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GameDesign 西部劇TRPG開発日誌

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[TRPG]箱庭シナリオ「桃太郎の鬼征伐」その3

 シナリオは、以下の枠内に、それぞれどれだけの時間消費がかかったか、フラグが立っていない場合はどうするのか、それぞれ記入し、AからFのフラグゾーンから、A1などのベクトルを記述することで完成します。

 この手法を基本とすることにより、一本道でもなく、鬼側の戦略を記述しやすく整理できる土台となります。

        A B C D E F
A 1                        
    2                        
B 1                        
    2                        
    3                        
C 1                        
    2                        
    3                        
D 1                        
    2                        
    3                        
E 1                        
    2                        
F 1                        

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[TRPG]箱庭シナリオ「桃太郎の鬼征伐」その2

 スタートは端から。きび団子一個入手の図。
 一個のきび団子で、戌(いぬ)をお供にするために、B1を狙う。Bに命中。戌が一匹、お供に。

momo_sc01.png




 さらに、(きび団子を少し分けるのか? 交渉するのか?)戌をお供にしようとするが、
 あわれ、Eの鬼が島の鬼(鬼合戦)がやってくる。戦力不足か。

momo_sc02.png


 ここで雉を味方につけようと、C1へ。Cの雉ゾーンに入る。

momo_sc03.png

 このように、ABCDEFのそれぞれから、その中に点フラグになる基準方向と、その際にかかる誤差を操作していけば、ベクトルとスカラーを包含できます。
 この場合、箱庭シナリオ「桃太郎の鬼征伐」その1のフローチャートではない、処理系となります。

 このとき、鬼側の戦略や、きび団子増強による申軍団を桃太郎が作ってもお話にはなりますし、鬼を殲滅して、和睦を結ばなくてもいい。ゴールは決まっていません。
 この図のそれぞれのゾーンの立体的な運用がマスタリングとプレイングの演出となり、ユーザーがゲームデザインできる部分です。

[TRPG]箱庭シナリオ「桃太郎の鬼征伐」その1

 桃太郎の鬼征伐の御伽噺について、詳しいことは抜きに、
基本的な話の流れは下のフローチャートで表せます。
 

momof.png




 上の図のようなオブジェクト指向的な図表をシナリオとします。

 御伽噺上たどった道は下の図になります。


momo02-2.png

 このルートをたどらなくても、(Aマホのように)結果を目標としなくても、いくらでもルートのパターンが作りやすいか、推測がつくと思います。
 この具体的運用方法は次回に述べます。


 


「Mr.早撃ちマン」VHSのみ。

VHS

RUSTLER’S RHAPSODY

監督
ヒュー・ウィルソン

出演
トム・ベレンジャー
G.W.ベイリー

 

 コメディ西部劇で、VHSのみ。DVD化されていないらしい。
 ペヨーテ(サボテンの根っこ)で、トリップするシンギング・カウボーイ・パロディ。


「夕陽のガンマン」

夕陽のガンマン

PER QUALCHE DOLLARO IN PIU
FOR A FEW DOLLARS MORE
1965年イタリア・スペイン

監督・原作・脚本
セルジオ・レオーネ
撮影
マッシモ・ダラマーノ
出演
クリント・イーストウッド
リー・ヴァン・クリーフ
ジャン・マリア・ヴォロンテ

 

関係

 賞金稼ぎのモーティマー元大佐(リー・ヴァン・クリーフ)は50年も稼業を続け賞金首を上げてきた。時々何かを持って耳に手をやるしぐさをする。
 モーティマーより若い賞金稼ぎの男(クリント・イーストウッド)はモンコとも名なしとも呼ばれスマートに、時に強引に賞金首を上げていた。
 殺人犯エル・インディオ(ジャン・マリア・ヴォロンテ)は子分の助力で脱獄し破格の賞金をかけられる。子分それぞれにも賞金がかかっている。自分を売った男の妻子を殺し、懐中時計の音楽が止まったら拳銃を抜けと告げて、殺す。インディオは麻薬中毒でオルゴールの付いた懐中時計を大切にしている。

 インディオはエルパソの銀行の襲撃を立案。子分を偵察に向かわせる。
 モーティマーはサルーンにいるインディオの手下を馬鹿にして探りを入れるが、手下はすごすごと帰る。
 二人の賞金稼ぎが出会う。名なしはモーティマーを町から追い出そうとする。しかし協力関係を結ぶことに。(名なしはモーティマーを出し抜こうとするたび、裏を掻かれてしまう。)
 名なしは内から、モーティマーは外から攻めることに。名なしはインディオの手下のサンチョを脱獄させて助け、手土産としてインディオの仲間に加わる。
 インディオは名なしには別の町の銀行の襲撃をさせる。名なしは付けられた手下を皆殺しに。さらに電信所で銀行の襲撃があったとニセの電文を送信させてエルパソで、モーティマーと待機する。インディオの本当のねらいは手薄になったエルパソの銀行で、銀行強盗は成功する。
 モーティマーは名なしに北へ向かわせるように指示を出す。名なしはインディオの元に戻り、一味は北へ向かう予定だったが、名なしは南の国境越えを勧める。強盗一味は東のアグア・カリエンテへずらかる。
 アグア・カリエンテにはモーティマーがいた。モーティマーは分け前を要求する代わりに、一味の奪った金庫をあけることができるとインディオに申し出て金庫をあける。
 インディオは奪った金は日を置いてほとぼりが冷めてから、配分することにする。

変化

 モーティマーは奪った金をサドルバッグに移し変え、箱の中に手配書を入れ、カギを閉めなおす。名なしはサドルバッグを持って屋根の瓦を元に戻してでるが、見つかってしまう。モーティマーも同じく見つかりリンチにかけられる。
 インディオは一人の手下だけとカネをもって遠くへ行くことに気を変え、仲間をその手下に殺させて、賞金稼ぎの二人を逃亡させる。
 仲間を殺し逃亡させたことを擦り付けてインディオは手下を殺し、賞金稼ぎと手下を戦わせる。
 銃撃戦。
 だまされなかった手下の一人がインディオのところに戻ってきてインディオを脅して箱のカギをあけさせるが、箱の中にはインディオの手配書一枚。カネはどこにも見つからず、賞金稼ぎと対決するため、手下は銃をインディオに渡す。
 箱をしまった部屋から出てきたところをモーティマーが撃つ。
 銃撃戦が終わる。
 しかし出てきたのはインディオではなく、モーティマーは銃をインディオに落される。
 インディオはモーティマーに懐中時計の音楽が止まったら拳銃を拾えと告げて、音楽がとまりそうなとき同じ音楽が聞こえる。名なしがモーティマーの持っていた懐中時計をこっそり、掠め取っていたのだった。名なしはモーティマーに拳銃を渡し、勝負を再開させる。

 (インディオは女性のボーイフレンドと、女性自身の自殺をさせた強姦者であることがあきらかに)果し合いはモーティマーの勝利に決着し、インディオの持っていた懐中時計のふたの写真は自分の妹だと名なしに明らかにする。
 モーティマーは賞金首すべてを名なしに譲り、自分は復讐が果たせたと夕陽に向かって去っていく。
 名なしは馬車に賞金首の死体をごろごろと載せ、生き残っていたもう一人も射ち、載せて屋根から出たときに木に引っ掛けてあったサドルバッグを回収して去る。

解釈

コメント
 名なしがモーティマーを町から追い出そうとするときにホテルマン?の混乱と、モーティマーのぴかぴかの靴を履いた足をギリギリ踏んで踏み返されては殴るという「小さい」所が面白い。インディオ役のジャン・マリア・ヴォロンテが個性的で印象深い。名なしの役のクリント・イーストウッドは主演俳優としては、モーティマー役のリー・ヴァン・クリーフに食われ気味。個性的なのは印象に残る。セルジオ・レオーネ監督とクリント・イーストウッドのコンビの第二弾で、こなれている。エンニオ・モリコーネの音楽も秀逸。今回はDVDで見たが、VHSのほうではオープニングが違ったような気がする。記憶違いかも。VHSのほうを見て確認したところオープニングは同じでした。



2008年10月5日ウエスタン・ユニオンの集い。

WesternUnion

個人が特定しにくいよう、加工して見ました。


chackwagon

 展示されていたチャックワゴンのミニチュア作品。
 F先生が当店に御越しの際、「男の出発」をご参考にされてはいかがでしょうと、ご助言させていただきました。



WESTERN UNION

「真昼の決闘 HIGH NOON」

 真昼までの一時間、男はもう一度だけ保安官のバッチを胸につける

 カメラ、音楽、シナリオ、演技、この映画が公開された1952年の映画で、まぎれもない傑作だ。

 アカデミー賞主演男優賞、音楽賞、歌曲賞、録音賞に輝き今でも作品の力は失われていない。 


 この映画のもつ輝きと人間ドラマの収束は半世紀すぎた今でも観る者を魅了して、本当の映画の面白さとシリアスな展開は現代の映画を大きく突き放して、娯楽大作と呼ばれる現在のハリウッド映画のアンチ・テーゼとして君臨する。

 90年から00年代に製作されたハリウッド映画が、何故今、飽きられてきているのかを、おなじハリウッド映画たる本作「真昼の決闘 HIGH NOON」が教えてくれるのは、なんと言う皮肉な事だろう。

 舞台はハドリービルという小さな町、保安官のウィル・ケイン(ゲイリー・クーパー)はエミー(グレイス・ケリー)との結婚を境に保安官を引退して、他の町で平穏に暮らそうとしてた。

 祝福してくれる町の知人、友人たち。その結婚式の最中にもたらされた電報は、祝賀ムードを打ち消すには充分な内容であった。

 かつて逮捕したならず者フランク・ミラーが保釈されて、仲間と共に正午到着の汽車でそちらに着く。

 ケインは、町のため友人のためにと、銃を手に町に残ろうと考えるが、エリーに説得されミラー一味が到着する前に町を去ることにする。

 街道をはしる馬車を操り急ぐが、元保安官としての誇りか、男としての意地だろうか、ケインは町に戻った。

 再び保安官のバッチを胸にするケイン。

 しかし、町の住人たちは必ずおこるだろう撃ち合いを恐れ、ケインに味方するものは誰もいなかった。

 決闘の時刻となる時間軸と、ケインの心の葛藤が丁寧に描かれており正午までの一時間が、人間としての有り様と社会風刺に満ち、ラスト・シーンで堂々たる作品太さを見せてくれるだろう。

 まさしく時代をこえて受け継がれるべきタイトルである。(転載:リバティー店主たの)
 


[TRPG]お芸術を怖れるな!

 「アート」とか、「オブジェ」とか、日本では恭しく尊ばなくてはならないものという意識が強い。

 実際上は、「アート」には「技巧」という意味があったり、「人工物」を連想したり、オブジェには「ブツ」という意味合いがあって、てんぷらにした腕時計や携帯電話を「アート」だの「オブジェ」だのと美術館に飾られていたりする。

 なぜか若者でも、そうしたものに拝金主義に似た「お芸術コンプレックス」があって、庶民には手が届かない高尚さを持っているのだという価値観がある。

 本来、人間自体が芸術の源泉で、出力された表現を評価するのが芸術であって、高嶺の花ではない。

 TRPGで、馬場さんがアマチュアによる幼稚な世界設定製作を販売戦略の欠点だと、指摘しているけれども、それが高尚で大変な作業だとは僕は思わない。

 芸術に携わる人に何人かに接触したけれども、芸術家も酒もやればタバコも吸う。クソもするし屁もこく。ご飯を作ってあげたら喜ぶ。面白い話もすれば、愚痴もこぼす。

 TRPGのプレイヤーがその輪の中で役割演技をするのは、砂絵のようなもので、掻き消えてしまうようなものだけれど、きちんとした「お芸術」だと思う。
 このコンプレックスは、弊害も生み出していて、TRPGは単に選択肢を選ぶだけのゲームとして、誰でも人を選ばず、はた迷惑でもメンツ集めにこだわるなんてこともある。
 ウマの合わない人とお芸術をすることは、天才ピアニストのリヒテルとクライバーでさえできなかった。指揮者もスコアもあって、互いが醜い喧嘩。

 それだけ本来はハードルの高い共同芸術がTRPGなのだけれども、観衆のいないコミュニケーションの枠内での砂絵なのだから、「お芸術にびびるな」と主張したい。

 言葉を選ぶならTRPGゲーマーはアーティスト。
 もっと自信を持てばいい。

 どうして、卑下したり鼻つまみ者である必要があるのか問いたい。