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GameDesign 西部劇TRPG開発日誌

[TRPG]TRPGの協調ゲーム性

 協調ゲーム性


 協調ゲームでは、協調が全員の手の内で崩壊すると、破綻が生じます。
 わかりやすく言うと、日本の国債の信用がなくなって、国債を持っている人が全員売りに出せば、全員が損をしていくという構造をしています。ですから、お互いの寛容や妥協が必要になります。



 

 遊び手の協調ゲームとして、TRPGの崩壊の特性も見てとれます。

 ゲームマスターとして、セッションをボイコットされないように進行司会していくゲーム理論数学的な裏付けとなります。
 TRPGでは協調は重要な美徳です。ゲーム上の問題の克服は二の次です。

 もし、セッション時間の許容範囲を超えたり、あまりにもロールプレイや演技に対して応答のない運営をしたりするならば、ゲームマスターに対して、プレイヤーは、ボイコットの連鎖を引き起こすきっかけになることができます。
 つまり、「協調」と「ボイコット」が入れ替わる逆の関係になってしまうと、「ボイコット」することが有利な関係になります。
 


 

 協調ゲームの遊びの善『美徳』


 それに対して、TRPGでは、プレイヤーキャラクターが、いくら痛みを感じても、とってつけたような家族が人質にされても、巨額の借金を抱えても、資産を奪われても、何十年という懲役刑を受けても、大変な病気や中毒や身体的欠損を背負っても、プレイヤーは苦しみを感じません。
 苦しみを感じたら、キャラクターをあいまいな、または明確な自殺をさせてゲームをボイコットすることもできます。

 このボイコットへのイニシアティブは、実は、ゲームマスターが持っています。

 自分自身やプレイヤーが疲れているようだとしたら休憩を提案します。

 プレイヤーが何か不満や苦情といった言いたいことがありそうで、直接尋ねても答えてくれないようなら、いったん連れ出し場を変えて聞き出します。他のプレイヤーに退室してもらうのもいい方法です。

 プレイヤー同士でのトラブルならば、きちんと判断して、えこ贔屓抜きに、説得し協調を求めます。
 プレイヤーの互いの利益の対立が原因ならば、互いに条件をきちんと出すよう求め、調整をつとめます。

 協調を前提とするゲームのなかで、もっとも第一の美徳が慎重さを持った勇気だということを示しています。臆病と慎重を混同しないよう気をつけてください。

 そういった美徳がプレイヤーから齎されたならば、プレイ終了後にきちんとお礼を述べましょう。その積み重ねが、楽しく面白いセッションに導く人とのつながりになります。たとえその人がいないとしても、そのノウハウは遊びの機微として、自ずと手にして確たるものとしていくことができるのです。

 プレイヤーやゲームマスターのトラブルの多くは、コミュニケーションの問題です。コミュニケーションのトラブルはトラブルが生じてから、意識されます。メガネを無くしてからメガネを意識するようなものです。

 特に趣味の世界での対立は、真剣に好きで取り組んでいるからゆえのもので、お互いにきちんと条件を出させ、議論や好みで人格否定に発展したりさせないようにします。

 個人個人が真剣に気に入っているもの、真剣にけなしたいものを持っているのは当たり前です。
 趣味のものですから、真剣な対立です。カッコいい態度でしょう。

 ネガティヴなイメージのレッテルを貼る行為もあるでしょう。一方的にそういう行為が悪いとは思えません。マナーの問題とも思えません。理屈が通っていればなおさらで、それを検討して、楽しく遊ぶ方向を見定めればいいだけです。
 もし、理屈が通っていないならば、ネガティヴなイメージを払拭するようチャレンジすればいいだけです。

 何かを比較してけなすのは、その何かに関心を持っているからです。無関心であれば、本当に価値を認めないということです。
 関心を持っているという共通性を説得して、人格否定にエスカレートしないよう仲裁し、ボイコットしないよう働きかけます。

 あらかじめ、TRPGはコミュニケーションだという意識をもって、ゲームマスターは臨みましょう。
 プレイヤーにもゲームをする前に雑談をするなど、これからコミュニケーションをするという、いわば助走のようなテクニックも、特に初顔合わせのようなときには必要です

 ゲームメカニズムをいくら説明しても、コミュニケーションにはならないのです。
 

 寛容や妥協の心理学

 参考として、 [TRPG]人間の判断過程の特異的な側面にある、項目を利用しましょう。


 

 

9

人は自分のとった行動を確証する情報を求め、反証するような情報やテスト結果を避けがちである。

10

得られるもの以上に潜在的損失を過大視するため、その損失を意識した判断をする。

11

人は、ネガティブな結果よりある程度の好結果が得られればそれを選択すると信じ、最高の結果よりそこそこの好結果を受け入れる、と信じている。

12

人はひどくネガティブな結果より、まあ仕方ないという結果のほうを受け入れるものと信じる傾向にある。


 これは、いかに協調を維持するために、寛容を引き出したり、均衡を図ったりして妥協を引き出すかのヒントになると個人的に考えています。


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