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大塚英志 著
ライトノベルやまんが、アニメに登場する「キャラクター」は、作品の成否を決定づけるだけでなく、商品として消費され、あるいは二次創作に使用される。そのようなキャラクターは、どうやってつくれば魅力的になるのか?古今東西の物語理論を自在に応用し、「私」が反映されたキャラクターをつくりだす決定版マニュアル。
「BOOKデータベース」より
[目次]
「BOOKデータベース」より
キャラクターはパーツの順列組み合わせなのか? |
ストーリーが順列組合せだという分析には、僕もコミットしています。
[SYS]戦闘システム論からTRPGの物語論。
[SYS]メタゲーム論02
TRPGでは、たしかにキャラクターのアバターと呼ばれるたぐいのランダマイザーやロール・オア・チョイスが用いられたりはします。最近はアーキタイプや、パッケージの組合せを使っています。
ただし、昔も今も、プレイヤーが自分のキャラクターの背景設定を作り込むことは推奨されて行なわれています。TRPGは単純なスゴロク作成のキャラクターを仮に用いたりすることもありますが、シナリオを進めていくうちに、必ず、作成以前の設定が求められてきます。親や兄弟がどうしたという話のたぐいが求められてきます。
ですが、類型だけでは、作家性やメッセージ性が本当に失われるという実験を大塚さんはしていないようです。
[つれづれ]「ファンタジーの文法」で触れたように以前、僕は実験しました。
ですから、ストーリーが順列組合せである、キャラクターも順列組合せであるということについては、コミットする姿勢が違います。
順列組合せだけでは作家性が得られないということが僕の実験の結果です。
作家性や「私」には、ストーリーの順列組合せは道具であることについての見解は同じです。そこから先に、テーマやメッセージ性を盛り込まなければ、結局、創作上の「なぜつくるのか」という問題を解決しません。そこが、「誰にでも創れる論」の限界です。
キャラクターがアバターで順列組合せだという論においては、TRPGでさえも、キャラクターに背景設定のストーリーが求められる実情を把握していないのでしょう。
TRPGでは、キャラクターシートのイラストや、「フォーチュン・クエスト」のお面というか頭飾りがあります。これは、他のプレイヤーさんに描いてもらったり、自分で描いたり、描いてあげたりするレッテル(ラベル)的な仕組みです。つまり、コミュニケーション上のアイコンです。(「フォーチュン・クエスト」では、頭飾りをすげ替えて遊ぶことも見られました。言いたくもないことを頭飾りをすげ替えて言わせたり、やらせてしまうギミックでした)
これは、キャラクターのアバター(表面・内面)が、その内包する順列組合せを表示しないということです。
TRPGでは、キャラクターは、ペルソナ(仮面)を使った、ミミクリ(模倣)の遊戯の仕組みです。
ペルソナは、能面という日本文化のコードだけでも、組合せとはとても思えないバリエーションが確認できるでしょう。例えば、このペルソナと決まった曲目で、能が演じられます。そして、その鑑賞形態や鍛錬の披露が行なわれます。表現の余地はないかどうかと言うと、確かにあります。「遊びの現象学」を読んで。 の西村清和先生の論である、遊び=遊隙で括られます。
ミミクリ同様、ストーリーの類型論も、遊び=遊隙で括られます。
類型論を辿るストーリーをキャラクターが征き、キャラクターには類型論で語れる背景のストーリーが流れる。
キャラクターの構成要素はストーリーであるから、結果、キャラクターが類型論でカテゴライズできるかのように錯覚させられてしまいます。直截に言うと、僕のこの感想は、
「誰にでも創れる論」の限界がないように錯覚させる
手品の種明かしという指摘です。
手品の種を知っていたとしても手品師にはなれないでしょう。これは個人的な感想です。
こういった手品にコミットできる方は古今東西のキャラクターの類型をどうぞ蒐集してください。プロップやトンプソンもそんな壮大な作業はされていません。