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GameDesign 西部劇TRPG開発日誌

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[TRPG]ゲーム性の仮説(メモ)

 西村清和先生の「遊びの現象学」から、ゲーム性の仮説を立ててみます。

 まず、遊びを「遊隙」と読み替えるのではなく、「チャンス」と読み替えます。
 「チャンス」は、(機)会であり、「企て」の動(機)であり、「僥倖:アレア」の(機)運に相当する。

 あるシチュエーションにおいて発生する(機)微を読み取り、(機)運を掴み、(機)会とする。
 ゲーム性は、もし本当にこの世にあるならば、総じてこの構造で成り立つのではないか。

 ゲーム性を論じるとき、ジレンマや選択肢をおいた場合、どちらのひどい罰や犠牲を受けるかという、フィリッパ・フットトロリー問題を避けられない。アポリアに陥るだけで分析に到らない。なぜなら、それがゲーム性の構成物に過ぎないからだ。
 また、問題解決をおいた場合、単なるゲーム理論を主張しただけの「遊び」から目をそらした、当てずっぽうを避けられない。ゲーム理論は数学からの読み解きであり、数学は全て問題解決を目指すものである以上、そこから導き出されるのは、問題解決でしかない。これは単純なトートロジーでしかない。

 なぜ、人と人が行うTRPGというゲームに、常識や想像力やコミュニケーションが必要なのか。
 そもそも「僥倖」の(機)運、(機)微、(機)会を生かせないからとは言えまいか。
 そして、(機)知に富んだ豊かな時間を台無しにすることから、つまらなさを説明できないだろうか。

 以上、メモです。

 注)アレアというのは、動物のかかとの骨のサイコロ、「賽は投げられた」(ALEA JACTA EST アレア・イヤクタ・エスト)・・ラテン語から由来。立方体に削られたサイコロもローマ時代にはあって、カエサルが「アレア」と言ったという事から、勝機が高いという意味合いを含んでいる。どうやら、wikiにも載っていないようなので、一応注釈。

[TRPG]「遊びの現象学」を読んで。


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