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 西部劇調べてるって言うと変な顔される。

 西部劇「道」っていうのがあって(ここで普通はヒク)、図書館にない古書を最高額45000円で購入して、文献を漁る姿がわからない、らしい。

 アメリカ出身のハリウッド・スターは、西部劇に出演することが、ステータスの一種。

 古き良きアメリカを伝え称える映画は、俳優のおじいちゃんやおばあちゃんにも分かり易い好感度をアップさせる匂いが、スターの嗅覚は、遠く高い峰の残雪から届いたように、なぜか、春風の中で嗅ぎ当てられるのだろう。
 あげつらえば、きりがない。

 単に、そういうジャンルであると、仮定すると説明不能なツッコミどころは満載なのだけれど、西部劇が取り上げる、19世紀という激動の時代や、西部という地域性は、日本での時代劇と異なって、古臭さがなく連綿と続いた文化史のルーツに素直に行き着くのが、アメリカらしいと断定できる。

 かつての、アラモ、メーン号を忘れるな!というのは、パール・ハーバーを忘れるな!と受け継がれ、ケネディ大統領の宇宙計画に「フロンティア」という言葉が出てきたり、と垣間見えるのは一貫して文化の崩壊を内包しながら形成し続けてきた、アメリカの足跡。

 それを、ハリウッドは活写し、喧伝する。



 アメリカ史を論じているときに、西部劇を取り上げるのは、向こうでは笑い話。
 西部劇を論じるときにも、逆も然りで、また笑い話になるとか。

 歴史的に見ると、全くの笑い種であっても、西部劇独特のパターン、展開方式は、人を惹きつける。

 何故、根拠のない時代考証に、昔の姿はこうかなあ?程度の、映画が成り立つのか?という疑問。

 それには日本人なら、月代毎日剃ってます、毎日結ってます髷、の「あっぱれな!ちょんまげ!」が、刷り込まれているところに来て、山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」または「隠し剣 鬼の爪」みたいに、考証が芸術的に織り込まれていても、「なんだこの貧相な髷は!眠たくなるぞ!」という大方の印象が実証している。

 そこから借りると、当時の西暦何年とかにはこんな銃は存在しないという方がナンセンス。

 意味を成さない。

 バーンと撃ったときには煙に隠れて見えなくなるので、とりあえずその瞬間まで見てくれが格好良ければいい。

 鉄砲はでかい音がするのさ!という、童心で、ああ、アタッチメントね、小道具ね、と流す。

 これが、西部劇「道」入門。一応、心得を説くと、まず肝心なのがココ。

 じゃあ、ガン・マニアって、西部劇には関係ないんだね!と、なるけれども、クリント・イーストウッドは、本当に、ガンマン。

 早撃ちのスポーツ大会に、ライフル協会にと、関わっているとか。コレは、まず、例外。

 彼の西部劇は、ガン・マニア垂涎の類。

 考証がまず、銃が基盤で、そこから年代が逆算されてしまう。

 でもね。じゃあ、西部劇は「てつほう」が年代をかもし出すものだ、とは言えない。

 「天国の門」というチミノ監督のある地方の事件を扱った西部劇は、電線が何十本も電信柱の上に通っているカット、町の風景。「てつほう」ではなく、何年何月何日のころは技術発展史、移民史、疫学史……はと、よく調べつくしたわ、音楽は、個人的に輸入版のサウンド・トラックを購入しなければとなるまで秀逸。

 会社を倒産させるほど興行の失敗という、オマケ付きに、なんだか臭いな、と感じてくだされば、心得が理に適います。

 そりゃ、お金を注げば、時代考証も町の風景も屋外セット建てまくりで出来ます。3DCGで故ジョン・ウェイン様やアラン・ラッド様を再現することも可能ですよ。

 なぜしないのか?
 お金がかかるでしょ。
 映画はビジネスサイドのアート。聞こえ悪く言えば、大衆娯楽。

 バックできないなら、製作費出ないし、映画会社が抱えているのは一本の大作だけではない。

 ありきたりに、説明します。ここは、映画「道」に、交代です。

 映画について。評論家、蓮實さんの難しいけど癖になる文章で指摘するところは、

 映画会社も企業なので、価値あるものを生み出したいけど、リスク分散したい。需要があれば供給する形態を、採っている時点で、ゲージュツはゲンジツの興行産業に。
 コレも怪しい需要に怪しい供給。

 それからもう一つ、興行はお一人様大体定額。
 貴重だから、と古書のように興行単価を吊り上げることは出来ない。結局個として楽しむものだけれど、映画館では観衆の一人。

 アートでありながら、群れないと作れないし、群れないと見ることが出来ない、でもって産業、というなんか宙ぶらりんのスクリーンが白い黒い論じるような怪しげな映画自体のカタチ。

 単純に、鏡に映った映像がどのくらいみてもタダ、なのに、映像と音声に支払う対価って、物理的に許せないと憤慨しませんか。

 だって、見ている最中は映画の話が出来なくて、見終わったらサイフが軽くなる。
 観衆にとっては買い物のはずで、映画入った買い物袋提げていないので、スラれたのか、と。
 映画写している映画館の方は頑張ってくれたようには思えない。

 おまけに、肩も凝って、目も疲れ、表情筋が強張るし、なんだか眠い。
 あれ、会社行って仕事して来たんだよな~昨日。時間守って行ったし。
 ありゃあ?なんか、サービス業疲れかな。サービス業、映画観衆。

 何がなんだかさっぱりしよっと。テレビをぽちっと。サービス業、テレビ視聴者。

 時間は守らなきゃ。

 という、苦笑いするところあるよねという、重たい文章をかいつまみ、共感を呼んで難しい文章で、時折呆れてしまうような鋭い様で役に立たない指摘。

 以上が正統派の映画「道」?なのです。

 ゲームはやってみないと面白いかどうかわからない。映画も観て聴いてみなければ、同様です。

 まず、映画自体の認識からして、こう厳密に定めると、何も書けない。
 観よ、としか。

 観てもいない映画を観に行こうと誘うとき、「それ、面白いの?」って変な質問してくるとき、「面白いかどうか、僕ら、確かめにいこうよ!」と、返す。

 この「道」なしには、西部劇「道」は成立しない。

 まず、映画館にしろ、ビデオ屋さんにしろ向かう道、古本屋さんを彷徨う道。

 僕生まれる前、祖父が牧場やっていたことを、懐かしそうに語る父のふるさとへの道。

 涙堪えて、語られた昔話を聞いた道。

 振り返れば、たぶん、そんな道。
 でもでも、まだまだ果てなく続く西部劇「道」。彼方は、映画の黎明期、すぐ一歩目は最新作。

 どんどん、果てに消え行く彼方。この道を歩くには、進んでいるはずという感触だけが、全てなのさ。

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