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馬場理論の持ち出すゲーム理論の誤謬は、功利主義から来ている。
ヴィトゲンシュタインは、倫理を論理学で分析する方法を「論理哲学論考」で行った。彼の師のラッセルが、その後函数に閾値や属性を与えるタイプ理論を発表、それに批判的な弟子は師の功利主義に対抗して「論理哲学探究(探求)」を発表。
ラッセルの影響下、ノイマンが「ゲーム理論」を創始。
ところが、ヴィトゲンシュタインの影響下、フィリッパ・フットが掲げる単純な倫理学パラドクスの「トロリー(トロッコ)問題」にさえ、回答が出すことができないことが判明する。
結局、「幸せ」「楽しさ」「不満」「不幸」「痛み」「喜び」「美しさ」が計量できると考えた変な人の妄想です。
人間が飼うケダモノ「家畜」を「人間」自身に適用する考え方です。わが子を殺された命の代償として、カネで解決する方便にすぎません。
ゲーム理論の函数に数値しか入らないで勉強した方は、これを単にゲーム理論上のジレンマと考える傾向があるが、盲目的な功利主義から抜け出せていないから、説得力を持たない。まず、前提に功利主義があり、数理主義、合理主義、客観主義がある。それがさも「合理的で真」と錯覚する。
(哲学方面からの函数の入り方を経験していれば、ゲーム理論でまず、そんな単純な錯覚を起こさない。経済学から齧ると、話が通じないのはこのためかと推測……。)
TRPGは、この手のパラドクス(注意。利害衝突だけを扱うゲーム理論用語である「ジレンマ」や「意志決定」とは呼ばない)を倫理的な問題でも、また別の様々な方面(笑いや恐怖など)からも多く扱える。
それはTRPGが展開の連鎖で「ストーリー」性を保っているからこそ、可能にしている。
そして、きちんとした責任放棄が「架空の人物を演技する(ロールプレイ)」ことで認められるゆえに、娯楽であることを可能にする。
そのため、TRPGではPLがロールプレイを行うに当たって「我々の」ストーリー性を意識しなければ、楽しめないのは当たり前ではないかと思う。
こう結論付けて、さっさと不愉快な馬場理論への反証を終えます。
この本はゲーム理論の基本的な考え方がクイズ形式で易しく解説されています。ゲーム理論の実像を知ることができ、誰でも理解できるかと思います。
この本はゲーム理論の「ジレンマ」が実はチキン(レース)・ゲームに置き換えられることを説明しています。生物界の進化の歴史の秘密が、ゲーム理論で説明できることを示し、社会心理学への適用も扱っています。特徴的なのは利得表に数値を用いないことで、文系の読解力で充分に理解しやすく書かれている点が優れています。
ノーベル賞をとったJ・ナッシュについて。ナッシュ均衡は、この分野で最大の発見でした。