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個人的覚え書きです。個人的メモで、個人的な見解のメモです。
TRPGのルールシステムが、部位判定を採用しているかどうか。これは、まず横においておいて。
GMの権限が認められる範囲は、僕の見解では、
A.ストーリーの範囲
B.コミュニケーションの範囲。
C.ルールシステムの範囲。
D.リアリティ(常識?)の範囲。
このレンジに収まる気がします。まだまだ、考え足りないです。
僕のデザインでは、部位判定を行うのでこの問題は、発生しないにしろ、以下のようなシチュエーションに、同じような現象を見出す可能性があります。
僕の出くわした、似たような問題に「車椅子のユージュアル・サスペクツ」というシチュエーションがあります。
Chill(未訳)で、車椅子のPCが歩けるのにもかかわらず、キャラクターシートを非公開にしてしまい、歩けないよう装ったというものです。GMには公開しています。
他のPCが、長時間一緒に行動したにもかかわらず、足の筋肉や脂肪のつき方を観察することも出来ず、「プッシング」などの車椅子の人が行うような偽装動作もない。
通常ならば、キャラクターシートは、見せ合って、連携を考えて作ったりという遊び方をしますが、PC同士で、騙した、騙された、という判定を行うこともない。(あれば興を削いだでしょう)
PCたちのパーティー(Chillでは別の名称があります)が、全滅した時に、生き残りの車椅子のPCが歩き出して、他のPLを驚かせたというものです。最後はそのPCがクリーチャーにとどめをさして、終わったというものです。
これは、僕にとっては、B>A>D>C。
ローカルルールのキャラクターシート非公開というコミュニケーションがあって成立しました。
それが際立ったのは、PCのデータを知った入れ替わりのGMが、設定として取り上げたため。
常識の範囲からでは、偽装も判定も何もなしでは、納得行かないこと。
ルールシステムでは、Chillには、キャラクターシートを非公開にしたり、判定の成否を他のPL同士で隠すようなことは、全くのローカルルールであることです。
上図の例で言うと、「(Cm)遊びを共有できる人間関係」が足りないのに、「(S)ストーリー・物語の好ましい組み合わせ(メッセージやテーマ)」がオーバーフローしてしまっていています。
「(G)ゲームメカニクス」、「(Rps)ロールプレイ(役割演技Second-guessing)での主人公並列と協調への合意(討論の倫理:ハーバーマス)」、「(Info)舞台世界の情報とPCのポジション(役割体験)」、「(RP)感情移入(役割取得・推測理論 empathy of theory)(or インタラクティヴ?)」は、僕が考えるに欠落しています。
メッセージのやり取りをする芸術作品と、トリックアートのちがいと言えると思います。
これが「アリ」と成立して、弊害が生じました。
結局、どんなGMになっても、どんなゲームシステムに替えても、キャラクターシートは非公開、ダイス目のごまかしや、イカサマできる偏るダイス、インクを削ったクリスタルダイスの横行、キャラクターシートの経験値や記入欄の改竄を招きました。
D20に一番多く見られた異様な出目では、10、20などのゾロ目(ほぼTORG用)で、DeadLandsをやると、ゾロ目でバーストが頻発していました。(D20で、6個中5個が出目20、1個が出目1とか)
成否判定は自己申告制、たまたまダイス目のごまかしが発覚すると、インクを削ったクリスタルダイスに変更という感じでした。
この問題は、その場はその場で済ますことの、つまり、了解があって、なおかつ弊害に引き摺られないような、エスカレートしないメンツが集まっているような場合に限られる、禁じ手のようなものだと、僕は思うのです。
PL同士がフェイクし合うことを、TRPGのデザインは、(シノビガミはその遊び方を想定しているよう)あまり、前提としていないと思います。
ここ最近、網羅するようなリサーチをしていないので、わかりませんが。
以上、覚え書きでした。個人的メモです。
(特定の方々へ)
前にもチラリと書いた気がしますが、ここはネット上で、ブログなので、議論に向いていません。
このエントリも、他も、付け加えられるし、削除もできるし、変更もできます。アクセスも特定しようと思えば特定できます。匿名の議論にもなりませんし、ブロックもできます。非公開にもできます。パスもかけられます。
HNを複数使うとか、全く議論にならない多人数への見せかけ、炎上工作をされたため、コメントは承認制です。さらに、そのようなクレーム窓口扱いされることが、非常に迷惑です。ゲームについて話すことは、ゲームではないのです。
論考?ではなく、あくまでもデザインメモ!です。わかる人のため、特に話のできる身近な人のため、体験を同じくした人のためにしか書いていません。