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GameDesign 西部劇TRPG開発日誌

[つれづれ]人生に必要な友だち、害になる友だち

 自己啓発書のたぐいの徒話です。
 TRPGは、友だちづきあいの潤滑油のような遊びのツールです。

 害になる友だちが、21項目あげられていました。
 

害になる友だち

#引用開始#

1

ザ・プロミスブレーカー

約束を守らない。いつも失望させる。

2

ザ・テイカー

借りたまま返さない。大事なもの、貴重なものを借りるばかりで返さない。

3

ザ・ダブルクロッサー

信じ込ませて裏切る

4

ザ・リスクテイカー

危険を冒す。違法なこと、危険なことをして、危険な目に遭わせる。

5

ザ・セルフアブゾーブド

自己中心的。話を聞こうとしない。

6

ザ・チート

あざむく。嘘をつく。あるいは、パートナーを盗む。

7

ザ・ディスクローザー

暴露する。信頼を裏切る。

8

ザ・コンペティター

異常に競争心が強い。あなた自身や、恋人、仕事、財産など、あなたのもっているものに対し異常な闘志を燃やす。

9

ザ・ワンアッパー

人の一段上をいきたがる。

10

ザ・ライバル

あなたの持っているものは、何でもほしがり、それを取り上げようとさえする。

11

ザ・フォールトファインダー

あら探しをする。ひどく批判的。

12

ザ・ダウナー

落ち込ませる。いつでも否定的で、批判的で、悲観的。いっしょにいるあなたまで、否定的で、批判的で、悲観的になる。

13

ザ・リジェクター

きらいなくせに離れない人。あなたをきらい、そう公言する。

14

ジ・アビューザー

虐待する人。言葉で、肉体的に、または性的にあなたを虐待する。

15

ザ・ロウナー

一匹狼。友達といるよりは一人でいたい。

16

ザ・ブラッドサッカー

吸血動物。過度に依存する。

17

ザ・セラピスト

何でも分析し、助言しなければ気がすまない。

18

ジ・インターローパー

他人事に立ち入る。あなたの生活に過剰に立ち入る。

19

ザ・コピーキャット

真似する。あなたの真似をする。

20

ザ・コントローラー

あなたを支配し、あなたとの関係で主導権を握らなければ気がすまない。

21

ザ・ケアテイカー

保護者。友達に対し、対等ではなく世話係、親、子守りなどにならなければ気がすまない。

#引用ここまで#

 この本には、各項目に詳細な説明がもうけられています。僕はこういう問題を抱える友だちづきあいは原則的に避けてきました。
 TRPGのナカマでも、これは有効なカテゴリ分けだと思います。




解決テクニック

#引用開始#

1.利益に基づく交渉(interest-besed bargaining:IBB)モデル
2.相手の身になって考える
3.よく話を聞く
4.外から映画のように眺める
5.見解の相違を相違として認める
6.関係の正当性を認める
7.冷却期間をおく
8.理解を求める
9.「ごめんなさい」と謝る

 ゆるすと申し出る 
 ゆるしを受け入れる
 非現実的な期待を直視する
 黙殺する
 第三者の助けを借りる

#引用ここまで#
 

 ここも詳細に述べられています。友人間のトラブルを他の方同士の仲裁に役立つ助言でしょう。


友だち適合テスト


#引用開始#

 

1

その人は、嘘をつかないか。

2

その人は、あなたの同僚、部下、上司(仕事で知り合った相手の場合)に、礼儀正しい態度をとっているか。敬意を込めて、信頼できる態度で接しているか。

3

その人が誰かに似ている場合、その「だれか」は、あなたの好きな人、あこがれる人、尊敬する人か。

4

その人のほかの友だちはどんな人か。友だちはその人を信頼しているか。

5

その人に次に会う日が待ち遠しいか。Eメールや電話を心待ちにしているか。

6

その人は、あなたと友だちになりたいという気持ちを言葉か態度で示しているか。

7

すでにいる友だちに加え、その人を友だちにするだけの時間やエネルギーはあるか。

8

その人のことをよく知るためにじゅうぶんな時間を使っているか。

9

その人と何か楽しいことをしているか。

10

共通の趣味があるか。

11

その人と電話で話すと落ち着くか。

12

その人との間に価値観のひらきがある場合、その相違は障害にならないと思うか。

13

宗教、民族、人種、年代が異なる場合、その相違は障害にならないと思うか。

14

社会的経済的階層が異なる場合、その違いはお互いに気にならないか。

15

電話をかけたり会ったりする頻度について、合意しているか。

16

自宅または職場が近いか。遠い場合、距離は障害にならないか。

17

特別な事情のある場合をのぞき、その人からの電話には二十四時間以内に折り返し返事をしているか。

18

その人と会う約束をしたあとで、恋人や夫・妻との用事ができても、あなたはその人との約束を優先しているか。優先しないまでも、日程を変更して誠実に対応しているか。

19

その人のことが直感的に好きか。

20

その人に問18と問19の質問をしたら、「はい」と答えると思うか。

#引用ここまで#

 友だち作りの本は良くありますが、僕は、色々がんばっているからか、人が集まってくるタイプです。友だちづきあいをしていいかというのは、やはり以上のような条件で付き合いかたを変えます。



友だちと別れる決心を正当化するための確認項目
#引用開始#

1

最善を尽くしたが、ネガティブな関係は変えられなかった。

2

この友だちと別れるのは、それがわたしのためになるからだ。わたしはこの友だちのことよりも、誰のことよりも、自分を大事に考えなければならない。

3

わたしは冷たい人間ではない。こう決心するのは、簡単ではなかった。

4

この友だちに別れを告げるときには、できるだけやさしく、思いやりを込めるつもりだ。だが、別れるという決心はぜったいに変えない。

5

わたしには復讐心も残酷な気持ちもない。こうするのが自分にとっていちばんいいと思うから別れるのだ。

6

この友だちは、わたしの決断には賛成しないだろう。考えを変えさせようとするはずだ。だが、わたしはよく考えた上でこう判断した。それに従わなければならない。

7

この友だちについても、この過去の友情についても、噂話をするつもりはない。

8

この友だちの秘密やプライバシーは、別れたあとも尊重する。友だちにも同じことを期待する。

9

一度別れたら、自分の決断についてくよくよ思い悩まない。

10

ゆっくり時間をとって、この友情が終わったことを悲しみ、嘆く。大事な相手の死を悼むときのように。

11

害になる友情をひとつ終わらせたからといって、そういう友だちばかりを選ぶパターンがあることにはならない。

12

わたしには、明るく、前向きで、信頼できる友だちとつきあう資格がある。

13

うまくいかなかったこのつきあいからは、たくさんのことを学んだ。関係を修復することはできなかったが、それでもこの経験は、これからの友だちとの関係に、大いに役立つはずだ。

#引用ここまで#
 そうして友だちとゆっくり距離をとり、その友だちの幸せを願います。




いじめに対抗する戦略
#引用開始#

1

悪口をほめ言葉に変える。いじめっ子に何を言われても聞き流し、何かいいことをいわれたつもりになる。ほかに言うことが思いつかなかったら、いつでも「ありがとう」と言えばいい。

2

質問する。いじめっ子や問題児は、たいしてものを考えていない。習慣で質問している。こちらから質問すれば、考えるようになる。

3

同意する。いじめっ子は反対されるものと思っているので、同意されると驚く。

#引用ここまで#

 僕はいじめたこともないしいじめられたこともない。いじめを邪魔して止めました。消火器の粉末まみれにしたこともあるし、かみついたり、目に指をつっこんだりしてやりました。学校に転校すると、まず、転校生で親が自衛隊で自衛隊体育学校の偉い人に軍隊式のテクニックを教わったので、ヘタすると殺してしまいます。
 だから、いじめは許せない。いたずらか、いじめか、ケンカか、という区別は学校の先生より出来たと思います。いじめを見て見ぬふりをする臆病者には僕はなりたくなかった。
 苛烈な継子いじめを受けていたころ、世の中は何も僕にはしてくれない。人として太陽系が滅んでしまえと呪っています。
 僕は人間です。強い良心がある。




人生に必要な友だち、害になる友だち

ジャン・イェガー著 ; 山本雅子訳

信じこませて裏切る人、異常に競争心の強い人、きらいなくせに離れない人、うそつき、トラブルメーカー…いなくなってもいい友だちがいる人、必読。現代の「友情神話」を社会学者が精緻に分析。

「BOOKデータベース」より

[目次]

  • 1 そもそも友だちとは(友だちの条件
  • 「害になる友だち」21のタイプ)
  • 2 なぜ人は友だちを傷つけるのか(裏切りはこのようにして起こる
  • すべては家庭から)
  • 3 害になる友だちへの対処法(問題解決の具体的方法
  • 上手に別れるためのルール
  • 仕事と友情)
  • 4 ほんものの友情を育てるために(ほんものの友人を得る方法
  • だれでも「ほんものの友だち」を見つけることができる)

「BOOKデータベース」より


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[つれづれ]コミケ83

 29日土曜日東地区Qブロック56a「幻創体」文字ばかりの小説ですが、また参加します。

 2004年12月から、書類不備で2回落選したので、14回目?のサークル参加です。
 twitcmap - コミケ情報をみんなで共有!


[TRPG]葛藤について。

 葛藤とは何か


 日本語では、「葛藤」は、新・漢語林によると。



 #引用開始#

1 くずとふじ。
2 (仏教)(ア)煩悩のたとえ。(イ)法門のわずらわしいもつれ。(ウ)禅の問答。
3 (国語)もめごと。ごたごた。

#引用ここまで#「新・漢語林」


 ネットの辞書では。



 #引用開始#

葛藤

かっとう【葛藤 conflict】

抗争ともいう。ひろくは人間関係で個人間や集団間あるいは個人と集団間に反目や意見の衝突がある場合にも用いられるが,主として個人内に対立する二つ以上の動機(欲求,衝動,意見など)が同時に同じ強さで存在し,相争っている状態をいう。個人はその結果適切な行動をなしえないことになる。レウィンのトポロジーおよびベクトル心理学では,葛藤を個人がおかれている心理学的場の条件に基づいて,接近と接近の葛藤,回避と回避の葛藤,接近と回避の葛藤の3種類に分類している。

#引用ここまで# コトバンク 世界大百科事典 第2版の解説


 葛藤というのは、コンフリクト(conflict)が訳語で、心理学の用語です。
 心理学者のプルチック(最近知ったのですが、プラチック、プラチーク、プルチークというカナの当て方もあるようです)は強い感情が多種類、押し寄せた状態をコンフリクトとしています。



 ジレンマには論理学とゲーム理論の二つがある

 「ジレンマ」という言葉は、僕の知る限りでは学問的に、論理学、数学のゲーム理論の用語のニつがあります。

 論理学(哲学)でのジレンマは、「両刀論法と角」という論証ツールです。多分、国語上はこの意味合いで使ってはいないでしょう。意味合いとしては、競合する結論といったあたりです。



 #引用開始#

三・一三 両刀論法と角
Horned dilenmas

定義

 両刀論法は、批判の対象となる立場がいくつかの意味を持ち得るけれども、そのどれもが容認し難いものであることを示そうとします。つまり、「もしそうならダメ、もしそうでなくてもダメ」という選択肢を相手に突きつけるわけです。うえの例(引用者註:「生物の遺伝子操作のような科学の営みは間違っている。《自然を改変する》ことになるからだ。」)では、自分が支持した原理から不合理な帰結が導かれる(木を切ることすら誤りだ)ということか、または原理が実際に言おうとしている意味を正しく反映していないかのいずれかであることを批判者は認めなければなりません。いずれにしろ、批判者はにっちもさっちも行かない状況に追いやられてしまうのです。
 一般に、このタイプの両刀論法には二つの形があります。

構成的両刀論法

1 (XならばY)かつ(WならばZ)
2 XまたはW
3 ゆえに、YまたはZ

破壊的両刀論法

1 (XならばY)かつ(WならばZ)
2 Yでないか、またはZでない。
3 ゆえに、Xでないか、またはWでない

#引用ここまで#
「哲学の道具箱」ジュリアン・バッジーニ ピーター・フォスル著



 ゲーム理論で有名なのは囚人のジレンマです。どちらを考えても、自白(裏切り)が最善手です。






 このジレンマとコンフリクトを取り違えると、齟齬を生じます。ジレンマは論証のための言葉で、囚人の心中は想像しません。想像したくなる気持ちはわかりますが全く意味合いが違います。
 あくまで相手も自分も合理的に動くと仮定するのがゲーム理論です。




 氷川霧霞氏の言う葛藤とは何か


#引用開始#
葛藤

複数の選択肢が、どれももっともらしく感じられ、どれが最適解かを判断することも、決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ない。このため心中に悩みや迷いが生ずる状態であること。

結果に対する責任

選択/決断の結果が有為な差を生み、それが自分に跳ね返ってくる、逃れようなく責任を持たなければならない、という自覚があること。

アカウンタビリティ

複数の選択肢について、ある程度まで情報が与えられており、選択/決断した理由や根拠を自分なりにきちんと持っていること。

#引用ここまで#
「TRPGシナリオ作成の道具箱」氷川霧霞氏
「外へ向かう言葉(後編)」――『馬場秀和のRPGコラム』馬場秀和氏
http://www.scoopsrpg.com/contents/baba/baba_20000417.htmlより。


 つまり、心理的葛藤、コンフリクトの意味合いで用いています。
 
 ここで、極めて注意しなくてはならないことは、あくまでもゲーム一般のプレイヤーに対しての言及であることです。ロールプレイ・役割演技には、全く触れていないということです。
 しかも、この心理的葛藤はプレイヤーのものであって、TRPGのプレイヤーキャラクターとしての振る舞いには何も触れず、または、葛藤しているように見せるロールプレイ・役割演技でもないことにも注意しないといけません。
 そして、プレイヤーが意志決定するという大前提があります。
 これは非常に疑問を覚えます。

 葛藤は、「複数の選択肢が、どれももっともらしく感じられ、どれが最適解かを判断することも、決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ない。」のだと仮定するとします。
 しかも、「このため心中に悩みや迷いが生ずる状態である」ので、プレイヤーは何かを一体どうするのか、果たして、最適解の判断やアルゴリズムの適用が本当にできないのでしょうか。

 額面通りに、もし、最適解の判断や決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ないのなら、なぜ、心中に悩みや迷いが生ずる状態から抜け出られるのでしょうか。もし、抜け出せたとして、なぜ、結果に対する責任が果たせて、アカウンタビリティを持てるのでしょう。

 こんな疑問を感じずに、説得されてしまうのは、読解力がないとしかいえない。看過できず、混乱を引き摺ります。

 以降、ゲームトークンが、リソース管理が、選択/決断が……と、続きますが、「どれが最適解かを判断することも、決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ない。」ままです。そういった説明では葛藤からの逃げ道にはなっていません。最適解の判断やアルゴリズムを示してしまっています。

 これでは高々と掲げられた意志決定というのは、デタラメのランダムでスゴロクのマス目に従うことに過ぎないということでしょうか。

 つまり、この「葛藤」の定義は、好意的に考えても、間違っているということです。
 最適解を判断できてもいいのか、または、決まったアルゴリズムを適用して決めることができてもいいのか。これでは、「葛藤」の定義が崩れます。
 最適解を判断できたり、または、決まったアルゴリズムを適用して決められたり、ゲームトークンが、決断/選択が……云々で決められたりするならば、「葛藤」ではないのです。
 これを「葛藤の両刀論法」と命名します。この論法の欠陥です。

 防御方法としては、最適解を判断できるか、決まったアルゴリズムを適用して決めたりできるか、このどちらかか、そのある部分だけこのジレンマの角を抑えるか。

 もう一つは、最適解を判断しえず、決まったアルゴリズムを適用して決めたりできない、違う何かで、このジレンマの角から抜け出す方法を示さなくてはならないのです。意志決定はデタラメに従うことであるとか。理由も指針も論拠も、最適解の判断やアルゴリズムを示してはならないのです。

 このたちが悪い「葛藤の両刀論法」の「葛藤」の定義は放棄するしかないでしょう。「心中に悩みや迷いが生ずる状態であるまま」ゲームは進みません。

 ひとまず、この「葛藤」の定義は脇においておきます。両刀論法です。
 この「葛藤の両刀論法」の言明は、もっともらしく論者の都合を押し付ける詭弁です。つらつらと己の最適解のアルゴリズムだけが正しいと強弁するやり口です。

 この「葛藤」が登場してくる文脈に、氷川霧霞氏は、フォーカスを当てています。
 

#引用開始#
ゲームの参加者には、「管理資源」が与えられ、守るべき「制限」が明示される。そして、「障害」を克服して、「目標」を目指せ、と言われるのだ。目標にたどり着くための最適手は明白ではない(葛藤)が、一手一手の判断により形勢が変わることは明らかで(結果に対する責任)、不完全ながら「どのような手を打てば、どんな結果になりそうか」を判断できるだけの情報がある(アカウンタビリティ)。参加者は、このような条件下で、自分の手を選択/決断しなければならない。つまり“意志決定”が強いられる。

#引用ここまで#
「TRPGシナリオ作成の道具箱」氷川霧霞氏
「外へ向かう言葉(後編)」――『馬場秀和のRPGコラム』馬場秀和氏
http://www.scoopsrpg.com/contents/baba/baba_20000417.htmlより。


 目標にたどり着く最適手は明白ではないという葛藤とは、この引用文より前に定義されています。

 複数の選択肢が、どれももっともらしく感じられ、どれが最適解かを判断することも、決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ない。このため心中に悩みや迷いが生ずる状態であること。

 「葛藤」について、出典元はこのように書いていません。以下が出典元です。



#引用開始#

葛藤
葛藤が生じるには,言うまでもなくまず選択肢が存在していなければなりません。しかもその選択肢は,それぞれ一長一短であり,理詰めで考えてもどうにも決めがたい,というものでなければなりません。理詰めでは決められない,それでもなお,より良い選択肢を選ぶんだという意志を持って決定を下すのが「意志決定」なのです。

選択肢の不在
選択肢が無いという事で最もよく批判の対象として持ち出されるのがいわゆる「一本道シナリオ」です。過度にストーリィ性を重視したマスターがなぜ批判されるのか,もうみなさんは明瞭に理解できた事と思います。

最適解と意志決定
買い物の例を思い出してください。もし,コスト品質その他全ての条件で群を抜いた商品があるならば,迷わずそれを買えばよい事になります。また,選択肢が複数提示されていたとしても,考えを詰めれば「これが一番有利だぜ」というのが分かってしまうようなものも意志決定とは違います。なぜなら,そこには葛藤が無いからです。論理的な思考によって最適解を導き出しそれを選ぶというのは意志決定とは違うのです。

#引用ここまで#
「意思決定について」ラウール氏より。
http://trpg-labo.com/rpg/decision.pdf


 好意的に解釈することにします。
 選択肢は,それぞれ一長一短であり,理詰めで考えてもどうにも決めがたい,というものである
 のに、
 複数の選択肢が、どれももっともらしく感じられ、どれが最適解かを判断することも、決まったアルゴリズムを適用して決めることも出来ない
 という選択肢に改変されています。
 決めるのが難しいという話が、決められないとか判断も決定も不可能という話にされています。

 さらに、論理的な思考が、おそらく、決まったアルゴリズムを適用してにすり替えられていて、拡大解釈されているのがわかります。
 つまり、戦ってわかっている戦力不足をどうするかとか、何ラウンド持ちこたえられるかという算法(アルゴリズム)すら成立しないのです。ところが「論理的な」というのは、通例、理屈が成り立つとも読み替えられるような曖昧なニュアンスを持っています。

 出典元が述べているのは、初めのほうで提示した「かっとう【葛藤 conflict】コトバンク 世界大百科事典 第2版の解説」の意味合いであって、「葛藤の両刀論法」にはなっていません。

 さらにロールプレイ・役割演技について、以下のように、きちんと言及しています。



#引用開始#

「いろいろ迷ったんだけど,まず状況を冷静に判断するとA 案とD 案の二つに絞られる。どっちかというとA 案の方がよさそうなんだけど,慎重なこのキャラクターの性格からいってD 案を選ぶことにした」というのは,アカウンタビリティを満たしている一例といえましょう。

#引用ここまで#
「意思決定について」ラウール氏より。
http://trpg-labo.com/rpg/decision.pdf


 こうした記述を意図的に排斥しています。プレイヤーキャラクターの性格に沿って考えるアルゴリズムについて、根拠になっている出典元は、例まで挙げて肯定しているのです。
 さらに、出典元の結びはこうなっています。



#引用開始#

おわりに
以上で,意志決定についての説明を終わります。最初に申しましたように,意志決定はRPG において,またゲームにおいて中心的な楽しみとなるものです。それがきちんと理解できているかどうかは,特にマスターにとって非常に大切な事です。
本記事ではやや否定的に書かれているパズルやストーリィ性といった意志決定以外の要素ですが,たとえば「パズル」の要素だってRPG から完全に切り離せるわけではありませんし,無理にそうしようという必要もありません。パズル自体,非常に面白い娯楽です。
ただ,そうした「意志決定以外の要素」でゲームの全てが埋められてしまっていないかは注意する必要があります。面白いパズル,面白いストーリィを作り出すより,面白いゲーム(意志決定を迫る場面)を作る方がずっと簡単だと私は思います。
実際,マスターをやっていると,プレイヤーたちというのは結構些細なところであっちの方が良いんじゃないか,こっちの方が良いんじゃないかと悩んでくれます。たとえば,ロープ10m は役に立つかそれともお荷物になるか,とか。持っていかないと道中困ることがきっと起きるだろうというプレイヤーもいれば,持っていけば重くてすぐ疲れるし逃げる際に不利だとか言い出す奴もいます。どっちでもいいから早く決めてシナリオを進めよう,と考えるのはたいていマスターだけだったりします。
それでは,皆さん,楽しいRPG ライフを。

#引用ここまで#
「意思決定について」ラウール氏より。
http://trpg-labo.com/rpg/decision.pdf


 「意志決定以外の要素」でゲームの全てが埋められてしまっていないか、とあります。ここで述べられているゲームは、文脈からTRPGのセッションでしょう。

 そして、TRPGのセッションの中に、面白いゲーム(意志決定を迫る場面)を作るようにする、としています。ここで述べられているゲームは、面白い意志決定を迫るシチュエーションでしょう。

 面白い意志決定を迫るシチュエーションを大切にしなければならないという主張のため、単にラウール氏がそのテキスト上で通用させるために、構成し定義した二つの意味の「ゲーム」と「葛藤」という言葉を使った。
 これを借りて馬場氏がまとめてみせると曲解して、「葛藤の両刀論法」に陥り、面白い意志決定を迫るシチュエーションのことである「ゲーム」で、頑なにTRPGのロールプレイ・役割演技によらず、さらには、その非難に及んだというあたりでしょうか。好意的に解釈して、です。

 氷川霧霞氏の「TRPGシナリオ作成の道具箱」第10章シナリオ作成のTipsには、「【シーン】や《課題》を選ばせる」の項目で、「通常は、シナリオはゲームマスタが用意してプレイヤはそれをこなす、というスタイルですが、「何をすべきか」をプレイヤに考えさせることで、ゲームは格段に面白くなります」とあります。

 やはり、そういった方針とプレイヤーキャラクターの性格描写も含めて考えると、馬場氏の強引な主張は曲解か読解力の足りなさかによって誤りで、誤りではなくてもどうやらプレイヤーがキャラクターを使って楽しむTRPGについて考えてはいないようです。

 結局、とりあげた馬場氏には残念ながら理解されなかったとして、氷川氏の独自の別の解釈として考えるべきだと思います。

 ラウール氏=氷川氏? ですかね。このことに最後のほうで気がついて、釈迦に説法ドジをしていました。くどくど続けるわけには行かないので、切り上げます。失礼していたらすみません。
 確認したところ、やっぱり正解でした。
 一応、このエントリは氷川氏のいう葛藤の理解の注釈として残しておきます。


[TRPG]TRPGの協調ゲーム性

 協調ゲーム性


 協調ゲームでは、協調が全員の手の内で崩壊すると、破綻が生じます。
 わかりやすく言うと、日本の国債の信用がなくなって、国債を持っている人が全員売りに出せば、全員が損をしていくという構造をしています。ですから、お互いの寛容や妥協が必要になります。



 

 遊び手の協調ゲームとして、TRPGの崩壊の特性も見てとれます。

 ゲームマスターとして、セッションをボイコットされないように進行司会していくゲーム理論数学的な裏付けとなります。
 TRPGでは協調は重要な美徳です。ゲーム上の問題の克服は二の次です。

 もし、セッション時間の許容範囲を超えたり、あまりにもロールプレイや演技に対して応答のない運営をしたりするならば、ゲームマスターに対して、プレイヤーは、ボイコットの連鎖を引き起こすきっかけになることができます。
 つまり、「協調」と「ボイコット」が入れ替わる逆の関係になってしまうと、「ボイコット」することが有利な関係になります。
 


 

 協調ゲームの遊びの善『美徳』


 それに対して、TRPGでは、プレイヤーキャラクターが、いくら痛みを感じても、とってつけたような家族が人質にされても、巨額の借金を抱えても、資産を奪われても、何十年という懲役刑を受けても、大変な病気や中毒や身体的欠損を背負っても、プレイヤーは苦しみを感じません。
 苦しみを感じたら、キャラクターをあいまいな、または明確な自殺をさせてゲームをボイコットすることもできます。

 このボイコットへのイニシアティブは、実は、ゲームマスターが持っています。

 自分自身やプレイヤーが疲れているようだとしたら休憩を提案します。

 プレイヤーが何か不満や苦情といった言いたいことがありそうで、直接尋ねても答えてくれないようなら、いったん連れ出し場を変えて聞き出します。他のプレイヤーに退室してもらうのもいい方法です。

 プレイヤー同士でのトラブルならば、きちんと判断して、えこ贔屓抜きに、説得し協調を求めます。
 プレイヤーの互いの利益の対立が原因ならば、互いに条件をきちんと出すよう求め、調整をつとめます。

 協調を前提とするゲームのなかで、もっとも第一の美徳が慎重さを持った勇気だということを示しています。臆病と慎重を混同しないよう気をつけてください。

 そういった美徳がプレイヤーから齎されたならば、プレイ終了後にきちんとお礼を述べましょう。その積み重ねが、楽しく面白いセッションに導く人とのつながりになります。たとえその人がいないとしても、そのノウハウは遊びの機微として、自ずと手にして確たるものとしていくことができるのです。

 プレイヤーやゲームマスターのトラブルの多くは、コミュニケーションの問題です。コミュニケーションのトラブルはトラブルが生じてから、意識されます。メガネを無くしてからメガネを意識するようなものです。

 特に趣味の世界での対立は、真剣に好きで取り組んでいるからゆえのもので、お互いにきちんと条件を出させ、議論や好みで人格否定に発展したりさせないようにします。

 個人個人が真剣に気に入っているもの、真剣にけなしたいものを持っているのは当たり前です。
 趣味のものですから、真剣な対立です。カッコいい態度でしょう。

 ネガティヴなイメージのレッテルを貼る行為もあるでしょう。一方的にそういう行為が悪いとは思えません。マナーの問題とも思えません。理屈が通っていればなおさらで、それを検討して、楽しく遊ぶ方向を見定めればいいだけです。
 もし、理屈が通っていないならば、ネガティヴなイメージを払拭するようチャレンジすればいいだけです。

 何かを比較してけなすのは、その何かに関心を持っているからです。無関心であれば、本当に価値を認めないということです。
 関心を持っているという共通性を説得して、人格否定にエスカレートしないよう仲裁し、ボイコットしないよう働きかけます。

 あらかじめ、TRPGはコミュニケーションだという意識をもって、ゲームマスターは臨みましょう。
 プレイヤーにもゲームをする前に雑談をするなど、これからコミュニケーションをするという、いわば助走のようなテクニックも、特に初顔合わせのようなときには必要です

 ゲームメカニズムをいくら説明しても、コミュニケーションにはならないのです。
 

 寛容や妥協の心理学

 参考として、 [TRPG]人間の判断過程の特異的な側面にある、項目を利用しましょう。


 

 

9

人は自分のとった行動を確証する情報を求め、反証するような情報やテスト結果を避けがちである。

10

得られるもの以上に潜在的損失を過大視するため、その損失を意識した判断をする。

11

人は、ネガティブな結果よりある程度の好結果が得られればそれを選択すると信じ、最高の結果よりそこそこの好結果を受け入れる、と信じている。

12

人はひどくネガティブな結果より、まあ仕方ないという結果のほうを受け入れるものと信じる傾向にある。


 これは、いかに協調を維持するために、寛容を引き出したり、均衡を図ったりして妥協を引き出すかのヒントになると個人的に考えています。


[TRPG]ゲーム性とは分かりやすさではありません。

 [TRPG]問題発見と解決。TRPGのゲーム性を勘違いしている方へ。



  目標を何々退治という、いわばシングルフォーカス、ルールの記述ばかりを追って無双をしようというシングルレイヤー、問題定義はGM任せで解決方法は選択肢や遊び方を明確にしないといけないというハイコントラスト。失敗しにくいTRPGは、単にそういうセッティングでいいでしょう。

 コミュニケーションをしないで済むから時間もかからないし、ルールを読みこめば活躍できます。選択肢が明らかならばジレンマもほとんど問題にしなくていいのです。
 もちろん、必要ではないとして描写もほとんどしなくていいし、必要ではないとして想像力を発揮する余地もなくなります。


 ゲーム理論や意志決定といった衣をまとわなくても、コミュニケーション学から自閉症スペクトラムが低く「わかりやすさ」として当たり前と、裏打ちされます。馬場氏の曲解翻訳は大変でしたね。

 馬場理論が素晴らしかった。文章が素晴らしい。わかりやすい。とか。だから内容を問うな、と、目をグルグルさせて、根拠が崩れるのを恐れるのは、ずいぶん不安なのでしょう。

 さんざん、この分野で問題として取り上げているものを、発見した! 提案した! と、言い張っているにすぎないのが実情です。
 そんなに恐れなくても、コミュニケーション学からきちんと説明できるのは揺るがないので安心してください。

 ただし、この論法は、ゲームがわかりやすいから、ゲームが面白いという風に、すり替えているのです。
 ゲームの面白さは分かりやすさもありますが、それは一要素であって、必須ではありません。
 ゆえに、はっきり言って、ゲーム性とは関わりがありません。

 目標がはっきりしていて、ルール通りに軍拡したキャラクターを作って役割分担し、ルール通りに解釈して思考停止して、プレイでの障害と問題解決の選択肢はくっきりはっきりしている。これは、わかりやすいだけで、ゲームの楽しさとは関係ないです。

 PCがどういうナリをしていて、舞台世界での立ち位置はどこにあるのか、育ちはいいのか悪いのか、どういう経歴を積んできたのか、家族など人間関係はどうなのか。

 PCをトークンとか、リソースとして見るのではなく、PLの個性のなかにある要点、一種独自的な演技ができるタイプとして、また表現対象として顕す。
 そのほうが個人的に好きです。

 人と人とで楽しむものですから、人を楽しみ、自分のことも楽しんでもらう。
 いつも落ち着いた人が直情熱血漢をやったり、優しげな人がクールなキャラをやったり。

 こういうのは、普段コミュニケーションしていないと全然理解できなくて、わかりにくい遊び方なんですよね。

 普段コミュニケーションをとっている人だからこそ、データ偏重キャラは、不興を買ってしまうという事もあります。
 そういう不興を買ってしまうことは一種の賞賛の示唆です。

 わかりにくい問題にぶつかって、手詰まりを覆したりする。そういうゲームとなるのは僥倖です。
 僕はそういうプレイが好きです。



[WESTERN]なぜ投げ縄のラリアットをかけ馬で曳くのか?

 よく西部劇ではロープの技(ローピング)で、投げ縄をします。
 ちなみに、この投げ縄ののことを「ラリアット(スペイン呼び名が別にあります)」と呼びます。このラリアットを犠牲者の首にかけ、馬で曳き、犠牲者は倒れた状態で引き摺られるシーンが良く出てきます。

 これは擦り傷を作るためではありません。首を折ったり、息を止めるわけでもありません。

 擦った傷はやけどになります。医学的には擦過熱傷といいます。擦り続けると、全身がやけどしていきます。

 熱傷
 このサイトを見ると、

(引用開始)


●やけどの程度が次の場合は「重度の熱傷」であり、直ちに救急車を呼び、専門医による処置を受ける必要がある。
 1.Ⅱ度の熱傷で、体表面積の30%以上の場合
 2.Ⅲ度の熱傷で、体表面積の10%以上の場合
 3.顔の熱傷で、Ⅲ度の熱傷または鼻毛が焦げたり痰が黒色になっている熱傷(気道熱傷)
 4.老人や乳児では、熱傷の広さが狭いときでも重症となる場合がある。



(引用ここまで)

 とあり、引き摺られてできるのが30%を最低とすると、Ⅱ度にまで達すれば、重度の火傷になり、致命的です。熱傷ショックという重篤な症状も起こりえます。
 映画のスタントマンは完全に防備してこなしますが、実は楽しく残虐に徹底的に叩きのめす圧倒的な手段です。あまりにも知らない方が多いので、こちらとしても驚きました。

 自動車で、アスファルトなりの上を、引き摺られたら死ねますよね。それと同じです。

 僕は交通事故で、学生の頃ハネられましたが、擦過熱傷だらけになり、学校の制服のズボン、化繊部分は、熱でぼろぼろに溶けました。


[TRPG]コスティキャン翻訳 It's Not a Story.

SIMONさん向けエントリ? かなり返事として遅れてしまいました。ごめんなさい。

[TRPG]物語論 フィクションとノンフィクション確認
 

コスティキャンの「It's Not a Story(馬場秀和氏題-「ゲーム」は、ストーリーではない)」の抄訳です。僕は英語には向いていないので、誤訳と指摘されると助かります。
 

 

  It's Not a Story.

Again and again, we hear about story. Interactive literature. Creating a story through roleplay. The idea that games have something to do with stories has such a hold on designers' imagination that it probably can't be expunged. It deserves at least to be challenged.

それは一個のストーリーではありません

 何度も繰り返し、私たちはストーリーについて何かと耳にします。インタラクティブ文学とか。
 ロールプレイを通じて一個の物語を作成することとか。
 その発想とは、ゲームには、おそらく削れないデザイナーのイマジネーションに維持されているストーリーと少し関係があるでしょう。それは少なくとも挑戦するに値するものです。


Stories are inherently linear. However much characters may agonize over the decisions they make, they make them the same way every time we reread the story, and the outcome is always the same. Indeed, this is a strength; the author chose precisely those characters, those events, those decisions, and that outcome, because it made for the strongest story. If the characters did something else, the story wouldn't be as interesting.

 ストーリーは本質的に線形です。
 作中人物がいかに彼らの決断上で苦悶しても、私達がその物語を再読しても彼ら作中人物は同じ道をいつもとるし、そしてその成果はいつも同じです。
 これは、その著作者が的確に選択したそれら作中人物、イベント、決断、落ちは、ひとつの強みとなります。
 なぜなら、うってつけにより強く物語られたものだからです。もし、作中人物が他に何かしたなら、その物語は同じように興味を引くことはないでしょう。


Games are inherently non-linear. They depend on decision making. Decisions have to pose real, plausible alternatives, or they aren't real decisions. It must be entirely reasonable for a player to make a decision one way in one game, and a different way in the next. To the degree that you make a game more like a story -- more linear, fewer real options -- you make it less like a game.

 ゲームとは、本質的に非線形です。
 それらは、決断の成果に依存します。
 まことしやかな選択肢、またはそれらの現実の決断という決断群は、見せかけの現実にはなりません。
 線形であるゲームは、プレイヤーが一つのゲームでひとつの道をとる決断をこなすために、そして次に別の一つの道をとるとしても、全く合理的になるはずです。
 あなた方が作るそのようなゲームは、より、一つのストーリーに似た ――より線形で、いくらか物足りない少ない現実的な選択をもつ―― そんな風に貧相になっていくゲームのようなものは、その程度です。

 

(馬場秀和氏の翻訳引用開始)
ゲームには必ず意志決定が関わるが、このとき与えられる選択肢は、どれも本当にもっともらしく思えるものでなければならない。でなければ、すなわち「正解」が1つしかなく、それを選ぶ以外に道がないことが明らかなら、それは本当の意味での意志決定とは呼べない。
 プレーヤーがゲームのある局面で特定の選択肢Aを選び、次にそのゲームをプレイしたときに選択肢Bを選んだとして、どちらも全く合理的な判断に基づいている、というのがゲームらしさなのだ。
 であるからして、ゲームをストーリーに近づければ近づけるほど、それはより直線的になってゆき、本当の意味での意志決定が少なくなってゆき、つまるところゲームとは別物になってゆくのである。
(引用ここまで)



Consider: you buy a book, or see a movie, because it has a great story. But how would you react if your gamemaster were to tell you, "I don't want you players to do that, because it will ruin the story"? He may well be right, but that's beside the point. Gaming is NOT about telling stories.

 考えてみましょう:あなたは一冊の本を買う。または、一本の映画を見る。
 なぜなら、それらには一つの大いなる物語があるからです。
 しかし、再演でもいいでしょうか、たとえばもし、あなたのゲームマスターこう言ったとか。
「私はそれはプレイヤーに推奨しない。なぜなら、その物語を台無しにする」と?
 彼は正しいでしょう。しかし、それらは的外れです。
 ゲーミングは物語を語ることとは決して違うのです。


That said, games often, and fruitfully, borrow elements of fiction. Roleplaying games depend on characters; computer adventures and LARPs are often drive by plots. The notion of increasing narrative tension is a useful one for any game that comes to a definite conclusion. But to try to hew too closely to a storyline is to limit players' freedom of action and their ability to make meaningful decisions.

 ゲームは時々、そして実り豊かに、フィクションの要素を借ります。
 ロールプレイングゲームは、キャラクターに依存します。
 コンピューターゲーム、そしてLARPsは、しばしばプロットにより駆動されています。

 語り口の張りの増加性という観念は、どんなゲームでも確定的な結論をもたらすという有益さがあります。
 しかし、どんなに挑戦しようと、切り開こうとも、閉ざされた一本の物語の筋にはプレイヤーの演技の自由と有意義な多くの決断を限定するはずです。


The hypertext fiction movement is interesting, here. Hypertext is inherently non-linear, so that the traditional narrative is wholly inappropriate to hypertext work. Writers of hypertext fiction are trying to explore the nature of human existence, as does the traditional story, but in a way that permits multiple viewpoints, temporal leaps, and reader construction of the experience. Something -- more than hypertext writers know -- is shared with game design here, and something with traditional narrative; but if hypertext fiction ever becomes artistically successful (nothing I've read is), it will be through the creation of a new narrative form, something that we will be hard-pressed to call "story."
Stories are linear. Games are not.

 ハイパーテキストフィクションのムーブメントは、ここでは興味深いものです。
 ハイパーテキストは本質的に非線形で、伝統的な物語説話文学は、ハイパーテキスト作品には全く不適当です。
 ハイパーテキストフィクションのライターたちは、ある意味では複数の視点、現世からの飛躍、そして構築された模索談の読み手となって、伝統的な物語と同じように、人間存在の本質を探求しようとしています。

 何か――ハイパーテキストの作成者が知っているより以上に、その何かとともにここでゲームデザインや伝統的な物語説話文学がシェアされました。
 しかし、もしハイパーテキストフィクションがいつか芸術的に成功に達して、(私はそのような作品を読んだことはない)、新しい物語説話文学の様式の創始を通してでしょうし、それを私たちは「物語」として呼ぶのは苦しいでしょう。
 物語は線形です。ゲームはそうではありません。


コスティキャンのゲーム論

 馬場秀和氏の翻訳にはコスティキャンの原文にはない用語や単数・複数形の無視、独自論の挿入が多すぎます。

 

(引用開始)
プレーヤーがゲームのある局面で特定の選択肢Aを選び、次にそのゲームをプレイしたときに選択肢Bを選んだとして、どちらも全く合理的な判断に基づいている、というのがゲームらしさなのだ。
(引用ここまで)
(引用開始)
 であるからして、ゲームをストーリーに近づければ近づけるほど、それはより直線的になってゆき、本当の意味での意志決定が少なくなってゆき、つまるところゲームとは別物になってゆくのである。それに、はっきりとした決着がつくようなゲームの場合、やはり小説や映画のようなドラマチックな盛り上がりを狙いたいというのは誰しも思うことだ。
 だからといって、美しいストーリーに沿って展開するようゲームに手をいれ過ぎたりすると、プレーヤーの行動の自由や、ちゃんとした意志決定を行う能力をひどく制限してしまうことになる。
(引用ここまで)


  上の文章は加筆されているところです。
  馬場秀和氏の独自論です。

 

SIMONさんから頂いたコメントです。

 古い記事にコメントをさしはさみ失礼します。

> TVシリーズの「24(TWENTY FOUR)」などは、駆け引き中心のドラマです。ゲーム的で、直線的ではない。
> しかし、この極めてゲーム的なドラマは、ちょうど、登場判定に失敗したか、独自行動をとられているTRPGのプレイヤーの立場に近いでしょう。

ドラマ24が、いかに駆け引き中心で、ゲーム的なドラマか残念ながら自分は存じませんが、TVで放映された(過去形)ドラマである以上、(まさにコスティキャンの語るとおり)監督なり演出家なり脚本家なりの懇親の計算で、登場人物たちに「登場判定に失敗」させるか「独自行動をとら」せているかしているのでしょう。それこそが、「(コスティキャンの語る)直線的」ということです。
「どのタイミングでどの登場人物が何をするシーンを入れる」が、綿密に計算され、組み立てられている=直線的であって、ストーリーの入り組み具合、人間関係の交錯がどれほど複雑であろうと、既に完成したドラマはゲームではありません。

> ストーリーが直線的だから、感動させられるというコスティキャンの説明がどうかしている。

「ストーリーが直線的だから」ではなく、「ストーリーが直線的であるが故に」ですよね。ここは。原文は知りませんが、訳によってニュアンスが変わります。「ストーリーが直線的」なら感動させられる、ではなく、感動させるために「ストーリーが直線的」に仕上げられているのですから。
逆に、その計算がなければ、あるいは狂っていれば、「ストーリーが直線的」でも感動は生みませんし、いくつかの意思決定の結果、生み出されたストーリーが感動を生むことも(大いに})ありえます。
ただ、ここでは、感動の為にストーリーを直線に固定し、PLの意思決定を蔑ろにするな。というだけの話ではないのでしょうか。

(以下、コスティキャンのゲーム論から引用)
~ところが、RPGをプレイしているとき、ゲームマスターから「そんな行動は駄目だよ。素晴らしいストーリーが台無しになるじゃないか」と言われたらどう思うだろうか?
 この手のゲームマスターの発言自体は間違ってない。が、問題はそういうことじゃないのだ。ゲームは、ストーリーを語ることではない。断固として違う。
(以上引用終わり)

これが、ゲームとストーリーに関してコスティキャンの語る主題です。少なくとも、「コスティキャンのゲーム論」を普通に読んだときに読み取れる(『「ゲーム」は、ストーリーではない』段落における)主題です。コスティキャンが数学者だとか、背景にゲーム論があるとかの裏設定はどうでもいいです。
ここでのBETAさんの解釈は、正直悪意的だと断ぜずにはいられません。

ここで誤解を生みたくないのは、自分は、「ストーリーが直線的」ではないからといって、「感動させる力を」持たないとは思っていません。あくまで、有利不利を論じているだけだということです。
(コスティキャンも結果としてついてくる感動が不要とは考えていないと思います。まぁ、これは推測ですらない空想だから無視してもらっても構いません)
コスティキャンがゲームに感動を求めていないのは明らかです。が、彼は、「(自分の求めない)ゲームでの感動を求めることは間違っている」とは語っていません。「感動を求めるために(彼の求める)意思決定を蔑ろにするのは間違っている」と語っているだけで、その点には(ゲームに感動を求める)私も納得するところです。
故に、コスティキャンの弁を曲解した(あるいは曲解を誘発しうる)この記事に、いまさらながら一言、コメントを差し挟んだ次第です。


> 1on1でプレイしているならともかく、多人数でプレイしている経験を無視している。

 ここを僕に悪意があるととられたようですが、僕は、こういった混乱を生じさせる馬場氏の翻訳に、悪意を感じます。

 多人数で分散活動している時、ゲームは他のプレイヤーの物語になりますから、線形(直線的)です。他のプレイヤーの物語には意志決定は働きかけられません。
 つまり、TRPGにおいて自分のキャラクター(PC)が関われないストーリーは全て、NPCの抱えているストーリーも含めて、線形(直線的)です。


 コスティキャンは、

ロールプレイングゲームは、キャラクターに依存します。

 と書いていて、決断の成果も加わるから、非線形だという話をしています。

 ストーリーが直線的だから、感動させられるというコスティキャンの説明がどうかしている。

 この馬場秀和氏の翻訳では、「あるいは、こう言うことも出来る。ストーリーはまさに直線的であるが故に、人を感動させる力を持つ。」というコスティキャンの記述にはない持論が入り込んでいるのです。混乱のもとがはっきりしました。

 ここでは僕の翻訳は、


作中人物がいかに彼らの決断上で苦悶しても、私達がその物語を再読しても彼ら作中人物は同じ道をいつもとるし、そしてその成果はいつも同じです。これは、その著作者が的確に選択したそれら作中人物、イベント、決断、落ちは、ひとつの強みとなります。なぜなら、うってつけにより強く物語られたものだからです。


となります。馬場秀和氏の持論の当該文章に取れる原文はどこにもありません。


 コスティキャンは、「物語は線形です。ゲームはそうではありません。」というのが当該文章で言いたいことで、意思決定云々「「感動を求めるために(彼の求める)意思決定を蔑ろにするのは間違っている」と語っているだけ」は、馬場秀和氏が曲解させようと混入した持論展開に惑わされているのです。

 そうでなければ、ハイパーテキストについて言及している意味が、国語能力、読解力からして、理解できないでしょう。冒頭にある、少なくとも挑戦するに値するものです。がつながらないでしょう。
 翻訳しながら持論展開を混入する、悪質な翻訳が混乱の原因です。

 こんな馬場秀和氏の翻訳を「わかりやすい」とか「広まった」と、強弁する人は情報を鵜呑みにして疑わない人でしょう。馬場氏がTRPG雑誌末期に、マンチキンという蔑視用語を広めて、ユーザー同士の対立を深めて市場規模を縮小し、雑誌を潰した(今残っている雑誌はありません。ムックで書籍扱いです)アジテーターだという歴史を知らないようです。

 あれら素晴らしい雑誌の末期、蔑視流行語を作ったとか、ニフティ・サーブでの権力闘争とか、くだらない業績を上げたのは許せない。当方のアジテート記事は随分修正しました。
 ロールプレイは演技するという意味です - xenothの日記
 RPGにおける〈プレイング〉の内実(2)――ウォーハンマーリプレイにおける高橋の〈意志決定〉プロセスを事例に - God & Golem, Inc.
 TRPGの本質論者 - xenothの日記
 コスティキャン再訪 - xenothの日記

 権力闘争にしか興味が無い人間というのは、ものづくりの邪魔で、寝言ばかり繰り返していて物笑いや怨嗟のタネにされる。他人を貶めることでしか自分を承認してもらえないセコさは永久にみじめです。自己研鑚のない承認は、まず誰にも与えられないでしょう。それが、わからないものは、本当にわからないのでしょう。
 TRPGのファンなら、どういう断罪を下すかは明白です。迎合する神経がわからないです。
 

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