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「アート」とか、「オブジェ」とか、日本では恭しく尊ばなくてはならないものという意識が強い。
実際上は、「アート」には「技巧」という意味があったり、「人工物」を連想したり、オブジェには「ブツ」という意味合いがあって、てんぷらにした腕時計や携帯電話を「アート」だの「オブジェ」だのと美術館に飾られていたりする。
なぜか若者でも、そうしたものに拝金主義に似た「お芸術コンプレックス」があって、庶民には手が届かない高尚さを持っているのだという価値観がある。
本来、人間自体が芸術の源泉で、出力された表現を評価するのが芸術であって、高嶺の花ではない。
TRPGで、馬場さんがアマチュアによる幼稚な世界設定製作を販売戦略の欠点だと、指摘しているけれども、それが高尚で大変な作業だとは僕は思わない。
芸術に携わる人に何人かに接触したけれども、芸術家も酒もやればタバコも吸う。クソもするし屁もこく。ご飯を作ってあげたら喜ぶ。面白い話もすれば、愚痴もこぼす。
TRPGのプレイヤーがその輪の中で役割演技をするのは、砂絵のようなもので、掻き消えてしまうようなものだけれど、きちんとした「お芸術」だと思う。
このコンプレックスは、弊害も生み出していて、TRPGは単に選択肢を選ぶだけのゲームとして、誰でも人を選ばず、はた迷惑でもメンツ集めにこだわるなんてこともある。
ウマの合わない人とお芸術をすることは、天才ピアニストのリヒテルとクライバーでさえできなかった。指揮者もスコアもあって、互いが醜い喧嘩。
それだけ本来はハードルの高い共同芸術がTRPGなのだけれども、観衆のいないコミュニケーションの枠内での砂絵なのだから、「お芸術にびびるな」と主張したい。
言葉を選ぶならTRPGゲーマーはアーティスト。
もっと自信を持てばいい。
どうして、卑下したり鼻つまみ者である必要があるのか問いたい。