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GameDesign 西部劇TRPG開発日誌

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[TRPG]D&DとT&Tのデザイン方向性

 約束しました内容の記事です。
 こちらは、「ウォーロック(雑誌)」の紹介で、まず手始めにD&D、それからT&Tを手に取ったクチで、この二つのデザインコンセプトが、どれほど異質であると理解したのか、大いに議論しました。

 T&Tには初期デザインから、セービングロールが実装されていました。
 D&Dには抵抗値という各種のエネルギー攻撃に対する防御力が表記されていました。

 T&Tは、ゲームシステムの詳細化を嫌って、デザイナー自身がハウスルールの作成を奨励し、D&Dは上級MU(マジックユーザー)は塔を立てるので資金を集めるのだというように、デザイナーズルールによって、サポート体制をとりました。

 議論になったのはT&Tの幸運度、知性度、魅力度です。
 これらはPLの手に余るという意見と、PLとPCの違いが明確であるから賛成するという意見に見解が分かれました。
 ところが、D&Dにはアライメントという演技指針が実装済みでした。

 さらに、D&DはGMの判断に頼らず公式見解を発表し続け、ユーザーは経済的に恵まれていなければ楽しめないという、現在のTCGよりも酷い状況に陥りました。さらには違法なルールブックのコピー(複写)が出回り、それを元にした同人のリプレイが出回り、結局、市場規模の大きさの割に売り上げは伸びず、D&Dの版元「新和」撤退という形となり、D&Dの版権は抑え続けられ、AD&Dは日の目を見るのに十年以上もかかりました。

 T&Tが、いわば隙間だらけの骨組みの処理体系でも、普及しました。
 グループSNEが、後に「ロードス島戦記シリーズ」となったものも、初期にはT&Tが用いられ、SWが発表されても、T&Tは独自展開され、求めやすい価格の雑誌上でオリジナルのワールド、「セル=アーネイ」が発表され、ハイパーT&Tは二種類も出版されるほどでした。
 シンプルで安価なT&Tが、D&Dやローズ・トゥ・ローズ、トラベラーなどへのシフトの起爆剤になりました。いわば、牽引役でした。

 この市場戦略は決定的に、デザインコンセプトの違いにあります。例え稚拙でも、子供が子供を楽しませあう工夫を凝らす娯楽は今までになかったからです。そして、セービングロールという概念は、TRPGのオリジナルであるD&Dにも採用され実装されました。
 D&DもT&Tも、はじめからRPGの役割演技をユーザーに要請していたのです。どちらのデザインが優れていたにせよ、この原点は忘れてはならないと思います。

 昔も今も、TRPGは共同構築され発展していることは間違いありません。



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コメント

1. セービングロール

D&Dにおけるアライメントが役割演技の指針だという意見には反対はしませんが、主たる部分はアライメントではなくクラスにあると思います。
ですが、T&Tにおけるセービングロールは、日本語で説明すればただの能力値判定ですよね?
極端に言えば、能力値オール10のローグが二人いた場合、この二人の役割演技の方向性の違いの演出を要請する要素とは思えません。今回の私の質問であるところの、「単純なダンジョンハックは(ここで語る)TRPGか否か」とは関係ないと思います。

重ねて問いますが、パーティ全員が「立身出世と一攫千金を求めるところの戦士/魔術師/盗賊」であって、そこにいわゆる演技型のキャラクタープレイがなくとも、(要するに、「僕の戦士Aは盗賊をかばうように前に出て、ゴブリンに立ち向かうよ」であっても)ここで語るTRPGと呼べ得るのかを質問しています。

正直なところ、馬場氏の解釈では「全員戦士のPTによるTRPGをTRPGと認めない」感があるので、自分的には不十分だと思っています。(さらに正直に言えば、馬場氏の解釈自体過去のものだと思うので、(新解釈の発表はともかく)いまさらその解釈否定の必要性も感じないのですが…)

2. 設問理解ができました。

>重ねて問いますが、パーティ全員が「立身出世と一攫千金を求めるところの戦士/魔術師/盗賊」であって、そこにいわゆる演技型のキャラクタープレイがなくとも、(要するに、「僕の戦士Aは盗賊をかばうように前に出て、ゴブリンに立ち向かうよ」であっても)ここで語るTRPGと呼べ得るのかを質問しています。

>正直なところ、馬場氏の解釈では「全員戦士のPTによるTRPGをTRPGと認めない」感があるので、自分的には不十分だと思っています。(さらに正直に言えば、馬場氏の解釈自体過去のものだと思うので、(新解釈の発表はともかく)いまさらその解釈否定の必要性も感じないのですが…)

 その場合、持ち出される解釈が馬場理論では太刀打ちできない状況が発生するわけですね。
 由来を考えるとシミュレーションゲームや戦国大名のユニットの差異に行き着くでしょう。
 それは、差異化、すなわち固有性、希少性の明示で、RPGの本質を突いています。
 少々、お時間をくださいませ。愚考を改めてみます。
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