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TRPGが悪意に弱いとよく言われる。
TRPGがコミュニケーションをベースに成り立つものであるならば、「コミュニケーションは悪意に弱い」と言えるのか。
そもそも、悪意はコミュニケーションの一種であるため、具体的には、「悪乗り」「誹謗中傷」「なじり合い」などをやりあう罵倒のTRPGとしても、つまらない場と時間として成立する。つまり、この意味ではTRPGは悪意に強い。
ただし、非常に残酷な例を挙げるなら、先天的に身体障害を抱えているPLに、同じような障害を抱えるPCをあてがったりすることが出来るのか、問いたい。
好プレイ・珍プレイによる良い方向への誘導こそ、TRPGの協力の体制が目指す究極的な目標であって、
拙システムのレッテル・システムhttp://western.blog.shinobi.jp/Entry/20/と
コンダクト・システムhttp://western.blog.shinobi.jp/Entry/21/が、
ガイギャックス流に言えば、ルールの存在理由を行間から読み取って欲しい部分でした。
TRPGが内包するルールシステムはゲームというよりも、TRPGコミュニケーションを拵え上げる「ツール」の一面が大きい。
いわば、ハイデガーが現象学的に言う、金槌のような「道具的存在」。
金槌に「物をたたく」という、「指示」が存在するが、ビール瓶でも釘は打てる。金槌はビール瓶では代用できない強い力で叩くことができるよう、叩きやすく作られた道具であって、用途を想定されて、作り出されたもの。
しかし、金槌は金槌の本来の用途ではないこと(火打ち金の代用など)に用いることが出来る。とすると、金槌は必要なときに、無数の「指示」を内包していて、これは連関性を函数で示すことが出来ない。
また、例えば、時計細工職人に大工道具の金槌はとても代用できない。ある環境の下で、適所に配置された場合が、「有意義」なのは、理解していただけると思う。
つまり、TRPGを総体として見た場合、TRPGの協力の体制という環境で適所におかれなければ、「有意義」に遊ばれることはないと言える。
無論、TRPGが下敷きにするコミュニケーションのうち、悪意は、全員が楽しむという目的に合致しないなら、はじいてのけてよい。この場違いなコミュニケーションは、「有意義」なコミュニケーションではない。
おそらく、結婚式のときの忌み言葉並みに、お祝いだけ頂いて叩きだされても、文句は言えない。