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GameDesign 西部劇TRPG開発日誌

[TRPG]シングルフォーカスから、本当の障害考察。

※ここでは障害の意味をTRPG自体に支障をきたすものとしています。念頭にあるのは高機能自閉症、いわゆるアスペルガー症候群です。

 タブー視される社会適応の障害から、考え直してみる。


#引用開始#

オホーツクADHD&LD懇話会
過去ログ



http://www7.ocn.ne.jp/~ya2002/alto/adachire.htm

・ また、シングルフォーカスの特徴があると、同時に複数の刺激要素を処理しないとその意味合いが浮かび上がってこない「他者との社会的交流状況」を十全に理解することが出来ない。相手が発信する社会的交流刺激の一部だけから、その状況を解釈してしまうために、誤解が生じてしまう。

・ さらに、発達障害とは、人生の最早期からの「適切な発達を支える環境との相互作用が歪みを受ける障害」であり、そのために、放置しておくと二次的な障害が生起してくる。出来るだけ早いピックアップと適切な療育が必要。また、上記のシングルフォーカス特徴が発達障害として影響を及ぼすために、視覚的思考といった自閉症に特有の認知特徴が作り上げられてくる。

・ 「自閉症の子は、ごっこ遊びをしない」と言われるが、ごっこ遊び的な行動は、特に高機能自閉症児の場合にはよく見られる。一般に、ごっこ遊びには「再現する要素」(記憶の中にあるストーリーや動きを再現する)と「再演する要素」(キャラクターの心の状態を演じる)とがある。自閉症の子は「再現する要素」が多く、いつも同じストーリー、同じやり方、丸覚えのやり方、大好きなビデオをそのまままねることが多い。また、単なる物まねでなく、自分でストーリーを作っていたとしても、柔軟性やその場その場での展開性に欠け、自分の考えたストーリーの中で他人の役回りを決めて強引にやらせようとすることがある。

#引用ここまで#

 このような、障害例を挙げると、タブー的側面が伴う。障害者差別意識はないことを明記しておきます。
 ただし、TRPGは基本的に「遊びの僥倖(フランス語のアレアは僥倖、ラテン語のアレア、サイコロを原語とする)」を万人に等しく訴えるものと考えると、このような障害例についての援用も参考になる。

 つまり、安易なごっこ遊びは、“「再現する要素」が多く、いつも同じストーリー、同じやり方、丸覚えのやり方、大好きなビデオをそのまままねることが多い。”もの。
 正反対の「再演する要素」(キャラクターの心の状態を演じる)が重要となるものであるが、安易なレベルで万人に評判の高いものは、「再現する要素」であり、ネタ元がはっきりわかるものだということ。

 そして、“また、単なる物まねでなく、自分でストーリーを作っていたとしても、柔軟性やその場その場での展開性に欠け、自分の考えたストーリーの中で他人の役回りを決めて強引にやらせようとすることがある。”というところから、吟遊詩人マスターやなりきりプレイの、稚拙さをよく指摘されるもの、安易に万人に評判の高いものは、「再演する要素」がない上で、このような類のものであるといってよいかと思う。

 しかし、安易に万人に評判が高いものは正解だろうかと言うと、そうではない。

 ごっこ遊びとTRPGの違いはひとまず棚にあげるとして、TRPGが個人の遊びに楽しむ一人遊びではない以上、個人だけの楽しみに委ねて評価ができない。しかも明らかにこれはコミュニケーション上の障害に連結している。

 このような障害は未発達なシングルフォーカスから来ており、「障害」を含んだTRPGと言える。

 吟遊詩人マスターやなりきりプレイが悪いのではなく、「再演性」と「柔軟性」や「展開性」、役回りの「生成性」が欠落していることがコミュニケーションの成立に悪いのだ。
 吟遊詩人マスターやなりきりプレイ以外にもこれは当てはまる。意志決定などの手法を用いたとしても注意すべき点はあくまで、この部分に当たる、コミュニケーションの成立失敗である。

 とくに、プロットを固定したり、キャラクターの役回りの生成を認めないのは、「障害」にさらされたTRPGで、コミュニケーションが図れない(コミュニケーションが介在する必要を失う)仕組みになる。
 また、このような「障害」を少々持つ実際の方であっても、乗り越えやすいような体質のデザイン・アプローチが必要だと言えると思う。


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