(つれづれ)コベントリー・ジレンマ(Coventry Dilemma)
引用です。
【宿 題】 |
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当ブログでも、このジレンマについて省察があります。
GameDesign 西部劇TRPG開発日誌 [TRPG]さらば、馬場理論よ(4)その方法論はできない子の言い訳
馬場信奉者の作ったお話。 |
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このとき、ローハンの野伏でした当方のPCは、スマキにされている商人を深い山奥に馬で運び、野伏は獲物を狩って火を起こし、空腹の商人にあてつけで肉を食っていました。
商人は、「腹がへった。死にそうだ。」と訴えてきた。
「村人はもっと腹が減っていた」と野伏。
「私は被害者だ。どうしてこんなことをする?」と商人。
「ローハンの掟には、他人を助けないものが困っても助けなくていい、という教えがある。」と野伏。
ちょっとばかり問答が続いたあと。
「わかった。商品は諦める。だから、助けてくれ。」
その一言を聞いて、水と肉を渡して腹ごしらえをしたあと、商人を解放。
商人は他の護衛を連れて、来た道を帰っていった。
しかし、商人は訴えでて、村の長老に責任をかぶせて、斬首させ、野伏は指名手配として賞金をかけられた。
こんなかんじです。
もし、上の宿題をするとすれば、チャーチルとしてコベントリーとその他の町の人びとを、避難させ疎開させる。攻撃はこちらが察知したが、コベントリーが、特定できないと見せかける。
暗号解読が大変であろうと、相手は大幅な変更は考えないであろう。
こんな感じです。
ただし、当方の考えでは、TRPGは、[SYS]戦闘システム論からTRPGの物語論。でのべたとおり、
物語的に面白いTRPGがもつのは、ポーカーや麻雀の「役」揃えのような、組み合わせ的な達成感とすると、物語的につまらない(物語を無視したような)TRPGがもつのは、順列的でいて組み合わせに不都合な「ブタ」のようなものとはいえませんか。 |
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であるようなものが理想的であって、野伏が指名手配になるような「残念なブタ」のシークエンスとはさせないのが、TRPGの協力的な遊び方と言えるのではないかと思います。
