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ゲーム理論のTRPGへの適用の限界

 ゲーム理論の経済数理的展開は、ほとんどが「ジレンマ」「混合戦略」などの別称さえあるにせよ、最大利得解においては、チキン(レース)・ゲームを対象としている。シグナリング、脅迫他の手段手法において、ゲーム理論は、目覚しい功績のナッシュ均衡でさえ致命的なことに「損害」の概念から抜け出せていない。ラッセルのタイプ理論が出発点と目され、ラッセル自身の弟子であるヴィトゲンシュタイン論理実証主義側から激烈に批判されているのに、ノイマンの固執によってなお踏みとどまったままである。第二次世界大戦の傷跡が修復されていないためか、サルトルハイデガーでさえにじり寄った現象学さえにも歩み寄ろうとしていない。

 TRPGは、協力型ゲームとは言い切れず(フリーライダーが干される構造は注目に値する)、コミュニケーションによるある種の協奏型非零和のゲームであり、そこには、脅迫ではなく、賞賛という形式が適用される未開拓なゲーム形式である。

 最大利得と最小利得、均衡、支配戦略、均衡解などに当てはまらず、ほぼ報酬系のない点、合理的であることを強要できない点から、前提からして、経済数理的展開のゲーム理論の次元においては無理で、哲学的展開が必要である。この方面においてゲーム理論は立ち遅れており、残念ながら、経済数理的モデルで発達めまぐるしいセオリーの適用が不可能であることをまず、明記しておく。

 また、ゲーム理論で展開されるモデルは現在のところ端的に自然界のモデルを理解し、進化の過程を説明できる、いわば「ケダモノの論理」にすぎず、サイモンの提唱した「人工物の科学」として不適切な全く正反対の結論を導き出すため、有害で幼稚な段階にあることを自覚して用いなくてはならない。その証拠にスポーツ科学にゲーム理論は全く取り入れられていないか、役に立っていない。TRPGがゲームだからと言って安直に分析にゲーム理論を用いてはならない。

 この「ケダモノの論理」は、主体的な人間とその感性の介入の余地を入れないものであり、心理学が個としての人間の心理を洞察することができないのと同様であり、これを援用しない原始的な基礎理論が必要である。

 TRPGユーザーは「ゲーム理論」の迷妄の信仰をやめるべきである。

 この信仰を広めた無知な人間の罪は重い。

 TRPGにだけ、シグナリング、脅迫他の手段手法や問題解決の創作が対応しているのだとするのは愚の骨頂であり、ジレンマの戦略的選択に関してもTRPGは、GMとPLの利害の衝突でもなく、もちろん、PLとPLの衝突でもないため、TRPGとゲーム理論の曲解は冒涜と断言できる。

 付言するなら、そんな暗鬱たる同調者がTRPG仲間を失って行きSSRIを飲んでも効かず、苦しみながら、ゲームを開く日の早朝に亡くなった。われわれは希望を求めたのであり、絶望とペシミズムを求めるのではない。 ゲーム理論は楽しいゲームを作る理論ではない。TRPGはゲーム理論で成り立つ構造は見かけ上の一部分にしかなく、重宝しても気を利かせた機転にさえ劣る。

 パスカルは「幾何学の精神と繊細の精神」が大切だと言っている。TRPGは知的挑戦ばかりではなく、心理学が対象にしないいわゆる「こころ」、智・情・意の挑戦である。その能力に障害を持った病的な精神には負担が大きい。

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