アラモで有名なジェームズ・ボウイーの話が載っています。
#引用開始#
ジェームズ・ボウイーがその名を知られたのは、一八二七年の決闘からであった。彼は当事者ではなく、立会人の一人であったが、対決した二人はむしろ二グループの代表であって、それぞれを応援する形で何人かずつが双方に分かれて対峙していた。立会い人のなかには、それ以前に相争って傷を負った者すら加わっていた。決闘の場となった砂丘をはさんで両グループが睨みあっていた。決闘すべき二人が互いに撃ちあったものの、決着がつかないまま、試合は双方の味方を巻き込んでの乱戦となってきた。ボウイーは、砂丘の利点を活かし、相手の一人に接近して、鋭い片刃のナイフを振るって刺した。このナイフは、ボウイーの兄が特別に作らせたもので、「いつも身につけていろ。これは最後の拠り所として、必ずお前の生命を守ってくれるから」と言って渡してくれたものであった。
ジェームズ・ボウイーの名前は、この武器のために挙がったわけではない。一八三二年のミシシッピー河上の珍しい決闘と、そのさいの彼の正義感が南部の人々にある種の感動を呼んでいたからであった。この決闘は、河をくだる輪船の両輪の覆いの上にそれぞれが立ち、ピストルを撃ち合うというやり方でおこなわれた。両者の距離は二〇メートルばかりであった。ボウイーはー発で相手を撃ち倒したという。ところで、この決闘が起こった経緯は、この船に乗り合わせていた若い夫妻が、持っていた大金を無法者にまきあげられたことを知り、これを取りもどすために、ボウイーがまず賭に勝ち、負けた男たちから決闘を挑まれたのであった。ボウイーは、若者に取り戻した金を託し、自分が帰ってこなかったなら、この金の三分の二は持ちかえれ、三分のーは自分の弔いにでもかけてくれと頼んでおいた。この義侠心に富む美談は、後の世に伝わることとなった。
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決闘の話
藤野幸雄 著
フェアプレーの精神にのっとり、一対一で殺し合う。人はなぜ、そのような行為をするのか。決闘にまつわる話ほどまったく愚かで、面白い話柄はあるまい。と同時にこれほどまでに人間の心理と行動の背反した真実をつきつける話もすくないようだ。現代社会では決闘の風習はなくなっているが、その結果、人間社会に何が行われるようになったのかを見つめておくことも必要だろう。人間心理の深奥を垣間見せるヨーロッパの決闘史をひもとく。
「BOOKデータベース」より
[目次]
- 序章 決闘というもの
- 決闘の作法
- 決闘の歴史
- イタリア・スペインの決闘
- フランスの決闘
- イギリス・アイルランドの決闘
- ドイツ・東欧・北欧の決闘
- ロシアの決闘
- アメリカの決闘
- 文士の決闘
- 女の決闘・異例の決闘
- 終章 闘いの果て
「BOOKデータベース」より