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真昼までの一時間、男はもう一度だけ保安官のバッチを胸につける
カメラ、音楽、シナリオ、演技、この映画が公開された1952年の映画で、まぎれもない傑作だ。
アカデミー賞主演男優賞、音楽賞、歌曲賞、録音賞に輝き今でも作品の力は失われていない。
この映画のもつ輝きと人間ドラマの収束は半世紀すぎた今でも観る者を魅了して、本当の映画の面白さとシリアスな展開は現代の映画を大きく突き放して、娯楽大作と呼ばれる現在のハリウッド映画のアンチ・テーゼとして君臨する。
90年から00年代に製作されたハリウッド映画が、何故今、飽きられてきているのかを、おなじハリウッド映画たる本作「真昼の決闘 HIGH NOON」が教えてくれるのは、なんと言う皮肉な事だろう。
舞台はハドリービルという小さな町、保安官のウィル・ケイン(ゲイリー・クーパー)はエミー(グレイス・ケリー)との結婚を境に保安官を引退して、他の町で平穏に暮らそうとしてた。
祝福してくれる町の知人、友人たち。その結婚式の最中にもたらされた電報は、祝賀ムードを打ち消すには充分な内容であった。
かつて逮捕したならず者フランク・ミラーが保釈されて、仲間と共に正午到着の汽車でそちらに着く。
ケインは、町のため友人のためにと、銃を手に町に残ろうと考えるが、エリーに説得されミラー一味が到着する前に町を去ることにする。
街道をはしる馬車を操り急ぐが、元保安官としての誇りか、男としての意地だろうか、ケインは町に戻った。
再び保安官のバッチを胸にするケイン。
しかし、町の住人たちは必ずおこるだろう撃ち合いを恐れ、ケインに味方するものは誰もいなかった。
決闘の時刻となる時間軸と、ケインの心の葛藤が丁寧に描かれており正午までの一時間が、人間としての有り様と社会風刺に満ち、ラスト・シーンで堂々たる作品太さを見せてくれるだろう。
まさしく時代をこえて受け継がれるべきタイトルである。(転載:リバティー店主たの)