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 私事ながら、以前、高校時代の友人(GM、ZOIDのRPG発表者)に、久しぶりに会った。
 
 彼がGMで、シナリオは、王様が結婚を勧めたためにお姫様がフィアンセを選ぶコンテストをするというもの。NPCの少年がお姫様にベタぼれ、お姫さまはあるPCに好意を持っており、そのPCはお姫様に興味がなく、なんとしてもフィアンセはNPCの少年にしたいというお話。
 
 貴族の勤めである狩猟の腕前をコンテストに組み込むことが快諾されたが、お姫様が動物を殺すのは可哀想とのことで、他のPCに動物役をしてもらって、頭の上のウサギ耳をゲットしたら、獲物を獲たということになる。
 
 久々に再会した心遣いに感謝し、楽しいひとときを過ごし、友人を見直した。
 
 あれは、キャンペーンの中での一挿話としてのもてなしだったのだろう。
 
 PLのPCの「自由度」や、GMの「管理」とかとは別の議論展開の範疇として、TRPGが互いに配慮され気遣いされあった、コミュニケーションの一例として、挙げたいと思う。 

 当の議論展開が、結論として何を目指しているのかとは別の次元にある気がする。

 セッションの参加者が「有意義」な楽しみを得ることが重要課題であって、「コミュニケーションの道具的存在であるTRPGの形態」の模索には自ずと限界がある。

 「自由」を謳っても、「管理」を謳っても、TRPGの了解内容での範疇での論議になってしまう。

 参加者が楽しみ、癒されるにはどうするか。TRPGが「有意義」に成立するにはどうするのか。

 これが最終的には導き出されなければならない範疇であって、システムにばかり目を遣り、ゲームの形態に目を向けても仕方がない。
 TRPGは「適所」におかれ、役立つことによって「有意義」になる。

 TRPG自体が「どのような場で、どのような参加者の下で、適所性を得られるか」と問題設定しなおしたいと思う。

 まず、PLは唯一の手段、PCという「駒」によって、GMの司会する「舞台(ワールド)」に介入する。
 この「舞台」には、展開の予定のプロセス「シナリオ」がある。この「シナリオ」はテーマを含んだ塑形であって、「物語」を想定している。

 PCという駒は、関われる範疇が定まっている。端っから、自由ではなく「舞台」での「自在性」をもつ。

 司会は「自在性」の拡大へ、縮小してしまったときの介入余地の開放の「司会操作」を行い、「シナリオ」「物語」の想定を修正していく。これは、PLを念頭に置かなければならない。

 PLは、「シナリオ」「物語」の想定の司会進行により明確化を斟酌して、「PCの解釈」そして、それに伴う行動を起こす。この部分が重要な演技要素になる。

 この操作を行うことによって、TRPGは「適所」におかれ、道具として役立つことによって「有意義」になる。

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