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「シナリオ作成の道具箱」「ダンジョンシナリオ作成講座」にあるような、「葛藤・結果に対する責任・アカウンタビリティ」がゲーム性だとしたら。
誤解を自覚した上で、妄想します。
もしそこに自然科学的だったり、ベイズ統計かゲーム理論のような正解、均衡解のようなものが、素晴らしい統計の達人が出すように、見つけられれば、単に「合理的」に選択されて行くだけなのかもしれない。
ゲームは、数学的に解を出すのと同じ作業でしょうか。
チェスの必勝法が解明されたとして、チェスは遊ばれなくなりましたか。
もっと進んだ人工知能を相手にすれば、人間もいらない素晴らしいTRPGができるかもしれない。
「葛藤・結果に対する責任・アカウンタビリティ」は明快であっても、これは僕が考えているゲーム性と違います。
僕はやっぱりそれだけではないという解釈をします。
何を持って
「合理的」
「問題解決」
「コミュニケーション」
「物語」
「役割演技」
かといった論点で、遊ぶ価値があるかないか。
そこから目を逸らしている詭弁だと思う。
もし、これを覆すならば、遊ぶに値しないセッションに、上記のゲーム性が詰め込み、簡単に反証できるでしょう。
捨て猫を助ける/助けない。どちらにしろゲームオーバーとか。そういう例を上げた方がいますが、これはゲーム性はそういうものではないという反証ですね。