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TRPGは、演じて物語を作る遊びである。
TRPGの目標は物語であり、「初心者のためのRPG入門」で、語られるような、
(以下引用)
RPGとは、架空の世界を舞台に、与えられた状況や制限や障害のもとで、登場人物を自由に動かして、目標達成を目指すゲームです。
状況/制限/障害/目標といったものは、原則としてゲームマスターと呼ばれる特別な参加者が決めます。
(引用ここまで)
ではない。
物語の作法である、関係/変化/解釈で、成り立ちます。
TRPGの根幹は創造性であって、馬場氏の言うゲーム性(問題解決の疑似体験)ではないのです。
もし疑似体験だとすれば、肝の小さい人間が冒険するのを味わうだけのツールとしてしか適所性はない。
さらにもし疑似体験だとすれば、TRPGはさまざまなシチュエーションにおいて、確率論的な精密さが重視されてしかるべきでした。
ところが、現実、それが実現することはなかったこと、リプレイ同人誌の隆盛、そしてオリジナル小説やライト・ノベル作家の輩出などを見れば、この見解は正しくない。
馬場氏の言うような、状況/制限/障害/目標をリアルにやるために、ヨットで太平洋横断の冒険家なんて聞いたこともない。
「初心者のためのRPG入門」と題しながら、馬場氏は別の遊びを論じているのです。
本来、まず、関係があり、それが変化し、それを解釈する。
GMはPCに立ち位置を与えます。
PCの解釈とは、他ならぬプレイヤーの解釈のうちPCに適用される部分です。
そのPCへの適用が「ロールプレイング」であり、役割分担のことでは決してない。
もし、役割分担がロールプレイならばサッカーのポジションについての説明にもなってしまい、サッカーはロールプレイングだという、頓珍漢ぶりの論法になります。
以前全てに目を通しましたが、馬場氏はコラムを書くに当たりゲームを行っています。
馬場氏はコラム・ゲームをしていただけに過ぎません。
デザインだけがゲームを語ってくれる、でしたか。
馬場氏はゲームをデザインすることどころか、ゲーム自体やめました。
事情はどうあれ、口先だけゲームを語ることを、当の本人がやらかしていることに無性に怒りを感じます。
さらば、馬場理論よ!