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GameDesign 西部劇TRPG開発日誌

[つれづれ]興味をもつことの原理

知覚の性質

 興味をもつ原理は、上図の「知覚の性質」で表されます。これは、ネズミの実験でわかっていることです。

 人間の実験では感覚遮断実験があります。ネズミと同じにように眠ることで、情報量が少ないと、同じ反応を示すのが一つ。
 買う目的の商品が、あふれるほどの多種類の商品に囲まれるところでは、何々系のものとテーマを決めて検討します。選択するということは他の多くのものを捨てることと同義です。
 興味が頂点の時に結果が得られなければ、不満が起きます。

 興味と関係するコミュニケーションでは、この知覚の性質から離れられません。これは、ゲームに限りません。もちろん、TRPGにも限りません。

 もし、TRPGが「たいくつ・眠る」探索から出発するならば、選択に導くのは興味の頂点です。
 多様多種の情報が得られている状況「心を閉ざす・パニック」選択から出発するならば、探索に導くのは興味の頂点です。

 ここの中に、「TRPGとして」という条件を説明するのは簡単で、「ゲームとして」という条件を入れても、説明するのは簡単でしょう。

追記。

 選択すると、情報が減るはずで、増えてしまうと、興味は遠のく。
 探索すると、情報は増えるはずで、減ってしまうと、興味は遠のく。
 興味を持ち続けてもらうには、探索と選択のシーソーで、興味をひきつづけること。

 もしかしたら、このことが、「遊戯のパラドックス」と「偽りのあるコミュニケーション」との混同の一つかもしれません。
 「遊戯」には必要な「興味をひく」ことですが、「偽りのあるコミュニケーション」に「興味をひく」必要はないのです。もし、「興味をひく」ことで、偽りが明らかになれば、その悪意を読み取るだけだと思います。悪意が強烈な「無関心」ならば、対する感情は「コンフリクト」ではないかと想像します。


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