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GameDesign 西部劇TRPG開発日誌

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(つれづれ)コベントリー・ジレンマ(Coventry Dilemma)
傷だらけの偉大な負け組に捧ぐ:「役割演技式競技」における「ヒーロー」とは何者であろうか?: Analog Game Studies

引用です。

【宿 題】

 第二次世界大戦に関してこんな話がある。それは「コベントリー・ジレンマ(Coventry Dilemma)」と呼ばれる(じつは架空の話だが戦略学や軍事史での模範問題となっている)エピソードだ。かいつまんで言うと、大戦中のイギリス首相ウィンストン・チャーチルはドイツ軍の暗号を解読した情報部から、イギリスの都市コベントリー(戦略上の価値は低いが、数万人の市民が住む町)がドイツ空軍に爆撃される予定にあると知らされた。ここからあるジレンマが生まれる。

 チャーチルには二つの選択肢があった。

 A)ドイツ軍の爆撃機を阻止して、コベントリーを守る。
 B)ドイツ軍の爆撃機を阻止せず、彼らがコベントリーを攻撃するのを許す。

 それぞれの選択のメリット、デメリットはこうだ。A)を採用すればコベントリーは防衛できようが、ドイツ軍は自分の暗号が解読されたと察知して暗号を変えるかもしれない。そうなればチャーチルは敵を打ち破る上で必要な情報を得られなくなり、結果として戦いは長引き数十数百万のイギリス国民が死傷する。しかしB)を選択すればコベントリーは爆撃されて数万人の市民が死傷する。最終的にドイツを打倒しても、コベントリーを見捨てたという事実はぬぐえない。

 いずれの選択を取ろうが、チャーチルが後世にこう非難されるのは免れない。「裏切り者め、国民を敵に売りわたした悪党め」と。ちなみに他の選択肢は(国内外の事情から)不可とする。

 さあ、今からあなたはチャーチルだ。ドイツの爆撃機は刻一刻と迫ってくる。大勢の部下があなたの命令を今か今かと待っている。決断をするのはあなたの、あなただけの義務であり裁量だ。イギリス市民の安全はあなたの指示一つに懸かっている。さあ、平和と未来のためにどちらの選択肢を選ぼうか。

 お断りしておくが、以上の話は誰のために誰に死んでもらおうかという日常的な政治ゲームの一幕をデフォルメしたに過ぎない。皆さんの食ってるエビとかカニとか、オレンジとかバナナとか、どこの国のどんな人達の犠牲の上で日本に運ばれ、私達の口の前に運ばれてくるのか、この機会にお考えになってみるというのはいかがでしょうか?

 

 



当ブログでも、このジレンマについて省察があります。

GameDesign 西部劇TRPG開発日誌 [TRPG]さらば、馬場理論よ(4)その方法論はできない子の言い訳
 



 馬場信奉者の作ったお話。
 ロールマスターでこんなことがあった。
 大飢饉が起こった世界。遠くの農村に行けば食料が高く売れるという商人から後払いで、キャラバンの護衛を頼まれる。
 第一日目の村で、村の代表者が値下げ交渉してくるが、商人は「まからん」と、取引なし。
 村を出発するものの、村の者が覆面して襲ってくる。商人が人質になり、戦闘は終わり。
 護衛のものたちは、しばらくして馬車を追うと、商人と御者がスマキにされて転がり、品物は空っぽ。
 商人は村を襲って品物を取り返せと叫ぶ。
 さてどうするか。
  なんて、胃癌と肺癌を選びなさいのような、シナリオ。
 どう転んでも、悲惨な損害を受ける人が出るだけ。
 全く、楽しくなかった。馬場理論どおりになっているけれどもそれが成り立っていれば、TRPGなのか。
 

 

 このとき、ローハンの野伏でした当方のPCは、スマキにされている商人を深い山奥に馬で運び、野伏は獲物を狩って火を起こし、空腹の商人にあてつけで肉を食っていました。
 商人は、「腹がへった。死にそうだ。」と訴えてきた。
 「村人はもっと腹が減っていた」と野伏。
 「私は被害者だ。どうしてこんなことをする?」と商人。
 「ローハンの掟には、他人を助けないものが困っても助けなくていい、という教えがある。」と野伏。
 ちょっとばかり問答が続いたあと。
 「わかった。商品は諦める。だから、助けてくれ。」
 その一言を聞いて、水と肉を渡して腹ごしらえをしたあと、商人を解放。
 商人は他の護衛を連れて、来た道を帰っていった。

 しかし、商人は訴えでて、村の長老に責任をかぶせて、斬首させ、野伏は指名手配として賞金をかけられた。

 こんなかんじです。


 もし、上の宿題をするとすれば、チャーチルとしてコベントリーとその他の町の人びとを、避難させ疎開させる。攻撃はこちらが察知したが、コベントリーが、特定できないと見せかける。
 暗号解読が大変であろうと、相手は大幅な変更は考えないであろう。

 こんな感じです。

 ただし、当方の考えでは、TRPGは、[SYS]戦闘システム論からTRPGの物語論。でのべたとおり、




 物語的に面白いTRPGがもつのは、ポーカーや麻雀の「役」揃えのような、組み合わせ的な達成感とすると、物語的につまらない(物語を無視したような)TRPGがもつのは、順列的でいて組み合わせに不都合な「ブタ」のようなものとはいえませんか。
 この特性は、なぜ連続的整合を目指そうとすることが楽しいかという理由になります。

 こうして俯瞰すると、ゲーム性と物語性は全く相反する概念にはなりえないし、むしろ、親和性が高いともいえると思います。
 

 

 であるようなものが理想的であって、野伏が指名手配になるような「残念なブタ」のシークエンスとはさせないのが、TRPGの協力的な遊び方と言えるのではないかと思います。


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コメント

1. 無題

AGS第一回のコラムは、TRPGを謳いつつも、TRPG(者)的ではないな、という印象を受けました。
更に、脈絡がないようにも思える【宿題】です。ただ、どうにもカタルシスのない重い選択(意思決定)を迫られる、というのは、原因はどうあれGMの矢面に立ってプレイしていると往々にして経験することではありますね。

ps.ローハンの野伏でなく、RDRのガンマンであったなら卓の面子の心象を気にすることもなく・・・(邪笑)

2. 紐付け。

>ただ、どうにもカタルシスのない重い選択(意思決定)を迫られる、というのは、原因はどうあれGMの矢面に立ってプレイしていると往々にして経験することではありますね。

 よくありますよね。カタルシスのない重い選択。ゲームにもよりますが、GMは意識して気をつけたいことです。
 カタルシスひいては物語性としての意味ある紐付けは、基本的なテクニックだと僕は思います。

 もし、GMがこんな選択を迫ると、そのときのPLがGMをするときにやり返され、結局仲間全体でTRPGをやめようかという提案に行き着くような気がします。
 好きな趣味を遊ぶ仲間は選んでいいのですから。
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