『リチャード三世』やベン・トラヴァンの『シエラ・マドレ山の宝』

(e)感傷プロット(魅力的だが、弱かったりあるいは消極的だったりする主人公が最後に成功するプロット。ディケンズの『荒涼館』やユージン・オニールの『アンナ・クリスティ』

(f)賞賛プロット(魅力的な主人公にその成功の原因があり、その主人公が尊敬と賞賛を集めることになるプロット。マーク・トウェインの『トム・ソーヤの冒険』やトマス・ヘガンの『ミスター・ロバーツ』)。

(2)性格プロット

(a)成長プロット(魅力的だが素朴な主人公がやがて成長するプロット。ジョイスの『若き日の芸術家の肖像』、ディケンズの『大いなる遺産』、ヘンリー・ジェイムズの『ある婦人の肖像』)

(d)矯正プロット(魅力的な主人公が自分が原因で、不幸になるが、良い方向に変化するプロット。ホーソーンの『緋文字』)

(c)試練プロット(主人公が繰り返し失敗し、理想をあきらめるプロット。チェイホフの『かもめ』や『ワーニャ伯父さん』)

(d)堕落プロット(魅力的な主人公が、ある危機的状況を経て、さらに悪い方向に変化するプロット。ジッドの『背徳者』)。

(3)思想プロット

(a)教育プロット(魅力的な主人公の思考力が向上するが、それが行動面に反映しないプロット。マーク・トウェインの『ハックルベリ・フィンの冒険』)

(b)啓示プロット(主人公が自分の置かれた状態を認識するに至るプロット。ロウアール・ダールの『犬にご用心』)

(c)感情プロット(主人公の態度・感情は変化するが、その思想は変化しないプロット。オースティンの『高慢と偏見』)

(d)幻滅プロット(主人公が読者の同情を失うとともに自分の理想を失い、ついには絶望して終わる、あるいは死んで終るプロット。フィッツジェラルドの『偉大なるギャッツビー』、ジョーン・バースの『煙草仲買人』)。


Norman Friedman, Published in Journal of General Education, 8 (1955), 241-53.
#引用ここまで#


シナリオ作成論の深い獣道へ。

 批評用語に向いていますが、物語を構成する要素は何かという作り手にも。
 創作の参考になる書籍です。






物語論辞典

ジェラルド・プリンス 著 ; 遠藤健一 訳

この辞典で、定義し、説明し、例証しているのは、物語論に固有の用語、物語論に受容され元来の意味とは異なって使われている用語、及び、物語論的記述や議論に頻出し、かつ必須の用語であるが、本来的には意味論の領域に属している用語である。

「BOOKデータベース」より

 theme (主題)の項を例に挙げてみます。



theme (主題)
意味部門のマクロ構造上の範疇あるいは枠(frame)。その枠を例証している(と受け取れる)判明な(そして不連続な)テキストの諸要素から抽出可能な(あるいは、それら諸要素の統一化を可能とさせている)枠で、テキストやテキストの一部を問題にしている(と見なせる)より普遍的で抽象的な物体(観念、思想など)表示している枠。
 主題は、テスクトとの諸要素を結合されたりその結合を可能とさせたり、さらに、テクストやテクストの一部が(部分的に)問題にしているものを表示している別種のマクロ構造上の範疇や枠から区別されなければならない。すなわち、主題とは、例えば、行動の枠(プロット(plot))や存在の枠(登場人物(character)、背景(setting))ではなく「観念」の枠なのである。
 さらに、主題は、主題を表出させるより具体的でより特殊的なモティーフ(motif)とも区別されなければならない。さらに、主題は、特定のモティーフの複合体によって(例証されるというよりはむしろ)構成されるトポス(topos)とも区別されなければならない。
 最後に、一個の作品の主題は、その論点(thesis)(作品が支持する教義)とも区別されなければならない。後者と違って前者は、一つの答えを奨励することはなく、ただ問いの提出を助長するだけである。すなわち、主題は断定的というよりはむしろ観想的なのである。



topos(トポス)

(文学)テクストに頻出するモチーフ(motif)の安定した複合体。賢い道化,老いた子供,快い場所などが,ヨーロッパ文学に極めて一般なトポスである。


TRPGのシナリオ作成の説明などのとき、用語の混乱がよく見受けられます。下手すると批評の世界でさえソーカル事件のように専門用語を誤用しているケースもあります。
 こういった書籍で確認してみるといいかも知れません。


[SYS]ダメージ管理シート(人間用)


 これが今使用している「ダメージ管理シート」です。メインキャラクター用です。


[TRPG]シーン制の内蔵フェーズ、解決策

 昨日は若人の方と飲んでいました。

 シノビガミはシーン制の中にターンがきちんとあって、PLひいてはPCの見せ場がきちっとあるのがいいというお話でした。
 今度はどどんとふでやってみようと思いました。

(最近までどどんとふのランダマイザー関係は僕との関係者が拵えていたそうです。道理でルールブックを借りていくわけだ。世間は狭いですね)

 逆に、見せ場が強制されないD&D4thは、役割をこなすということで活躍できるので、PCの見せ場が要求されても困るという方には好評だという貴重な情報を頂きました。

 3.5版は申し訳程度に持っているのですが、ユーザー層がマニアックなのが難ありとか?

 僕は、T&Tの邦訳初版をいろいろカスタマイズしておりましたが、シーン制と銘打ったシステムが出てくる前から、シーン制を導入していまして、内蔵されているのはターンではなく「スポット」と呼んでローカルルール運用していました。

 見せ場が強制されて、役割をこなすだけではないという問題は僕のローカルルールでも発生していました。
 解決策として、レッテルシステムをベースとする方式に全面改定しています。カオスフレアに似ている方法です。


 D&Dのモンスター(クリーチャー系列)はこちらを参考にするといいとか。


 他には、D&Dユーザーは、(赤箱の時代からですよね)優越意識ともつかぬ老舗か選民意識を持っている方が少なからずいるというお話にも驚きました。
 3.5版よりは4版にはその傾向は少なくて、事故を恐れるなら4版の方がオススメだそうです。
 非常に勉強になりました。