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イタリア人の拳銃ごっこ : マカロニ・ウェスタン物語二階堂卓也著 60年代に一大ブームを巻き起こしたイタリア製西部劇のすべて。 「BOOKデータベース」より [目次]
「BOOKデータベース」より |
CEP(半数必中界)から精度係数を求め、積分していくと、横のグラフ図のようになります。
なぜ、このような精密な数値を具体的に得たいのかと言えば、「TORG」によって、巨大な数を自在に扱えたことに衝撃を受けたためです。
あの発想の逆、つまり小さな数値の変動を扱うことができれば、おのずから巨大な値を扱うことが出来ます。
「TORG」では、常人離れしたヒーローが、フィクションの中でどこらあたりで、はみ出ないかを扱うコンセプトなのに対し、拳銃劇やロボット、飛行機物などは必然的にリアリティを求められます。
なぜなら、それらのギミックはフィクション性が薄く、扱いとしては、ノンフィクションがどこまで非現実的な、はみ出しをするのかというアプローチに似て、「ブツ」の差を表現しなければならないからです。
この思想を、拳銃劇である西部劇TRPGは、デザインの根幹に持っています。
単に複雑さを狙っているわけでもなく、簡略さの利点を上回る利点を見出しているためなのです。
「TORG」では、巨大な無限の可能性が、発生して、あまりにも現実から遊離する現象が起きました。これでは細部を描きようがない。細部を描くためには、空想や妄想ではなく、細部を描き出せるエンジンがどうしても不可欠だと結論しました。
この積分の近似値は、誤差対象が10倍のときは10倍にそのまますればよく、モンテカルロ法では100倍に試行回数を増やさなくてはならない点を考えても、最も合理的でシンプルです。
監督: アーサー・ペン
製作: フレッド・コー
脚本: レスリー・スティーヴンス
撮影: ペヴァレル・マーレイ
音楽: アレクサンダー・カレッジ
出演: ポール・ニューマン
リタ・ミラン
ジョン・デナー
ハード・ハットフィールド
病にかかった馬をつぶして荒野を徒歩で行く若者、ウィリアム・ボニーは、英国から移住して牛商人をしていたタンストールに拾われ、仕事をもらい、良い若者の仲間にめぐり合ってビリーと呼ばれるようになる。11歳のときに母親のために人殺しをしていた噂を聞いてもタンストールは、動じなかった。彼は孤高の人で、ビリーに本を与えた。牛をリンカンに運ぶとき、丸腰なら銃禍から逃れられると信じていたタンストールは殺されてしまう。その不意打ちで持ちきりのとき、銃の名手パット・ギャレットと出会い、面識をもつ。
ビリーは三人で復讐の為、仇二人を撃ち、タンストールの支持者のマクスウィーンのところへ身を寄せても住人から猛攻、焼き討ちに遭い、火傷を負って逃れて、仲間と合流し潜伏して恩赦が降りた。
変化
ビリーは残りの敵を追い詰めていき、パットの結婚式の場を血で汚してしまう。保安官任命を固辞していたパットだったが、決意が固まってしまう。追い詰めるものから追い詰められるものに凋落したビリーは、やがて、何もかも全てを失っていく。
解釈
うだるような熱病の中の青春は、人を惹き付け群がらせるように酷く輝く。丸腰なら銃禍から逃れられると信じていたタンストールと運命は同じなのか。
「我、幼子の時は語る事も幼子のごとく思う事も感ずる事も幼子のごとくなりしが、人となりては幼子の事を捨てたり、鏡に映りしものはおぼろなり。されど、かの時は顔を合わせて相見ん、しかれば我を知られたるごとく、すべてを知るべし」
ビリー・ザ・キッドの内面に焦点を当てた作品。この神経面の描写は、
に、引き継がれているかのような共通項がある。
去年逝去された、ポール・ニューマンのデビュー作。
西部劇ロール・プレイ参考メモ |
監督:アンソニー・マン
原作:ビル・ガリック
脚本:ボーデン・チェイス
撮影:アーヴィング・グラスバーグ
音楽:ハンス・J・サルター
出演: ジェームズ・スチュワート
アーサー・ケネディ
ジュリア・アダムス
ロック・ハドソン
ロリ・ネルソン
ジェイ・C・フリッペン
ハリー・モーガン
ローヤル・ダーノ
グリン・マクリントリック(J・スチュワート)は、開拓幌馬車隊の案内人をしていた。
道すがら、家畜泥棒の吊るし首のリンチに掛けられそうになったエマースン・コールを助ける。
グリン・マクリントリックは、農場や牧場を夢見ていることを語るが、エマースン・コールは、彼がミズーリの者だと知ると、無法者の過去があることを悟る。
ポートランドまでインディアンの小規模な襲撃に遭遇しつつも同行し、分かれる。
オレゴンのコロンビア川を外輪船で隊長ジェレミーは、開拓地へ急ぐが、娘ローラはインディアンの矢傷のため静養しなくてはならなかった。
開拓は進み、作物が豊かに育つ土壌、肥沃な土がある渓谷、北風を防いでくれる山々、自然の恵みの木々で未墾の地を切り開く、切った材木で川に橋をかける、そして家を建てる、雪にも耐えられる丈夫な家を、集会所や教会も建て学校も作る、リンゴやナシの苗木も植えて数年後には最高の果実を売りに出す準備は整っていく。
もうすぐ冬だというのに、料金支払い済みの食料が運び込まれてこない。痺れを切らして、隊長ジェレミー、グリン・マクリントリックはポートランドへたどり着くと、黄金熱真っ盛りの様相を呈していた。
食料は暴騰し、開墾地へ送ることを渋られていたのだった。
取引相手のヘンドリックスから、ローラの恋するエマースン・コールとローラの妹ロージーの恋するトレイの協力で食料を奪回して、追ってきたヘンドリックスの一団を返り討ちにした。
しかし……。道の途上で出会った金鉱掘たちが食料に10万ドルと交換したいと申し出てきて、金に目のくらんだ仲間たちの関係は崩れていく。
ボウイナイフ・アタック、水上の殴りあい、ガン捌きなど、魅了されるものがある。王道的な西部劇。
開拓劇の要素も高い。
一度悪事に手を染めると二度と改心はできない、しかし誰でも過ちは犯す。たとえそうでも愛する人に出会えば人は変わることができると信じることは正しいのか? を主題においた作品。
いいひとポイントが、積み重なっていけば、強くなる典型。高らかに開拓精神と自然の美しさを取り上げた作品。音楽に印象がもてないのと、明らかに、やる気のない曲作りで、がっかりする。カメラワークは秀逸で、編集の腕前は相当なもの、脚本も評価されていい。器用貧乏な売りのない西部劇と言うところかな、と思いました。
西部劇ロール・プレイ参考メモ
家畜泥棒の私刑は吊るし首(ハング)。 |
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こちらは続編です。
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しかも、吹替えつき。
蛇足ですが、この下のパッケージの画像のことです。この銃は何の銃でしょう? 謎です。ハンドイジェクターらしい構造でシリンダーが固定されていて、現代的ですよね。
DMMレンタルはこちら。
DUKE廣井先生は、「硫黄島からの手紙」のミリタリー・アドバイザーを担当するところだったのですが、早撮りのC・イーストウッドのこと、スケジュールが合わずすれ違ったそうです。西部劇方面で僕が大変お世話になっている方の一人です。今はトルネード吉田先生とは別所属です。