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大丁さんの大丁の小噺から知ったのですが。
http://d.hatena.ne.jp/taitei/20080625/1214401336
卓上RPGを考える
http://www.rpgjapan.com/kagami/2008/06/post-145.html
から、TRPGと現代ファンタジーを愛する男のブログ
http://blog.livedoor.jp/gensoyugi/archives/51428100.html
卓上RPGを考える
http://www.rpgjapan.com/kagami/2008/06/post-146.html
この議論において、言葉の齟齬が大きくてお話になっていないと思いました。
あまりにも、鏡さんの言う「ミステリー」との語彙の齟齬が大きいので、「ミステリーの社会学」より、ミステリー作家によるミステリー作品の成立を並べてみます。
探偵クラブ「誓言」 |
ヴァン・ダイン「探偵小説作法二十則 |
ノックス「探偵小説十戒」 |
チャンドラー「九つの命題」 |
ハル「探偵小説とその十則」 |
このように、ミステリーには作法にスポーツのようなルールがあります。
鏡さんの言う「自由は」、サッカーで、「自由」にバットを使ってくださいとの暴論に近い。
ミステリーのような謎解きの解明という競技的なシナリオでは、「自由」は、得点を取る、負けない、勝つ、そういった競技上の「自由」であって、参加するかしないかにも「自由」を与えている点が、大きく齟齬を生んでいる。
>以下引用
まず、「制約の無い自由なんてそもそもありえない」との見解については、過去にも触れた通り、私も同じ意見です。ただし私は、ルールシステムや世界設定に基づく「制限(制約)」と、シナリオ作成者やゲームマスターの「期待/願望」に基づく「管理」とを、明確に分けて考えています。プレイヤーの発想や決断が「制限」されても「管理」はされない状態が、私の言う「自由」です。この点をご理解の上で「無茶で非現実的なもの」か否かをご判断ください。
>引用ここまで。
つまり際限のなき「自由」のことではない。「制約」「制限」「管理」と雑多に独自の語彙を振り回していて、混乱させる原因になっていると思う。
コメント
1. サッカーというよりは
サッカーあり、アメフトあり、ラグビーあり。
作家さんごとに作法、ルールが違うのでは、(スポーツのような)ルールがある。は言い過ぎだと思います。
まぁ、あの議論の、齟齬がありすぎる、という点には同感ですが。
2. 失礼しました
はじめまして。少し気になったので、一言コメントさせていただきます。(後略)
いきなり不躾な事になって申し訳ありませんでした。
3. コメ有難うございます。
はじめまして。
言い過ぎになっているのは、認めます。
グランドで遊びなさいといわれて、縄跳び、野球、ドッジボールとかに、参加するかしないかのレベルのお話だと感じてしまいました。
でもってそのバラバラさを「管理」する、という反論に疑念が湧きます。
音楽用語でもあるセッションという言葉があるのですから、指揮するとか、リードするとか。
論じていることは納得がいっても、説得されないという歯痒さがあります。
4. グランド遊び
RPGって遊びは定義としてはかなり漠然としたもので、ホントに、「グランド遊び」ぐらいの概念だと思います。
バットとグローブ、サッカーボールにアスレチック遊具、何でもそろったグランドなら、野球でもサッカーでも楽しめるのかもしれませんが、そんなグランドを用意するのは大変です。
そろったのがバット・ボール・グローブにベースのみでは、サッカーやバスケ、テニスや縄跳びは遊べない。
たしかにココで、野球ボールを使ってドッジボールやサッカーの真似事を楽しむ自由はあるのでしょう…
いやまぁ、鏡さんが本当に言いたいのは、
「さくっと楽しみたいから9回裏、二死満塁から野球を始めるよ!」ってのが管理(というか、鏡さんが「なんだかなぁ…」と思っているもの)なんでしょうけど、論の展開が微妙に傾いでるので、歯がゆいなってのは同感です。
5. 「ミステリ」
「ミステリーの社会学」から、色々なノートを持ち出して来られてますが、実質的にはミステリ側が作法としてそれを重要視していることはまずありません。
これらの嚆矢となったヴァンダインの二十則でさえ、既に同時代でこれに則らない作品が山ほどあります。二十則に反する作品が評価が低いということも全くありません。大体、ヴァンダイン自身がそれを守っているかどうかさえ怪しいものです。
ノックスやハル、チャンドラーのものも上の文脈では大差ありません。
要は、こうした「ミステリの作法」話は作者の好みを述べているに過ぎません。読者一般が望んでいるものではないし、そうした書き方がミステリの王道であったことも殆どありませんでした。
ましてや、現代の日本ミステリ界においては、ホラーや、冒険譚や、サスペンス、SF作品も「ミステリ」と言われます。「ミステリは拡散している」という言い方もされます。
少なくとも現在「ミステリ」という言葉を使うなら、ミステリ=謎を解く物語、だけではなく、ミステリ=謎を基点に生まれる物語、という広いイメージも同時に頭の中になくては不自然でしょう(ちなみに、私などは、鏡さんの「ミステリ」という用語は「現代日本のミステリ」的だな、という感想を持ちます)。
Betaさん自身が「ミステリ」という言葉のイメージをかなり一方的に決め付けて論じているように見えて仕方がないのです。
6. 「では、何がミステリなのでしょう」
ミステリ読みならば、お分かりでしょうが、これは「好み」ではなく、「ルール」です。ミステリ読みならば、必読の書でしたが、通過されてしまったようですね。
このルール全体を否定して、一切適用されなければ、成立するのはファンタジーやSFでしょうね。
謎解きならクイズやパズルを解く過程のものも、ミステリとお認めになるのでしょうか。
例えば、ローリングの「ハリー・ポッター」をミステリと呼ぶことができますか? ミステリ要素を持った児童ファンタジーとしか呼べませんよね。西部劇や時代劇をファンタジーと呼ぶくらい程度の無理があります。
それから、原典を当たることをお勧めします。僕がどうこう話しても、論点がずらされてしまいますから。
>Betaさん自身が「ミステリ」という言葉のイメージをかなり一方的に決め付けて論じているように見えて仕方がないのです。
ですから、本当に「僕の決め付け」なのか確かめて検証するためにも、原典をあたってください。
7. 「では、何がミステリなのでしょう」(2)
後の記事のほうで、ハンドアウトやプロセス操作は、管理であり、また、謎を解いて欲しければ管理することと述べておられるので、やはり、「ミステリ」は管理下になければならない。そして、管理と自由は混ざらない、とされているのですから、大きな齟齬は「ミステリ」についてはなかったと、今では思います。
僕の想像では「自由なミステリ」は、犯人を含む群像劇のようなものをPLによってPCが担うのかと、可能性を感じています。
曲解による妨害ではなく、好感からの援護射撃のつもりでしたが、誤爆してしまった気もします。
8. 遅くなりまして
ちなみに「ミステリーの社会学」は前の書き込み時点で既読ですよ。
わたしが言っているのは、「ミステリ」とは「ミステリ好き」が考えるほどがっちりしたフレームでは、一般には考えられていない(鏡さんもそう考えていない)んじゃないの、ということでして、「ミステリーの社会学」における「ミステリー」の定義とは関係のない話です。別に「ミステリーの社会学」のミステリー像を世の中の人が共有しているわけではありません。
要は、Betaさんが考える「ミステリ」とは異なる「ミステリ」像があるんじゃないのと言いたいだけです。
> 謎解きならクイズやパズルを解く過程のものも、ミステリとお認めになるのでしょうか。
> 例えば、ローリングの「ハリー・ポッター」をミステリと呼ぶことができますか?
そりゃ、できるんじゃないですか?ミステリという言葉をそう捉えている人がいるんだったら。まあここでクイズやパズルなど小説以外の話を持ち出されるとは思いませんでしたが。
ちなみに、ハリーポッターをミステリとして評価する人を少なくとも数人は知っています(それも実は友人のミステリ研究者だったりします)。
で、本論は「ミステリ」の定義問題ではありません。
Betaさんと鏡さんの間で「ミステリ」のミスコミュニケーションが起きているのが、議論のかみ合わない原因になっている可能性はないのか指摘したかっただけなので。
期待していたお答えを(2)の方でいただけましたので嬉しいです。
個人的には鏡さんのミステリは、「自由」という概念を持ち出す以上、いわゆる広義の「ミステリ」なんじゃないか、であれば「自由なシナリオ」づくりも可能かも、と思っていたので。
鏡さんとBetaさんの間で共通認識ができていたのであれば、それ以上は言うことはありません。