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 論陣の前提として、きちんとした論議が行われるように、言葉の齟齬の発生や言葉遊びにならないため、一度、哲学畑から指摘します。

 人類文化学者として有名な、ジャレド・ダイヤモンド氏が、生物の観察に残していった鉛筆を、現地民は「イヤリング」の飾りにしたという記述があります。

 主観、客観で説明付ける二元的な分割は、意味を成さないのです。世の中が、いくら「イヤリング」と言い張っても、鉛筆は鉛筆という、存在論的には、どうあがいても道具的存在なのです。

 ちなみに、主観客観の概念は、「神の存在証明のために合理主義」が、設定したものです。そうハイデガーは指摘しています。

 存在論的に道具的存在が持っているものは、「指示」であって、環境世界にとけこみ整理された状況が必要になります。これは、適した状況下にあれば、「適所性」をもち、「有意義」になります。
 そうでなければ、「ぐちゃぐちゃ」の存在、「片付けられていない」「整理されていない」ものとなります。

 おそらく、ハイデガーは、人間存在論的な接近をしていったと思うのですが、言葉とか論戦についても同じことが言えます。
 鉛筆はイヤリングになるといって、論じても有意義ではない。鉛筆が紙などに字や絵を書く「指示」があるのであって、イヤリングとして用いられるのは、「有意義」ではない。

 つまり、「西部劇がファンタジーであるか」という答えは以上の根拠からです。


 

 

 

 

 

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