[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
Facebookで展開されているRabbitHole Dropsについての評価です。
シナリオアートには感心しました。
[SYS]メタゲーム論02で述べているように、TRPGのロールプレイパートはリアルタイム・バイ・コミュニケーション方式です。
シナリオアートは、このリアルタイム・バイ・コミュニケーション方式を、ヴィジュアル化し、コミュニケーションのダイレクトな進行に対して、間接的にアプローチさせます。
間接的にアプローチさせようと、視覚情報を考慮し、確率を記述する方式として、僕は、
などを、考案してきました。
蛇足。 |
発想の根っこは同じで、ロールプレイパートのヴィジュアルサイド・ドリブンを目指したものです。
色分けマスの面積によって、イベントの発生を表現しています。
これは、研究の結果、確率ペトリネットを確率側から記述した発想と判明しました。
この色分けマス自体を楽しいイラストに置き換え、発生確率を表示しない方法が、シナリオアートです。
シナリオアートは非常に冴えたやり方に見えますが、欠点があって、僕の方式にはない問題点として、具体的にどれだけの発生確率(可能性)や因果関係や発生条件や結果があって、それはどれについての記述なのかを、ユーザー側に丸投げしてしまっています。
イラストを書く能力を問わないとしながら、そのイラストの意味を明示せずに発生する誤解についてのフォローが絶対に必要になるのに、ユーザーに任されてしまっています。
イラストについての説明を入れる必要があります。
イベントへの因果関係や発生条件といったイベント・ドリブンの記述がどうしても必要です。
シナリオアートに区画や範囲を指定する。
区画や範囲に関する説明を入れる。明示的に意味を説明して、トラブルへの可能性や対処を書く。
シナリオアートにつくった区画や範囲自体に、イベントに必要なイベントを明らかにする。それらを含めてイベントの発生に必要な要素は、太い黒線丸のなかにアイコンを入れて、「大事だよ」とする。
区画や範囲につける細い線丸のアイコンは、「関係するかも」「邪魔をするかも」とする。
区画や範囲に、手に入れられるアイコンを明示する。
以上が僕の提案です。
あと、ついでながら。
個人的に似非医者、似非医療関係者にお金を積んで、個人的運用による効果を謳っていないことに好感が持てました。
表現の自由から。例えば、母を津波で亡くし、父を自殺で失った子供に、
これを読ませて、子どもの心に傷を負わせた! と憤る人がいますか。
このレベルでしか考えられないクレーマーは単なるクレーマーなので、相手にしないのが正解でしょう。専門家なる方は、児童心理学の研究者やその他の専門家や論文を伝えないので、胡散臭い。
胡散臭い根拠、失礼なのは、どちらの方かは、
で述べています。
#引用開始#
ゲオルク・ジンメルは、他人を完全に理解するためにはその人と同じ人格をもつことが必要であるが、そんなことは不可能だと述べたことがある。コミュニケーションについても同じことで、人間が個別的な存在である限り「完全なコミュニケーション」はほんらい不可能なのである。その意味でディスコミュニケーションは不可避であるが、鶴見俊輔もいうように、「ディスコミュニケーションは、決して、いつも悪いもの」ではない。たとえば、それはしばしば「思索の飛躍」を助け、科学や芸術に新しい成果をもたらす。」
#引用ここまで#
この記事で取り上げた本を読んでみてください。図書館から借りてもいいです。以下は読んでいる人向けの僕の感想です。読んでいない人にはわからないでしょう。
人は他者をすべて理解することはできない。
程度の差はあれかなりの誤解がノーマルなものとして含まれている。」すべての誤解を解こうとするとコミュニケーションはとても難しくなる。
次の行為で修正されれば十分であり、「わたしたちはこうした誤解と折り合いをつけることでいい。
これはTRPGにも当てはまる。
対人関係の円滑化だけに特化されたコミュニケーションという社会的強迫観念は、確かに病的だ。
匿名の同好の士とのコミュニケーションの円滑化なんて笑える。さんざん記事を書いてきて一貫してきたものに、全部を読まないで唐突に脊髄反射。コミュニケーションの断絶を感じる。誤解との折り合いも全くない。